幼女がなりたい職業
いつもありがとうございます。
調査は無事(?)終わりました。
次は帳簿作りです。
この時代の人には”表”という概念はたぶんありません。
でも表にしないと管理し難いので、私は表で管理します。
現代ではずっとパソコンでパパっとやっていたから、手書きの罫線なんて中学生以来かしら?
この時代の紙はコピー用紙と違ってかなり分厚いので両面を墨で書き込めます。
全頁の両面に表の罫線を引いて、家長の名前、年齢、所有する田畑の広さ、家族構成、税負担額、をそれぞれのページの頭に書いていきます。
そして表の最初に年号を書きますが、西暦はもちろん、昭和、平成、令和といった年号もまだありません。
日本で一番最初の年号が西暦645年の大化元年ですが、大宝律令が制定された西暦701年まで定着しませんでした。
つまり八世紀になるまで年号が使われていなかったのです。
それ以前の年号の数え方は六十干支と言われるもので、子丑寅辰…の干支と、甲乙丙丁戊…の十子の掛け合わせで数えます。
現代での私の母が、自分は丙午生まれでした。
何でも丙午の女性は男を喰うという迷信があるので、その年だけ子作りを控えるため人口が減るのだそうで、昭和41年生まれの人は他の年代に比べて少ないだとか。
そこから逆算すれば、いずれこの時代の西暦も分かると思います。
ちなみに六十干支は六十年で一巡するのでこれを還暦と呼びます。
千四百年経った現代でも使われている言葉ですね。
閑話休題
表の一番上に昨年の納税状況を書き入れます。
百三十件を手書き入力……あれ? 記録が百二十五件しかありません。
税金未納の家があるのか記載漏れなのか分かりませんね。
後でチェックしましょう。
この分だと一昨年、その前の年の分も調査しなければなりませんし、場合によっては追徴課税です。
マルサさん出番です!
♪ たーらら らーらららーらっ ♪
地税の納税額の計算は合っている方が少数派で、土地の広さとの整合性が全然取れていませんでした。
これはこちらのミスの可能性があるので、不足分を出せとは言えません。
払い過ぎの人は二十五年間ずっと多く払ってきた可能性があります。
逆に払い戻ししなければなりません。
人頭税は成人の人数×布2反ですが、前回調査の二十五年前とではだいぶ様変わりしておりました。
これも修正の必要がありそうです。
労役について記録がありません。
労役に従事した日数についてもキチンと記載する必要がありそうです。
今年は屋敷を建てたりしたから、相当に負担になっていたはずです。
既定の労役を超えた分についてはお米か何かで払い戻すようにしましょう。
ふー疲れました。
現代でこんなに仕事に対して充足感を感じた事はありませんでした。
やはりやらされる仕事と自ら進んで行う仕事とでは全然違うものなんですね。
現代に戻ったらぜひこの体験を活かしたいものです。
戻れれば……ですけど。
◇◇◇◇◇
「ちち様、調査終わった。これ帳簿。確認して」
「おぉ、娘よ。どれどれ、見せてごらん」
糸で閉じた帳簿をパラパラと捲り、全部見終わった後で……
「娘よ。なんじゃこりゃー! すっごく分かり易いぞ!
一目で全部わかる。今までの粗がもろ分かりじゃ。
これは秋田殿に教わったのか?」
「違う。自分でやった。税率ははは様に教わった」
「うーむ、これならば取りっぱぐれも無くキッチリ納税させることも可能じゃ。
ウハウハじゃのう。わーはっはっはっ」
「ちち様、それ違う。ちち様の取り分二割。八割は領民のため」
「は、八割とな? そんなに何に使うんじゃ?」
「むしろ足りない。治水、開墾、治安、道路、中央への貢物、不作への備え、教育福祉、医療、老後の備え、やる事いっぱい」
どうやらお爺さん、領地経営のビジョンというものを持っていないみたいです。
基礎となる税収からアレでしたから無理もありません。
しかし歴史上最も恵まれた時代に生きてきました私の価値観をこの時代に当て嵌めても失敗するでしょう。
例えば介護保険制度を導入したとしても、要介護認定を受けられる老人は数人しかおりません。
現地調査でお年寄りが驚くほど少なかった事が思い出されます。
しかし必要なものもたくさんあります。
治水はシミュレーションゲームでも定番です。
歴史的にみましても治水に大変な苦労をしてきたと、日本放送協会の夜の番組でもぶらぶらと紹介していました。
医療は私が光の玉でどうにかするとして、教育は必要です。
何故なら教育機関には書物が必要だからです。
書物の中には私が探し求めていたモノがあるかも知れません。
そして学校では私が教育ママならぬ教育幼女となって領民の子供たちをビシバシ鍛えて、言う事聞かない子には光の玉をぶつけてハゲ散らかしてしまいましょう。
あぁ、何だかゾクゾクしてきました。
これでは姫様ではなく女王様になってしまいそう。
オーホッホッホ。
いけない、いけない。空想も程々にしておきましょう。
「教育大事。国造のお仕事、人材中央に送り出すこと」
「うーむ、娘には驚かされる事ばかりじゃ。
じゃが申しておることは正孔を射ておる。
ワシも考えを改めねばならぬな」
「さすが、ちち様。さすちち」
「わーはっはっはっは。
娘の仕事ぶりは中央の官吏にも引けを取らぬ手際の良さじゃな。
いずれは官仕えとして帝の宮へ行くかの?」
……あ。
すっかり忘れてました。竹取物語にはラスボスがいたのです。
それは帝。
帝のアタックは5人の求婚者とは比べ物にならない程強力なものです。
何せ国で一番偉い人ですから。
だけど今の私はどう見たって伝説の美女には程遠い地味顔です。
帝どころか求婚者にも振り向いてもらえない可能性が大です。
今はただ単に地元のお姫様で幼女だからチヤホヤされているに過ぎません。
自分の実力を見誤ると痛いしっぺ返しを受けるのは昔話の常ですからね。
しかし宮仕えには興味があります。
片田舎に居るよりもたくさんの書物に触れる機会がありそうです。
喪女生活を満喫するなら官吏を目指すのもありかも知れません。
何よりも国造の役目の一つが子弟を中央へ送り出すことなのです。
人質的な意味もありますが、現実的な目標と試してみたくなりました。
「うん。宮仕えする」
「おぉぉ、娘よ。そなたならば引く手も数多であろう。
娘の仕事ぶりは見事じゃった。
きっと優秀な女官となるであろう。
父も楽しみじゃわい。わーはっはっは。」
【天の声】
……という爺さんの本音はこうだった。
『美しい我が娘ならば貴公子共が放っておくまい。しかも賢さは予想以上じゃ。高位の貴族に仕えても恥ずかしくない。その上、帝ですら欲しがる能力を秘めておる。わしは帝の義理の父の座を射止めるやもしれぬ。末が楽しみじゃわい。わーはっはっはっはっはっは。笑いが止まらぬわ』
「ちち、ウザイ」と言われる日もそう遠くなさそうな竹取の翁であった。
そしてかぐや(仮)のこの思い付きが、後々とんでもなく大変な事態を引き起こす事をまだ知らなかった。
暦につきまして、作者の頭の中ではだいたい大化の改新(645年)の少し前くらいを想定しています。
まだストーリーが固まりきっていないので現時点での西暦を明確にしておりませんが、あやふやなままにしようかと思っています。