飛鳥時代のドルオタ
刻々と迫る年度末。
気がつけば1月も残り2週間です。
新春の皇子様へのご挨拶のため難波京へと向かう途中、中間地点にあります多治比様の屋敷で一泊でした。
夕餉の席では年齢ダブルスコアの年上、でも中身は10歳以上年下の多治比様の妻にならないかと、元・皇子様の彦武王様から無茶振りされるというハプニングがありました。
しかしそれはいい歳していつまで経ってもフラフラしている多治比様に原因があるのは分かっていますので放置です。
自分自身にも心当たりあるし、だからこそ他人に無理強いするつもりもありません。
ビバ、独身!
大いに結構。
翌朝、朝餉もそこそこに出発です。
まるで逃げるかのように。
そんなに気にしなくていいのに……。
「それではかぐや殿、達者でな」
「お心尽くしの歓待、有難き事に御座いました」
お父様と打ち解けている私を見て、多治比様は少しムスッとしています。
大丈夫ですよ。
多治比様の妻の座なんて欠片も望んでおりませんから。
でもまたいつか刺身は……と望んでおりますけど。
しばらく街道を歩いて行きますと多治比様から声が掛かりました。
「かぐやさん、昨夜は父上が変な事を言ってしまって済まなかったね」
「いえ。
お二人のご様子を見まして、微笑ましいとは思いましたが、変だとは思いませんでしたよ」
「しかし君のような子供を娶れだなんてマトモじゃない。
本当に困った父上だ」
「それほどまでに彦武王様は多治比様の事がご心配なのでしょう」
「心配なんかいいよ。
何時迄も子供扱いは勘弁して欲しいものだ」
「それが自然の摂理かと思います。
お年を召してからの5年10年は、若き時の1年2年、幼き時のひと月ふた月と同じに感じます。
物の道理が分からぬ若輩者は毎日が新しい発見の毎日です。
しかしお年を召すほどに新たな発見は少なくなっていき、刺激の乏しい毎日を過ごす事になるもの。
月日の流れを早く感じるのも当然で御座います」
「君の意見は相変わらず面白いね。
まるで年上の女性から言われているみたいだ。
君が子供でなければ説得力があったのだけど」
「多治比様はご自身がやりたい事とかやってみたい事がお有りなのでしょう?」
「まあ、あると言えば……あるかな?」
「男性のやりたい事とは、なかなか女子には判らない事です。
後に後悔したくないのであれば、思う存分おやりになるのが宜しいかと思います」
「その言葉を父上に言って欲しかったよ」
「そうは言われましても、出ているところが出ていない私が申してましても仕方が御座いませんでしょう?」
「あははは、あれは言葉のアヤだ。
気を悪くしたのなら詫びるよ」
「詫びる程の事では御座いません。
むしろこの歳で出ていたらそれこそ大変な事ですから。
同じご趣味をお持ちの秋田様も身を固めましたし、そのうち多治比様も落ち着くのではないですか?」
「ははは、秋田殿を見ていると二の足を踏んでしまいそうだ」
「ただ……」
私が言い淀んでいると多治比様が聞いてきます。
「ただ……何だい?」
「多治比様の仰っていた理想の女性とは額田様しか居ないのではないかと思ってしまいました。
もしそうなら行く先は生涯独身ではないかと思いましたので……」
(ぎくり)
何か変な音した?
「そ……そんな事はあるはずが無いじゃないか。
だ……だって額田様は皇子様の妃なのだから。
皇子様の下で働いている私がどうにかなるはずが無いだろう?」
まさかの図星です。
マンガみたいに狼狽える人は久しぶりに見ました。
普段の多治比様の飄々としたそぶりが全く伺えません。
「いえ、私は4年前の新春の儀で額田様とお会いして、一言二言お声を掛けて頂きました。
たったそれだけでしたが、憧れずにはいられない素敵な方だと思いました」
「そうだよね~。
本当に素晴らしい御方なんだよ〜。
美しさは西施や王昭君、貂蝉にも並ぶ程で、
歌も並外れて上手いし、歌に掛ける情熱もすごい。
にも関わらず、心根は天香山に滴る朝露の程に澄み切っているんだ。
正にこの世に現れた天女のような御方だ」
うわぁ〜、一気にオタトークに入ったよ。
ドルオタか!?
推しの姫?
「しかし、額田様が素晴らしい事と多治比様がご結婚なさらない事は関係ございませんよね?」
「えっ?
そう……なのかな?
そうだよね」
少し厳しい言い方になってしまいました。
自分自身現代でもオタ気質があったし、現在進行形であるので他人の趣味を否定はしたくありません。
しかし相手が悪過ぎます。
人妻です。
上司の若奥様です。
思いを寄せた時点でダウト〜です。
かと言って辞めろと言われて辞められるのなら、誰も苦労しません。
せめて方向性を変えさせなきゃ。
「私の様な幼子ですら虜にしてしまう額田様の素晴らしさは言うまでもございません」
「うんうん、そうだよね」
「私が額田様にお会いして舞い上がっている様子を大海人皇子様がご覧になって、田舎の娘ですら額田様を知っている事を喜んでおりました」
「うんうん、そうだろうね」
「手の届かない高嶺の花であるのなら、いっその事、多治比様の伴侶となる方も額田様を崇める方をお選びになっては如何ですか?」
「そんな都合の良い女性なんているのかね?」
「額田様の素晴らしさを考えましたら、皇子の宮にも額田様の虜となっている官子がいるはずです。
いっその事、催しなどやってみて、歌人をお集めになるのも宜しいかも知れません。
そのくらいの事はお出来になりますでしょう?」
「まあ、歌の催しは好きだし、仲間内でも楽しんでいるけど?」
「いえ、もっと大々的にです。
身分の垣根を超えて、優れた歌人には歌だけで生活が出来るくらいに後押しするのですよ。
世に埋もれた素晴らしい歌人の後援者となれば同じ歌人同士で接点も増えますし、自ずと同じ趣味を持った女性も見つかるのでは無いでしょうか?」
「それは面白い案だね。
好きな歌と親しめるだけでなく、この様な私でも歌の世界に貢献できる。
同じ趣味の女性が見つかるかも知れないかどうかは分からないけど面白そうだ」
「彦武王様もお喜びになりますよ」
「それはどうかな?
でもまあ君の提案は考えてみる価値がありそうだ。
父上は兎も角として、何よりも歌が大好きな額田様を喜ばせられそうな気がするよ」
やっぱそっちへ行くんかーい!
「ま……まあ、歌に打ち込む多治比様をご理解する女性が現れる事を祈っております」
「そうだね。
君の歌の実力では、後援者となるには少し厳しいからね」
「お役に立てず申し訳ございません」
ふー、危ない、危ない。
この時代、男女関係に寛容だとは言え、後の天皇である大海人皇子を敵に回したら生きていけめせんからね。
多治比様がどうなろうと知りませんが、連座で私までとばっちりを受けては構いません。
それに……額田王のこの先の波瀾万丈の展開は万葉集でも有名な話です。
架空の話の『竹取物語』なんかよりもよほど数奇な運命を辿る事を私は知っています。
だからあまり深入りしたくないなぁ……。
【天の声】はい!フラグ立ちました。
額田王と『王』が付く名前は皇女であるはずなのですが、それを裏付ける情報に乏しく、おそらくは皇女で無いと思います。
通説では帝の曾孫に当たる鏡王の娘とされておりますが、鏡王は臣籍降下しているので額田王は皇女で無いはず。
そもそも鏡王ですら経歴が曖昧です。
なので本作では額田王を地方の有力者の娘として扱っています。
初出で『額田郎女』と紹介したのもそのためで、『額田様』を多用するのもその一環です。