3-32.手元に残った希望
ヒマリやパラドックスがそうであるように、シガレットとグッドラックも身体構造は人間のそれと一緒であるとヒマリは考えた。そうであるとしたら、パラドックスの撃ち出す瓦礫は脅威でしかない。野球ボールでも当たり所が悪ければ死に至るのだから、それ以上に硬く、重い瓦礫は言うまでもない。
確実にシガレットは壁を作り上げ、防ごうとしてくる。そこまでは想像できたが、問題はその次だった。
最低でも、二人を部屋の外に追い出さないと逃げる時間も確保できない。壁で防がれるとしたら、その次の手を考えなければ意味がないが、その手が思いつかない、と諦めかけたところで、ヒマリが発見した物が手元に残ったカプセルだった。
既に空のカプセルはなかったが、まだ中身のあるカプセルは残されていた。その内の二つには、一階で見張っていた酒鬼組の構成員が入っている。
そのことを思い出した時、ヒマリは集まって固まる煙の様子を思い出す。集まった煙は向こう側が見えないほどの密度だった。瓦礫を受け止める壁を作ったとして、恐らくは同じようになるだろう。
その時、必然的にシガレットとグッドラックは目隠しされた状態となる。派手な動きがあれば、そちらに目が向き、その他の部分を確認することはしないだろう。
そう考え、ヒマリは部屋の壁を破壊する方法を選んだ。そこに構成員を投げ込めば、それが誰であるかは確認せずに、シガレットとグッドラックは食いつくはずだ。二人分の人影があれば、必然的にヒマリ達と見間違えることだろう。
煙を捕獲に回し、壁がなくなれば、再び瓦礫が効果を生み出す。ヒマリはそこまで想定し切ってから、パラドックスに指示を出していた。
そして、現在。ヒマリの指示を受け、パラドックスが瓦礫を弾き飛ばした直後、シガレットとグッドラックは逃げるように部屋の外に飛び出していた。やはり、酒鬼組の構成員を捕獲するために煙を動かし、咄嗟に壁を作り上げる余裕はなかったようだ。
パラドックスが弾く速度は到底避けられるものではなく、致命傷となる瓦礫は当然、受け止められない。必然的に逃げるしかないことは分かっていた。元々、そのつもりでヒマリは攻撃を向けている。
「よし、今の内に逃げるぞ。そこの穴から外に出る」
パラドックスが破壊した穴を指差し、ヒマリは立ち上がった。足には未だ痛みが残っているが、速さを求めなければ走ることも可能そうだ。
「あの二人は?」
「放置する。瓦礫には限りがある以上、このまま、やり続けても捕まるだけだ。逃げるに越したことはない」
ヒマリの説明を受け、パラドックスは即座に首肯し、腕を少女のものに変えていた。ヒマリの近くに駆け寄って、ヒマリを支えるように手を伸ばしてくる。
「行こう」
「悪い」
パラドックスのサポートを受けながら、ヒマリは部屋に開いた穴から外に出ていく。その姿を察知したグッドラックが慌ててシガレットに声をかける。
「逃げられますよ!?」
その声に反応し、ヒマリのサポートをしていたパラドックスが振り返った。再び仏の手を出し、こちらを覗いてくるグッドラックに向けて、瓦礫の一つを弾き飛ばす。瓦礫は入口近くの壁に当たって、壁に大きな穴を開けている。
「シガレットさん!?」
「うるさいな! 分かってる!」
シガレットは急かすグッドラックに苦言を呈しながら、部屋の中に煙を吐き出そうと、煙草を大きく吸った。
その直後、シガレットは強く咳き込み、煙草を床に落とした。噎せるように咳き込む度に、シガレットの口からは煙が細かく飛び出していく。
「ちょっと、シガレットさん!?」
「わ、悪い……失敗した……」
シガレットはグッドラックに謝罪しながら、大きく深呼吸をしていた。胸元を強く掴み、部屋の中に目を向けてみるが、そこにはヒマリとパラドックスの姿がもうない。
「外に行ったみたいだ……追いかけよう……」
「分かってますよ」
シガレットに指示されるまでもないと言わんばかりにグッドラックは歩き出し、シガレットは落とした煙草に目を向ける。まだ八割程度が残っているが、落としたからには仕方ないと考え、吸い殻を携帯灰皿に入れ、グッドラックを追いかけるように歩き出した。
◇ ◆ ◇ ◆
パラドックスのサポートもあって、部屋から無事に脱出できたヒマリだったが、足の痛みの影響で現場から素早く逃走することができないでいた。パラドックスは頻りに振り返り、シガレットとグッドラックの姿を確認し、その様子からまだ見えていないらしいが、このままだといずれは追いつかれるだろう。
最悪、パラドックスだけでも逃がすかと考えてみるが、パラドックスだけ逃がしても、良い未来はあまり想像できない。孤立したパラドックスが単独でアザラシに立ち向かって、志半ばで散っていく姿しか思い浮かばない。
どうするべきかと悩み始めたヒマリ達の前に、ふと一台の車が滑り込んできた。ヒマリとパラドックスの前で止まり、思わず二人は足を止めてしまう。
そこで、ヒマリはその車に見覚えがあることに気づく。この車はまさか、と思っていると、助手席の窓が開いて、そこに乗っていた人物が顔を覗かせる。
「早く! 後ろ!」
それはシトだった。運転席にはジッパが座り、同じようにヒマリを急かしている。
「ヒマリさん! 急いでください!」
「何でお前達が?」
呆然とするヒマリにパラドックスがやや不安そうな視線を向けてくる。背後を振り返ってみるが、まだシガレットとグッドラックの姿は見えない。が、それもいつまでのことかは分からない。
「大丈夫だ。乗ろう」
ヒマリはそう告げ、パラドックスと一緒に車の後部座席に飛び込んだ。それを確認したジッパが車を勢い良く発進させる。
「どうして、ここが?」
「実は、朝からつけてました」
シトがピースサインを見せびらかしながら、バックミラー越しにヒマリの顔を見てきた。ヒマリの驚く表情に、渾身のドヤ顔を見せている。
「どういうことだ?」
「昨日の夜、私がお風呂から上がった後、明らかに様子がおかしかったから、これは何かあると思って、こっそりと見たんだよ、この目で」
シトは自分自身の目を指差し、ヒマリは言わんとするところを即座に理解する。
「そうしたら、単独で動きそうな予測がたくさん出たから、これは何かあると思って、こっそりつけてみることにしたんだ。お陰で、朝まで寝たふりで過ごす羽目になったから、寝不足だよ」
シトが欠伸をする隣で、ジッパがチラチラとバックミラー越しにヒマリを見てから、軽く頭を下げてくる。
「ずっと追いかけていたんですけど、スイミさんが超人を発見して、下手に見つからないように動いていたら、到着が遅れました。すみません」
二人の説明にヒマリは驚き、ゆっくりと後部座席に身を預けながら、小さくかぶりを振った。
「いや、俺の方こそ、一人で動いてすまなかった。変に迷惑をかけた」
「それは本当にそう。何か分かったなら、言ってくれたら良かったのに」
「スイミさんはともかく、俺にまで隠しごとなんてなしですよ」
「何で、私はともかくなの?」
「いやだって、スイミさんはすぐ怪しい組合に勧誘するし、ヒマリさんも話しづらいですよ」
「怪しくないけれど? ただの怪人組合だけれど?」
「それが怪しいって言ってるんですけどね」
ジッパとシトの軽快な言い合いを聞きながら、ヒマリは頭を抱えていた。最初から二人に話した方が良かったのかと考えてみるが、結果のところは分からない。諸々の事情を加味すると、そうは言い切れないところがあるのも事実だ。
そう考えながら、そう言い切れない事情の一つを思い出し、ヒマリは隣に目を向ける。そこではパラドックスが戸惑いの表情で、ジッパとシトを見つめていた。
「それで、その子の説明は?」
ジッパとのやり取りが一段落ついたタイミングで、シトがそう切り出した。バックミラー越しに目が合ったのか、パラドックスの身体が僅かに硬直する。
「利害の一致から協力することになったパラドックスだ」
「利害の一致で超人と協力……?」
「いや、それは今朝までのことだな。もう超人とやり合ったから、こいつも超人ではなく、怪人になってしまったらしい」
ヒマリはグッドラックの言葉を思い出し、そう言った。協力関係を結んだ時点で分かり切っていたことだが、実際にそうなってしまうと、本当に良かったのかと考えてしまうところがある。パラドックスを引き摺り込んでしまった罪悪感が胸の奥に小さく芽生える。
「そう。なら、よろしく。それから、ようこそ、怪人の世界へ」
「ど、どうも……」
戸惑うパラドックスを見やって、ヒマリは自分の口から二人を紹介することに決める。
「運転しているのがジッパ、藍鴨十波だ。俺と同じく大岐土組の一員だった。その隣が翠見枝途。現在の隠れ家の大家で、怪人組合って言う怪しい団体に所属している怪人だ」
「よろしく」
「怪しくないけれどね」
ジッパとシトの紹介を終え、二人に軽く会釈するパラドックスを見つめながら、ふとヒマリは自分がパラドックスに聞いていなかったことを思い出す。
「そういえばお前、名前は何て言うんだ?」
「え? パラドックス……?」
「いや、そうじゃなく。それは超人としての名前だろう? お前の本名だ。そいつを聞いてなかった」
ヒマリがそう聞くと、パラドックスは少しだけ躊躇うように視線を逸らしてから、ゆっくりと唇を動かしていく。
「橙上……魅雷……」
「橙上魅雷……ミライか。良い名前だな」
「あっ……ありがとう……」
ミライは恥ずかしそうに頬を染めながら、小さく俯いた。その様子に柔らかな微笑みを浮かべてから、ジッパがヒマリに聞いてくる。
「ところで、これは隠れ家に戻っていいんですか? それとも、別に目的地がありますか?」
「いや、一度、戻ってくれて大丈夫だ。そこで手に入れた成果をまずは確認する」
「成果?」
不思議そうに振り返ってくるシトの前で、ヒマリはポケットから一つのカプセルを取り出す。
そこには、眠っている様子のオダが入っていた。




