トネリトナレ?
いよいよ大きく動く……かな?
毎日同じ事の繰り返しが続き、こんな生活がこれからもずっと続くかも?
……と思い始めた秋の終わり、中臣様が久しぶりに讃岐へとやって来ました。
赤ちゃんもだいぶ大きくなりましたから、『知らないオジサン』と言われないためにももっと足繁く通った方がいいと思うのですが、中臣様は子供との甘い時間もそこそこに、私を呼び出しました。
「はぁーぃ、かぐやさんーん。3番テーブル入りまっす」
違うって。
すっかり与志古様とご一緒かと思ったのですが、行った先は中臣様と一対一の圧迫面接でした。
逃げたい……。
「かぐやよ。美々母与児は健やかに育っている様で安心した。
そなたも足繁く通って様子も見に来ていると聞いた。
礼を言う」
「そんな勿体無い言葉に御座います。
私が取り上げた子ならば、気にならないはずが御座いません」
ちなみに美々母与児ちゃんは赤ちゃんの名前です。
中臣様が命名されたと聞いています。
明らかに与志古様からお名前を頂いています。
「私は忙しい。
あまり猶予がないので要件だけ伝えておく。
其方は次の正月で十三になるのだな?」
「はい、左様に御座います」
「つまり後宮に入れと命じられれば、余程のことが無ければ断れぬと言う事だ」
「はい、余程の事がどの様な事なのかは分かりませんが、その通りに御座います」
「余程の事とは、病弱であったり、二目と見られぬ醜女であったり、後宮の風紀を乱しかねぬ不貞の輩であったり、或いは高貴な者の伴侶であるか、だ」
「醜女は合っていませんか?」
「残念ながら……かどうか分からぬが、其方は醜女ではない」
「では大人しく後宮へ入るしか道は無いと思われます」
「しかしだな、私は其方が後宮に入るのは損失だと考えている」
「損失、ですか?」
「そうだ、ここでやっている事業が中断されるだけでも十分に損失なのだ。
私としてはいずれ其方が京に来て其方の能力を発揮する場所を与えてみたいとも思っている」
「それほどまで高く評価して頂きますのは、恐縮な上に畏れ多過ぎる事です。
私は田舎で土と戯れているのがお似合いです」
「其方の自分に対する評価が低いのは今に始まった事ではない。
この様な些事で言い合いをするつもりはない故、結論から言おう。
其方は皇子の舎人となれ」
トネリトナレ?
………………は?
「申し訳ございません。
理解が追いつきませんでした」
舎人って偉い方の下について働く家来みたいな人ですよね?
わたしが中大兄皇子の家来に?
それが何の解決になるの?
ひょっとしてスカウトなの?
私は一体何をするの?
「其方が理解できぬのは分かった上で申しておるから安心しろ」
いえ、安心できる所が皆無なんですけど。
「まずは順を追って説明する」
「は……はひ」
「ふっ……。
後宮へ入内せよと命じるのは帝ではあるが、帝が直接入内を促す事は極めて稀だ。
大体は内侍司が手配し、選別し、配置するのだ」
「そう……なんですね」
「内侍司が後宮に入る者を選別するのは、家柄、出自、容姿、年齢、歌や舞の才能、礼儀作法、など様々だ」
「舞……ですか」
「そうだ。
其方は帝の前で舞った経歴があり、国造の娘で、容姿も整っておる。
年齢が達したなら、遠からず声が掛かるであろう」
「そうなんですね」
「それを断る口実となると余程の者の妃であるとか、逆に浮世の名を欲しいままにする稀代の悪女であるかでなければならぬ」
「悪女はともかく、高貴な御方とは?」
「官人では話にならぬ。
阿部倉梯御主人ならば或いは……?
だが国造の娘では引き止めるのは難しかろう。
有力氏族の車持氏の娘ですら、家臣への褒章代わりに下賜される様な扱いなのだ」
ああ、与志古様の事ですね。
結構腹に据えかねていたのかな?
「伴侶となる相手が幼児の真人となれば尚更だ。
かと言って、私が其方を娶るのは流石に外聞が悪い。
其方も喜ばしくはあるまい。
それに与志古に不服があったと思われては叶わん」
「はあ、申し訳御座いません」
「何を謝っているのか分からぬが、まあ良い。
そこでだ」
(ごくり)
「皇子の関係者であれば、帝が直接入内を言わぬ限り、内侍司がちょっかいを掛けてくることはあるまい。
だが其方を娶りたい物好きな皇子は今のところ居らぬ。
故に舎人となれ、という事だ」
つまり……皇子様の舎人になれば後宮へ入る事は無くなると。
しかし後宮に入るのと舎人となるのと何処が違うのかが分かりません。
それに舎人になって何するの?
分からないことばかりです。
「申し訳御座いません。
皇子様の舎人となる事で後宮に呼ばれる事が遠のく、という事は理解できました。
しかし舎人となって、何をすべきか、何が出来るか、そもそも何の得があるのかが想像出来ないでおります」
「ふむ……、まず何をすべきかだが、今まで通りで良い」
「え? 何ですか、それ」
「別に舎人だからと言って、舎人が全員皇子の宮に居なければならないという決まりはない。
故に其方は今まで通りの事を舎人となり続けよという事だ」
ひょっとして中臣様と皇子っていい人達だったの?
拝んでいいかしら?
「話を続けるぞ。
いいか?」
「は、はいっ!」
「次に何が出来るかと言えば、宮への出入りが叶う様になり目にする書も増えよう。
無論、皇子の許しを得た上でだがな」
「お忙しい皇子様が私の様な子供に気をお掛けになるとは思えませんが」
「ああ、おそらく其方は葛城皇子の事を言っているのであろう。
今の葛城皇子は正に厳戒体勢の最中に居るのだ。
謁見できるのも限られた者だけで、其方の事なぞ蚊ほどにも思っていまい」
え? どゆこと?
私がポカンと呆けていると、中臣様は言葉を続けます。
「其方が3年前に会った葛城皇子の弟君は覚えておるか?」
「はい、よく覚えております。
その翌々日の宴では額田様とご一緒でした」
(※第69話『飛鳥宮で二度目のチート舞(1)・・・社交』参照)
「そうだ。大海人皇子が其方を舎人とする事に前向きなのだ」
!?
あの謎の人②が?
私の事を散々残念な女子と言ってたのに?
「申し訳御座いません。
名前をお伺いしておりませんでしたし、名乗りもされませんでしたので、あの時の皇子様が大海人皇子である事は今初めて知りました。(スッとぼけておりますが)
仮にそうだとして、大海人皇子が前向きなのが理解できません。
残念な女子、というのが皇子様の私に対する印象なはずです」
「ああ、確かに。
今回の話をするに当たって皇子と話をしたが、其方の事を残念な女子と言ってたな。
それく程に印象深かったという事であろう」
つまり私が大海人皇子に舎人となる事は承諾済みって事ですね。
少なくとも嫌われたりはしていなさそうです。
しかし………、まだ頭の中の混乱が続いています。
♪よーく考えよぉ〜
私の頭の中でイケメン俳優が子供たちと一緒に歌を歌っています。
私の混乱の原因は……勤務形態が不明確だから?
在宅勤務の難しさを私は身をもって知っています。
マスク嫌いのアメリカ人ですらマスクをしなければならないパンデミックの最中、私の勤めていた会社でも在宅勤務が推奨されました。
でも総務のお仕事が自宅で出来ることって半分くらいしかないし、あの期間、仕事をした感覚が全然ありませんでした。
会社から貸与されるパソコンに監視ソフトが入っているのは分かっていましたが、後でキチンと精査したとは聞いていません。
結局、パンデミックの後、在宅勤務体制を推奨する企業はほぼ無くなって、やっぱり会社が一番、と満員電車に揺られる生活に戻っていった事例が思い起こされます。
「私が大海人皇子の舎人となる事につきましては理解いたしました。
意を唱えるつもりも御座いません。
ただ舎人の在宅勤務というものがどの様な形態で行われるのかを思考が出来ません。
私が舎人となる事で皇子様はどの様な利益をお望みなのか、
この様な勤務形態で皇子様に不利益は無いのでしょうか?
また不利益だけでなく危険性も考慮すべきかと思います。
それに私に利しかない事が気になっております」
要するに美味い話には裏があるでしょ?と聞いているのですが。
すると中臣様はニヤリと笑い、こう答えました。
「やはり気がつくか、かぐやよ。
在宅勤務なる言葉は初めて聞く言葉だが、妙にしっくりくるな。
皇子にとっての利は、競合する相手、具体的には帝に其方を取られぬ事が利となる。
其方がこの先、有望であればあるほどな。
不利益は其方のやらかしが皇子の不徳とされる事だ。
それ故、監視が付く。
政敵が其方に近づき間諜に仕立て上げられては叶わんしな。
監視というより皇子の信任の厚い協力者だと思えば良い。
だが其方の利については当方は全く考えておらぬ。
むしろ喜ばしいことは何もないはずだ。
普通の舎人とは主の元に侍る事を是とする者だからな。
それを其方が勝手に利と思っているだけだろうよ」
何となく分かってきましたが、分からない事がいっぱいです。
かと言ってこの国のトップにいる中臣様に詳細を尋ねるのはあまりにも不敬です。
「皇子様の舎人となる旨、承りました
それでは当面は監視の方がおいでになるのをお待ちしております。
私の様な幼い子供に内臣である中臣様が直々に御下命を賜りまして大変恐縮に御座います。
この身をもちまして全身全霊で当たります事をお誓いします」
せめてもの抵抗ではありませんが、深々とお辞儀をして私の持っている最大のボキャブラリーで答えました。
【天の声】横綱伝達式の口上か?
在宅勤務の間、仕事そっちのけでゲームやっていた人、多いと思います。