上司とのお付き合い
近鉄が便利すぎて奈良県民は大阪が身近な件。
多治比様がいらしてからひと月が経ち、収穫の季節となりました。
私が稲作の改良事業をやるのは舎人としてのお仕事です。
サボりたくてもサボる訳にも参りません。
手探り状態でした品種改良のやり方が練れてきて、目的を持って改良を加えるようになってきました。
引田様を始めとして農業試験に参加する氏族が増えたおかげで、手に入る種籾の種類が増えてきたこともあって大忙しです。
中臣様の舎人さんは最初の頃はゴネて田んぼに入ろうともしませんでしたが、私の説得が骨身に染みたらしく、人が変わったかのように取り組んでくれます。
元々が優秀なので任せっぱなしにも出来ますが、いつ引き戻されるか分かりません。
ウチからは太郎さん(息子)と源蔵さんが試験に参加しています。
細かな稲の選別や特徴を見つけるのはやはり本職には敵いません。
もっぱら私は記録係です。
あとは苦手な統計処理。
一方で、監視の多治比様は監視しかしません。
田んぼに入って農作業をする私を怪訝そうな様子で遠巻きに見ています。
雅がお好みの多治比様には、きっと農作業をするような女性は女性と見なせないのでしょうね。
多治比様は私達のやっている事がどうゆうことなのか分かっているのか、分かっていないのか、が分からりません。
一体どの様な報告がされるのでしょうか?
田んぼに入って稲刈りをして、牛さんと戯れて、領民と変わらない格好で歩き回っている私の様子を聞いて、「其方は本当に残念な女子だな」と言う皇子の姿が思い浮かびます。
……ま、いいけど。
そんなある日、多治比様が私へお尋ねになりました。
「かぐやさん、君は農作業をする事に全く躊躇いが無いようだけど、国造の娘とは皆そうなのかな?」
「申し訳ありません。
私には国造の娘同士の交流がありませんので、他がどうであるのか存じ上げません」
会う度、嫌みを言う二人なら知っていますが……。
「私はこの様な事には疎くてね。
正直、どの様に報告すればいいのか分からないんだ。
で、君が特殊なのか、地方が皆こうなのかを知りたくてね」
「ここは試験場ですので、私が特殊かも知れません。
しかし、私自身が手ずから育てているのは精々私が食す分くらいで、稲を育てているというのも烏滸がましいくらいです。
「それがどの位なのか分からないんだよね」
「今から脱穀しますので、それで判断されては如何でしょう?」
「脱穀って大変なのかい?」
「以前は根気のいる仕事でしたが、千歯こぎが出来てからは楽になりました。
子供でも出来る作業です」
「それならいいか。
泥の中に入るのはさすがに……ね」
「止ん事無き貴公子様にその様な事はさせませんからご安心下さい」
「気遣い痛み入るよ」
千歯こぎがある場所へと行き、源蔵さんに稲穂のついた稲わらを持って来て貰いました。
多治比様が三株一束に縛った稲を千歯こぎで脱穀して、五束やったところでゴザの上に溜まった籾付きのお米を回収しました。
俵に移すための鉢に入れて、多治比様に差し出しました。
一杯分に満たない僅かな量です。
「たったこれだけなんて少な過ぎやしないか?」
思ったほどお米が採れなくて、多治比様は驚いています。
「いいえ、逆です。
改良によって増えた結果がこれです。
以前は同じ株から採れる量はこの7割以下でした」
「それじゃあ、田から採れる米なんて微々たるものじゃないのかい」
「他所では分かりませんが、ここでは一家につき五反の田を貸し与えております。
五反(約500アール)の田でおおよそ一万株の稲が実ります。
そのうちの十五株を脱穀したのがこれに御座います。
大体二合(300g)位でしょうか?
一万株ですと千三百合、つまり13斗(約1000kg)くらいになると思います。
そのうちの二斗(30kg)を地税として徴収しております」
「計算が早いね。
それは十分な量なのかい?」
「一家の一年分の食料とするには少し厳しいかと存じます」
「じゃあ、もっと田を広くすれば良いのではないのかい?」
「150戸の家に全て田畑を広くするのは大変な作業です。
水も足りません」
「じゃあどうすれば良いんだ?」
「田畑を広くする事業は粛々とやっております。
そのために去年からため池を作る工事を始めました。
今出来ることとしてましては……、
一つは同じ広さでよりたくさんの株を育てるため土の滋養を豊かにする事。
一つは一株で実る籾の量を増やすため、稲の品種改良に注力しております」
「何だ、簡単じゃないか?」
「残念ながら、どちらも難しい事です。
昔から延々と稲作をやって来てようやくここまで稲を育てられる様になったばかりです。
成果が出るまでに十年単位で取り組まなければなりません」
「難しい、難しいと言うけどね、それは本当に難しいのかい?
やっていないのを言い訳していたとしても私には分からないよ。
それをいい事に私を騙しているかも知れないし」
多治比様が無茶振りする上司みたいになってきました。
稲作を全く知らないから無理もありませんが、この様な人に私の仕事の報告をされては叶いません。
「それではこうしたらどうでしょう?」
「一緒に田んぼに入って農作業しろとは言わないでよ?」
……チッ!バレたか。
「今、多治比様は十五株分の脱穀をしましたよね?」
「ああ、そうだね」
「それでは来年、十五株だけ育ててみては如何でしょう?」
「十五株だけ?」
「はい。
それを130倍にすれば、一反当たりの労力がどれくらいのものか推し量ることが出来ると思います。
また私達がこの地で如何にして収穫を増やしているか。
それがどれ位に難関であるかを理解するのに役立つと思います」
「なるほどね。
言い包められている気もするけど、私が無知であると思われるのも癪だからその案に乗ってみようじゃないの」
「ご理解頂きましてありがとう御座います。
ところで多治比様は丹比のご出身と伺いましたが、丹比では稲作はやってられないのですか?」
「やっていない事はないけどね。
屋敷から田畑が見える様な事はないね。
難波の港と飛鳥の京を結んでいる竹内道沿いだから、京に負けないくらい賑やかな所なんだ。
一度君も見に来るといい」
「見る機会があればいいのですが……」
「それは心配しなくていい。
正月には皇子様との謁見のため難波京へ行くのだから。
忘れてないよね?」
「え? えぇ!
もちろん忘れておりません。
この地で採れた作物を献上したいと思っていますので。
ほほほほほ」
そう言えば新年は難波京へ行くのでした。
(すっっっかり忘れてました!)
近鉄に乗れば30分で行けますが、この時代はどの位掛かるのでしょう?
皇子とは三年前にお目見えして以来です。
きっとまた、残念な女子と言われるのだろうなぁ。
収穫量の計算は第8話『元・OLの血が噪ぐ!?』で解説しました通りです。
当時の収穫量が1反当たり約120kgとして、その2倍(200kg)で計算しました。
それでも現代の1/3くらいです。




