丹治(たじひ)の魚料理
時代考証的にかなりムリをしております。
多治比様が言っていた丹比の屋敷、と言うより一つの小都市に入りますと、確かに以前多治比様がお話をしていたように飛鳥の京に負けない賑やかさがありました。
広さはちょっとした大学かマンモス高校という感じて、外周を一周走るだけで長距離走が出来そうです。
それと一種独特な臭いがします。
銅や鉄の加工が盛んだと言ってましたから、その臭いなのでしょうか。
異世界ファンタジーならさしずめドワーフの街、みたいな感じ?
私達一行はその中でも一際立派な屋敷へと入って行きました。
私と源蔵さんは、しばらくお休み下さいと別室へと通されてしばらく待機です。
もしかしたら皇子様でした多治比様のお父様にお目通りするかも知れませんので、荷物の中から室内着を引っ張り出して着替えました。
普通でしたら横になったりして疲れた体を癒すのですが私にはこれがあります。
チューン! チューン!
筋肉の中の疲労物質を洗い流すイメージを乗せた光の玉を私と源蔵さんに当てて乳酸退散。
小一時間くらいした頃、お呼びがありどうやらお食事の用意が出来たみたいです。
案内の人に通された広い部屋には多治比様とご両親らしき方、それとご親戚?っぽい感じの方々が10名程居ました。
「かぐや殿、こちらに座りなさい」
いつもとは口調が違う多治比様が声を掛けます。
「はい、失礼致します」
静々と席へと向かいゆっくりと座りました。
「其方が讃岐の国造の娘か?」
「はい、左様に御座います。
名をかぐやと申します」
「ほう。皇子殿に見込まれた娘と聞いていたが、年若いのによく出来た子じゃな。
私はこの地を治めている多治比の長、古王じゃ。
この地に来たのは初めてかな?」
「はい、この地を訪れたのも、大和国の外に出たのも、山を越えたのも初めてに御座います。
心踊る街の様子にとても驚いております」
「ほっほっほ、それならば見るものは全て珍しかろう。
明日には難波の宮へ向かうと聞いている。
ゆっくり出来ぬであろうが帰りにでも寄るといい」
「はい、とても有難きお心遣い感謝申し上げます。
私の監督者で御座います嶋様に相談致したく存じます」
お相手は元・皇子様です。
最上級の敬意で受け答えする私の様子を見て、多治比様のお父様はご満悦な様子です。
たぶん『小さいのに良く出来ました』的な感じだと思いますが、こうゆう時は子供の体で良かったと思います。
これがアラサー事務員ですと、訳もなく無茶ぶりされたり、ちょっとした事でブチ切れされたり、挙げ句セクハラ行為したうえに「若い娘じゃあるまいに何を純情ぶっているんだ」と人格攻撃にまで及ぶことがありました。
取引先のお偉いさんのセクハラを先方の社長さんや然るべき場所へ訴えでもしたら、そいつは来なくなるでしょうけど、仕事も来なくなります。
いち事務員は震える拳をグッと引っ込めて辛抱するしかありませんでした。
あの拳をあのセクハラ親父の顔面に叩き込んだらどんなにスッキリしただろう、と幾度空想したことか……。
などと頭の中でセクハラ親父をど突いているうちに配膳が終わり、私の前にもお膳が用意されておりました。
……あれ?
これってもしかして?
「山に囲まれた大和国では食すのが難しであろう食材を用意したが如何かな?」
『山育ちには見たことも無い食材を用意したが、食えるか?』とも取れる挑発的な発言ですが、今の私にはそんなことはどうでもよい事です。
つやつやのピンク色でプリプリした短冊上の食材。
この時代の衛生環境では絶対に食べられないであろう刺身です。
季節は冬。
魚辺に師走と書いて鰤です。
横にある小皿には醤油?……いえ、多分魚醤でしょうか?
「こ、これを食して宜しいのですか?」
「ほう、これを食べられるのかな?」
「それではご馳走になります」
魚醤なのでつけ過ぎずチョンと触れただけ。
脂が乗っていて魚醤をはじきます。
あーん、ぱくっ!
もぐもぐもぐ。
ふぉぉぉぉぉ。
あ、いけない。
寄生虫退散の光の玉を忘れていました。
チューン!
美味しい!
古代も現代も変わらない鰤のプリプリの食感。
口に入れた瞬間に広がる魚特有の不飽和脂肪酸が噛むほどに広がり、EPAとDHAの香りが口内を突き抜けて鼻孔を突破しています。
【天の声】全然美味そうに思えない食レポだな。
「まさかこのような貴重なものを頂けますとは思いも寄りませんでした。
私はこの世に生を受け、今日至高の食事をさせていただきました」
「ほっほっほっほ、かぐや殿にはこれが何であるのか分かっておるみたいだの。
先ほどまで河内の海で泳いでいたのを捌いたばかりじゃ。
この地でこの季節でしたか食すことが出来ぬ食材であれば、そのような感想も無理からぬもの。
野暮なものは何であるかもわからず、口に入れることも躊躇うというのに、かぐや殿は博識じゃな」
「いえ、そのようなご評価は過分に御座います。
魚を生で食する醍醐味は海でしか味わえぬもの。
山育ちの私にはもう二度と口にすることが叶わぬ貴重な機会を頂き、感謝しております」
「喜んで貰えたならそれで何よりじゃ」
「それれはこの感動を歌に認めたく存じます」
「ほぉ、聞かせておくれ」
「丹比の海
たおやかぶり(鰤)の 面が取れ
旨しきさなか 慌てふためし~」
「はっはっはっはっは、面白い!
機転が利いておる上に、どれだけ美味かったかも分かろうというもの。
楽しいひと時であった」
「恐悦至極に御座います」
お父上様は満足して頂けたみたいです。
「かぐやさん」
あれ、多治比様が少し困惑気な様子です。
「はい?」
「本当に君は追い込まれると才能を発揮するのだね。
今まで聞いた歌の中で一番の心のこもった歌が鰤の刺身だとは……」
「申し訳ございません。
鰤のあまりの美味しさに淑女の面が取れてしまいました。
明日の出立までには付け直します」
「宜しく頼むよ」
多治比様にお小言を言われてしまいました。
「ところで嶋よ」
そこへお父上様が多治比様へ話題を振りました。
「何で御座いましょうか?」
「其方はそろそろ妻を娶らぬのか?」
「いえ、その話は前からお断りしております故。
今は気楽なのが一番です」
ああ、独身あるあるですね。
実感に帰る度、結婚はまだかと聞かれるのはいつの時代も同じみたいです。
「其方がフラフラしておるのを皆心配しておるのじゃ。
いっそのこと、そこにいるかぐや殿を娶ったらどうか?」
げぇぇぇぇ、とんでもない流れ弾が飛んできました。
「ちょ、ちょっと待って下さい。(げほげほ)」
多治比様が食べ物をのどに詰まらせてしまいました。
私も危うい所でした。
せっかくのお刺身が……。
【天の声】心配なのはそっちの方か?
「あのですね、かぐや殿はまだ12です。
年が明けて13になるとはいえ、いくら何でも年下過ぎやしませんか?
まだ子供ですよ」
「其方も子供であろう」
「いえ、私はもう24です。
子供ではありません。
娶るのならこう……出るところが出いて、歌や詩に造詣のある方が好みなんです」
「もうそんな歳じゃったか?
ならば早く身を固めても好かろうに。
かぐや殿なら見目もよく、将来が楽しみな子じゃ。
数年も経てば、でっかくなろう」
何か……親子揃ってセクハラ発言してますけど。
ぺったんこで悪かったですね。
多分将来Bカップはいくと思うけど、触らしてやらないから。
というか、どうして私なの?
「古王様。
大変申し訳ございません。
嶋様には讃岐の地で、お転婆な私を嫌というほどご覧になております故、私に対しましてそのようなお気持ちになるのは難しいと存じます。
歌の才もいつも注意されてばかりで、本当に至らない娘に御座います。
あまり嶋様をお困りにさせないで下さいまし」
「嶋よ……。
かぐや殿がこのような事を言っておるが、気を使わせてどうするのじゃ?」
「いえ、気を使わせてしまっているのは父上ですよ。
本当に勘弁してください。
娶る時は報告しますから、辺り構わず女性を私とくっ付けさそうとするのはお止め下さい」
「本当にか?」
「はい、キチンと報告しますから」
元・皇子様と御曹司との会話といっても、現代の一般人とあまり変わらないのですね。
でもこちらに矛先を向けるのは勘弁してください。
それでなくても『竹取物語』に出てくる求婚者があと二人現れていないというのに、これ以上増やされては構いませんから。
何かお刺身の感動が飛んで行ってしまいました。
サッサとお面付けよっと。
刺身の文化は現在の醤油が庶民に出回る様になってから、というのが通説ですが、海辺の人が食べないはずはないと思い刺身料理を出してみました。
魚醤につきましては、藤原京跡から「鯽醢」と書かれた木簡が発見されたそうです。
他にも景行天皇(A.C13-130)に魚醤らしき調味料を献上したという言い伝えがあるとか?
丹比(堺)の街並みにつきましては、またいずれ。




