水の都・難波長柄豊碕宮
ようやく大海人皇子が再登場。
少し引き伸ばし過ぎました。
申し訳ございません。
多治比様とお喋りして、時々休憩を取りながら北へと向かう真っ直ぐな道を歩き続けて、日が高い時間に難波京へと到着しました。
正式には難波長柄豊碕宮と言うそうですが、ビックリするくらい整然として綺麗な宮です。
まだまだ建設途中の建物が数多くありますが、継ぎはぎっぽい感じの飛鳥京と違って人工的に創られた近代的な都市という雰囲気です。
これが完成したらさぞ壮大な都となるでしょう。
しかしそれ以上に感動的なのは海。
まるで水の都と言って良いくらいに、素晴らしい景観です。
宮の東には海、西には湖、その端境にある小高い丘の上に建つ宮が悠然と海を見下ろしています。
宮の北側には海と湖を繋ぐ堀江が水を讃えていて、舟が往き来しているのが見えます。
つまり三方が水に囲まれているのです。
「かぐやさん。
海を見るのは初めてだよね?」
「はい、初めてです」
本当は現代で散々見たけどノーカンという事で。
「難波津は国の要所で、百済や新羅の船もここに到着するんだ。
遣唐使や遣隋使もここから発ったそうだ」
現代の大阪湾とはまるで趣が違う古代都市の在り方に圧倒されてしまいます。
この光景を観れただけでも、この世界に飛ばされた価値はあるかも知れません。
【天の声】さすがにそれは無いと思う。
「私は、宮がもっと内陸にあると思っておりました。
まさかここまで海に迫り出した宮だとは意外でした」
「私達から見たら飛鳥は山奥だからね。
どうしてあんな所に京を置くのか不思議なくらいだよ」
同じ理由で東京、昔の江戸が大発展を遂げたのだから言わんとする事は分かります。
「国の中央を何処へ据えるのかは帝のお考えがあってのことだと思いますが、まるで余所の国から来た者を出迎えるための宮にも思えます」
「それはあるかも知れないね。
私としてはあまりにも海に近すぎて、海から攻め入られないかと気が気でないのだけど」
この時代の海戦がどの様なものなのか想像出来ませんが、不意を突かれて攻め込ませたら一巻の終わりに見えても不思議ではありません。
そのくらいに海が近いのです。
「それじゃ皇子様にご挨拶に行こうか。
宮を取り仕切る内舎人の者に案内させよう。
勝手にその辺をウロウロしないようにね。
警護の帯刀舎人達に連行されてしまうから」
「ご安心下さい。
昨日取れてしまったお面をしっかりと括り直しておきました。
簡単には取れません」
「頼もしい言葉だけど、私は更に不安になってきたよ」
何が不安なのでしょう?
多治比様は意外と心配性ですね。
そうこうしている内に少し離れた場所にある皇子宮らしき建物の前に着き、門の前で荷物改めと身体検査。
私はお面の効果でほぼノーチェックでしたが、お付きの源蔵さんは寒空の下で身ぐるみ剥がされて調べさせられました。
八十女さんでしたら人が群がって大変なことになっていたと思います。
門を抜け、中へと進んでいきますと、入り口で数人の男女の姿が見えます。
「多治比殿、ご健創そうで何よりです。
そちらが鎌子殿からご紹介された童子かな?
それとも多治比殿の新しい妻なのかな?
はははは」
「勘弁してください。
昨夜、父上にも同じような事を言われて大変でしたから」
何かすごく親しげな様子です。
職場の雰囲気が良いのでしょう。
「かぐやさん。
こちらが皇子様に常に随行していて、信任の厚い大伴馬来田殿だ。
右大臣・大伴長徳様の弟君でもあるし、中臣鎌足様の従弟でもある」
「初にお目にかかります。
讃岐造麻呂の娘、かぐやに御座います。
中臣様にはお世話になることが多く、此度皇子様に使える御光栄に預からせて頂きました」
「ほう、幼いのに行儀が良く出来ておるな。
やはり多治比殿の新しい妻に相応しいのではないのか?」
「あまり多治比様を虐めになさるのは堪忍してくださいまし。
私のような山育ちの娘を娶るのは罰としか思えませんので」
「ははははは、多治比殿よ。
鎌子殿は本当に面白い娘を紹介してくれたみたいだ」
「ああ、本当に面白過ぎる子だよ。
まずは皇子様にご挨拶したい。
すまないがかぐや殿を頼めるかな?」
「はい、では私が案内します。
付きの者は荷物を持ってついて来なさい」
「はっ!」
この女性が私をどこかの部屋へ案内してくれるようです。
緊張でガチガチの源蔵さんが、大伴様の横にいた女性の言葉に大きな声で返事をしました。
「それでは宜しくお願い致します。
多治比様、また後ほど」
「ああ、準備が出来たら皇子様のところへご挨拶へ行ってもらうから」
こうして私は宮の奥へと通されました。
◇◇◇◇◇◇
「かぐやさん……でしたね。
こちらでしばしお寛ぎなさい。
着替えは持ってきている様ね。
失礼のない格好で待っているといいでしょう。
本日の皇子様のご予定は空いていると思うので、いつ呼び出されてもいいようにね」
「はい、ありがとうございます。
取り急ぎ用意いたします」
「それでは。
付きの者は従者の館に案内しますのでついて来なさい」
「はっ!」
元・貧民の源蔵さんが皇子様の屋敷に入るなんて信じられない事ですから緊張するのも無理もありません。
でもウチには他に頼れる人もいませんし、源蔵さんと八十女さんには頑張ってもらわなきゃ。
誰もいなくなった部屋で私はいそいそと着替えて、片づけをしてそのままじっと待ちました。
本当はゴロンと横になって休みたいですが、どこに人の目があるのか分かりません。
不可視の光の玉で筋肉に溜まった疲労と気疲れを吹き飛ばしました。
あとはひたすら座禅の様に目を半眼で閉じて大人しく座って待ちます。
どれくらいの時間が経ったのか分かりませんが、先ほどの女性が呼びに来ました。
たぶん1時間以上は経っていたかな。
「かぐやさん、皇子様がお呼びです。
案内します」
「はい、恐れ入ります」
建物の全体の構造が分かりませんが、控えめに言って大豪邸です。
一人で元の部屋に戻れと言われても、無事に辿り着く自信がありません。
5分ほど歩いた先に如何にもな扉があり、ここが来客を迎える部屋である事は明らかです。
私の勝手な予想では4年前の時みたいに小ぢんまりした部屋に呼び出されるとばかり思っていたので意外でした。
「かぐや殿が参りました」
女性が声をかけると中から声がしました。
「待っていた。通せ」
あ、謎の人②の声。
「失礼致します」
昔の就職試験の面接の面持ちで中へと入っていきました。
中には試験官……ではなく、皇子様と多治比様、先ほどの大伴様がいました。
4年ぶりに見る皇子は、少年らしさがスッカリと消えて、壮観な若者へと成長していました。
「久しいな、かぐやよ。
被り物は取れなくなったか?」
しかしいきなり4年前のお話です。
「お久しゅう御座います。
被り物は取れなくなくなりましたが、お面は度々取れます故、まだまだ精進が足りておりませぬ」
「そうなのか、嶋よ」
「残念ながら昨夜も刺身を食べてポロリとお面とやらを落としておりました」
「はははは、其方も幼い童から少しは成長したと思っていたが、中身はあまり変わっておらぬ様だな。
安心した」
「皇子様、監視兼教育係としましては安心されては困るのですが……」
「そう言うな。
大化の世となって5年、いろいろなものが変わってしまったのだ。
変わらぬものがあっても良いではないか」
皇子様と多治比様とのやり取りを聞いて、何と言うか……
全然嬉しくないのですが。
「まあ良い。
其方の活躍については中臣殿から聞いている。
つい今し方、嶋からも聞いたが、やはり其方を後宮に取られるのは惜しいという気持ちは変わらぬ。
いずれはこの宮に来て妃の手助けをして欲しいと願っている。
ただ歌の才はまだまだと聞いた。
額田の側近に歌への造詣は必須だ。
先は長いな」
「はい、昨日初めて多治比様よりお褒めの言葉を賜りました。
今後もより一層精進致します」
「とは言え今一つの歌の才能では表に出しずらい。
仔細は言えぬが2月に大規模な催しが行われる予定だ。
その時に其方の舞を披露せよ。
忌部首子麻呂殿にもそう伝えておく」
「はい、承りました」
偉い方の命令は二つ返事で返すのが基本。
言い訳も言い逃れも絶対NGです。
「出来るだけ目立っておけば、其方が私の庇護下にある事も知れ渡るだろう」
え、……目立たなきゃダメ?
またピカピカ光るの?
「どうした?
目立つのは嫌なのか?」
「いえ、もちろん精一杯舞う所存です。
ただ目立つのにも色々と御座いますので……」
「かぐや殿、見事な舞を普通に、完璧に、間違いなく舞えばそれで良いですからね。
秋田殿からは君が張り切るととんでもない事になるから気をつけた方が良い、と忠告されているんだ。
私は今、秋田殿の忠告を身に染みて感じている処だよ」
何故か多治比様が秋田様とダブります。
何故なのでしょう?
薄毛に悩む者同士?
「多治比様、ご安心下さい。
秋田様は少々心配性なだけですので」
「頼みますよ、かぐやさん」
「はっはっはっは、多治比殿よ。
なかなかに息の合ったおふたりだな」
「息が合っているのではなく、かぐや殿に私が振り回されているだけですよ。
私の気苦労も分かって下さいよ」
大伴様と多治比様のやり取りを見ながら、皇子様が一言、ポロリと零しました。
「かぐやよ。
其方の残念なところは変わらぬと思っていたが、ひょっとして更に酷くなってはいないか?」
ひどっ!
難波長柄豊碕宮につきましては積山洋著「東アジアに開かれた古代王宮・難波宮」に詳しいです。
江戸の昔から難波に壮健な宮があった事は言伝としてあったのですが、発見されたのは戦後です。
山根徳太郎氏の執念とも言える調査の末の大発見でした。