【幕間】比羅夫の直感
毎度お馴染みの第三者視点の幕間です。
***** 阿部比羅夫視点 *****
ふー……最近の中央の動きは何やらきな臭い事ばかりだ。
楯突くつもりは無いが、進んで従いたいとも思わぬ。
特に新たに任命された左大臣にはな。
先の左大臣、阿部倉梯内麻呂殿とは何度か謁見したが、さすがは阿部氏の宗家に相応しい御方であった。
自分にも他人にも厳しく、見識もあり、政を正しく導ける方であった。
若きご嫡男を残して逝ってしまわれたのはさぞ無念であったであろう。
疋田で越国を治める田舎武官である私に氏上のお鉢が回ってくるなんて、何の罰が当たったのであろう。
普段の行いか?
心当たりがあり過ぎる。
早々に内麻呂殿の嫡男に氏上の座を返したいものだ。
そういえばご嫡男殿から、越国に来たいと文が来ていたな。
ならば直接行って人となりを見ておこうか。
ついでに一緒に出立してしまえば手間も省ける。
今は京の外れにある讃岐とかいう土地で喪に服しているそうだ。
馬なら1日も掛からぬな。
……と先触れもなく、臣下を率いてやって来てしまった後に気付いたのだが。
これでは我々は讃岐を襲撃しに来た郎党ではないか?
まあ、敵意がないと言えば分かって貰えるだろうし、斬り掛かってこられても往なしておけばいい。
その辺の有象未曾有に遅れをとる私ではない。
讃岐へは半日で讃岐に着いた。
道が思いの外良かったのだ。
しかしここは……、何と言うか妙な土地だ。
田畑が手を入れた庭園の様に整いすぎている。
そして領民が自信に満ち溢れたかの様な雰囲気なのだ。
普通の領民とは、常に俯き、米を育てるためだけに生きており、大人しく施政者に税を納めるものだ。
だがここの領民は俯いておらぬ。
しかも皆、肉付きが良く、血色も良い。
食べ物が足りているというのか?
あそこの者は何やらヒラヒラした物をポンポンと蹴って遊んでいる。
私は妙なところに来てしまった様だ。
お? 子供が居る。
身なりからすると豪族の子弟の様だ。
あの者らに聞いてみるとしよう。
ただ……私は昔から子供に好かれぬのだ。
走っている子供達に追いつくと声を掛けた。
出来るだけ穏便に。
「そこの子供達よ。
驚かせて済まぬ。
安心されよ、敵ではない」
子供が5人とその倍の数のお付きの者がいたが、一人だけ白い質素な衣を纏った女児が妙な動きをした。
武器を持たず、力も無さそうだが、こちらを攻撃する意思があるのか?
いや……拙い!!
このままでは私は殺られる!
私の感が私にそう警告したのだ。
「そこの平民姿の娘さん、何かしようと身構えているみたいだがやめてくれ。
私は人を探しにやって来たんだ」
慌てて私には攻撃の意思がない事を伝えた。
女児からの殺気は少し退いたが、まだ警戒は解いていない様だ。
「探してどうなさるおつもりですか?」
私に怯む事なく言い返す女児の様子は、苦し紛れでもなく、虚勢でもなく、ただ冷徹に私を見極めようとしていた。
「普通の子は皆、私の姿を見て竦すくんでしまうか、逃げ出してしまうのだが……」
思わず考えていたことが声に出てしまった。
しかし、この場を支配して居るのは紛れもなく目の前の女児だ。
礼節を以て相対さなければならない。
私は馬を降りて、改めて要件を伝えた。
「先触れもなくやって来て済まなかった。
言い遅れたが、私は阿倍引田臣比羅夫という。
戦う事を生業とする者であるので、無粋者であるのは勘弁して欲しい。
阿部倉梯の新しい党主がこの地にいると聞いて会いに来たのだ」
すると女児から放たれていた殺気の様なものが一気に霧散した。
どうやらこの女児は私の事を知っている様だ。
これほど印象の強い子なら覚えがあるはずだが、全く覚えがない。
「初めてお目に掛かります。
私は讃岐造麻呂が娘、かぐやと申します。
かような所までわざわざお越し頂けます事を光栄に存じます」
どうやらこの質素な衣を纏った子供は国造娘らしい。
この奇妙な土地とこの娘の奇妙な印象とが妙に合致してしまった。
暫くすると女児の周りの危険な雰囲気は消えていた。
一方、隣に居合わせた倉梯殿の嫡男は父親に似て高潔な雰囲気を纏っていた。
まだ幼さが残る年頃なのに大した者だ。
これならば共に越国へ行っても問題ないだろう。
しかしかぐやという女児とのやり取りは面白かったな。
気がある事は見え見えなのに誤魔化している姿は滑稽そのものだ。
すぐに我々の対応を取り決めたが、かぐやの対応は完璧だと思わざるを得ない。
段取りをする能力が異様に高く、我が参謀に欲しくなる程だ。
打てば心地よく鳴り響く鐘のように、話をするだけで的確な答えがポンポンと返ってくる。
その辺の中央の官子ではこの様な振る舞いはできないであろう。
連中はやれ手続きだ、やれ前例だ、やれ上の許可だと時間ばかり浪費して遅々として進まぬ。
翌日、この地の奇妙な田園について話を聞きたくなり、嫡男殿に頼みかぐやのいる所へと案内した貰った。
かぐやは昨日と同じ質素な衣を着用していた。
この地の田畑について疑問に思っていた事を聞いてみたが、淀みなく答える様子からすると、かぐやがこの地の農業に深く関わっている事が察せられた。
しかし。
蝦夷の土地が広い?
人の背丈ほどの豪雪?
西に面した土地?
全てが正しい。正し過ぎる!
何故この様な大和国の片田舎に住む童子がその様な事を知っている?
中央の高官ですら蝦夷の地はまっすぐ東にあると思い込んでおり、西の海に日が沈むなどとは知らぬ。
蝦夷の地を大和国とさほど変わらぬと思い込んでいる愚鈍どもに、雪深い蝦夷の地で冬の行軍なぞ無理だといくら説明しても信じようとせぬのだ。
おかげでこちらの苦労など全く考えようとせず、話が進んでいくのだ。
この娘の何気ない言葉に戦慄を覚えた事を気取られぬ様平静を装っていたが、内心は驚嘆の最中にいた。
すると誰やらが来て、誰やらが破水したと報告してきた。
破水? 出産か?
かぐやは挨拶もそこそこに行ってしまった。
「何故、かぐやは出産と聞いて行ってしまったのだ?」
嫡男殿は様子が分かっている様子だったので、何事か聞いてみた。
「かぐや殿はこの地の領民の出産にほぼ全て立ち会っております。
報告によりますと、この地に生まれた赤子は3人のうち2人が次の正月を迎えられているそうで、先々月は中臣殿の奥方の出産にも立ち会ったと聞き及んでいます」
何と!そんな事があり得るのか?
氏族の私達ですら2人で1人は儚くなってしまうというのに、劣悪な環境で生活する領民がそれを上回るとな?
一体何をどうすれば良いのか想像すらつかぬ。
嫡男殿を見極めるつもりで来ただけのはずが、私はとんでも無い所に来てしまったようだ。
◇◇◇◇◇
翌朝、かぐやは家人と共に朝餉の支度をしていた。
国造の娘とはいえこの地の姫のはずだが、この娘に貴賤の区別はないのか?
昨日の事が気になり尋ねたが、何の気負いもなく無事に生まれたと言う。
さも当たり前かの様にだ。
もはや私はこの地の、この娘の異常さを驚く事を諦めた。
この饅頭という食べ物が柔らかく旨いことも、
昆布、帆立、鮭、といったこちらに馴染みのない食材を知っていることも、
出立の朝、讃岐で獲れた米を竹筒で炊いた飯が旨い上に戦場に役立つ事も。
ただ一つ、どうしても解けない疑問が心に引っかかっている。
初見でかぐやに相対した時の自分が死の淵に立ったかの様なあの感覚。
あれは何故だったのだろう?
私が生涯で一番の危機が何時だったとするならば、あのかぐやとの遭遇の時だったのではないか?
私の武人としての直感がそう告げているのだ。
文中、阿部比羅夫が毛嫌いしている左大臣とは巨勢徳多です。
実際に仲違いしていたかは不明で、あくまで創作での設定です。
徳多は阿部御主人の父、阿部内麻呂が亡くなった翌月、左大臣に抜擢されました。
蘇我入鹿の元・側近で、入鹿が政敵となる山背大兄王を討伐する時に陣頭指揮しました。
しかし645年の乙巳の変で入鹿が誅せられると、寝返って蘇我氏討伐に加担したという、日本人的感覚では好きになれない人物です。