3-27.再暴走
吹き飛んだ時に何かが引っかかったのか、アザラシが立ち上がる動きに合わせて、何かが転がる音がした。その音を片隅に聞きながら、ヒマリはアザラシを睨みつけるパラドックスを見やる。
ヒマリは一度、パラドックスを冷静にさせようと考え、カプセルに取り込んだ。そこから何とか無事に解放できたが、今のパラドックスが冷静さまで取り戻したのかは見ているだけでは分からない。
「おい、聞いてるか? ここからは冷静に動け。そうしないとあいつには勝てない」
ヒマリがパラドックスを意識した距離の声を出す。パラドックスの名前は呼んでいないが、それで意思は伝わるはずだ。
しかし、パラドックスは振り返らない。ヒマリの声に対する返答も見られない。
「聞いてるのか? ただ正面からぶつかっても、あいつには……」
ヒマリがそう声をかけ、パラドックスの肩を掴もうとした瞬間、パラドックスが振り返り、ヒマリを射殺すような視線で睨みつけた。ヒマリの伸ばしかけた手を払い除けるように腕を払い、その腕をそのまま異形のものに変えている。
「うるさい!? 正面からぶつかっても無駄!? それがどうしたの!? 私には、この鬼の手しかないの!? それ以外に何をしろって言うの!?」
激昂しながら、異形のものになった腕を見せつけてくるパラドックスに詰められ、ヒマリは言葉を失う。パラドックスの言いたいことは分かった。その上でヒマリはパラドックスを止めようと、パラドックスの腕を掴む。
「だからって、ただ振るっていても意味がない。手段を考えろ。あいつに届く手段を」
「考えて、何か方法が見つかるの!?」
パラドックスが腕を少女のものに変えながら、自身の腕を掴んだヒマリを突き飛ばした。ヒマリは背後によろめいて、目の前でアザラシの方を睨みつけるパラドックスを驚きと困惑の詰まった表情で見つめる。
その様子を眺めていたアザラシが少しきょとんとしてから、堪えられないように笑いを含んだ表情で手を叩き出した。
「いやいや、ここに来て、仲間割れかい? それで俺にどうやって勝つんだ、嬢ちゃん? もう逃げた方がいいんじゃないか?」
「うるさい!」
アザラシの言葉を拒絶するようにパラドックスが飛び出し、形を変えた鬼の手をアザラシに振るった。それを刀で往なしながら、アザラシは面白そうにヒマリとパラドックスを見てくる。
「だが、そこの若いのが言った通りだと思うぞ? 正面からぶつかっても、嬢ちゃんに勝機はない。自殺希望なら構わないが、そうじゃないなら考えるか、逃げるか選ぶべきだ」
「お前の言葉など聞くか!」
パラドックスがアザラシの言葉を拒絶するように腕を振るい、アザラシはそれを楽々回避する。既にパラドックスの動きの大半は見切られている。攻撃が届くこともなければ、相手の攻撃を防ぐことすら難しくなってくるはずだ。
ヒマリからすれば、アザラシの言葉は尤もだった。今の状況からパラドックスがアザラシに勝てる可能性は限りなく低い。ここはその可能性を少しでも高める手段を考え、奇策でアザラシを翻弄するか、一度逃げて立て直す必要がある。
ヒマリなら、確実にそのどちらかを選ぶ場面だが、今のパラドックスが逃げるとは思えない。それなら、今のヒマリにできることは少ない可能性を少しでも高めるために、パラドックスの動きを援護することだ。そう言わんばかりにヒマリは残り一個となった、さっきまでパラドックスを捕らえていたカプセルを握り、二人の動きに目を向けた。
ここから、ヒマリがパラドックスの援護をするためには、アザラシだけでなく、パラドックスの動きも見極める必要がある。少しでも可能性があるとしたら、パラドックスの行動に合わせて、アザラシにも認識されない死角から、カプセルをぶつけることくらいだ。
二人の動きを見始めたヒマリの前で、アザラシの刀がパラドックスの身体を掠める。僅かに鬼の手が軌道を逸らしたものの、アザラシの刀はパラドックスの肩に傷を作っていた。
それを見たヒマリが、痛みに顔を歪めながらも踏み込もうとするパラドックスを止めるために、その近くまで踏み込んだ。パラドックスの振るいかけた腕を掴み、パラドックスの動きを止めようとする。
「待て! そのまま行ったら、斬られて死ぬぞ!?」
「別にいい! あいつを殺せる方法があるなら、死んでもいい!」
「おい、ふざけたこと……!」
ヒマリがパラドックスに怒鳴りかけた瞬間、パラドックスがヒマリの腹を蹴り飛ばし、自分からヒマリを引き剥がした。ヒマリは蹴られた衝撃によろめいて、思わずパラドックスから離れる。
その隙にパラドックスが再びアザラシに踏み込み、アザラシの刀を砕いていた。流石のアザラシでも、刀に一切傷をつけることなく、パラドックスの攻撃を捌き続けることは不可能だったらしい。
それでも、予想はしていた行動らしく、アザラシはパラドックスの攻撃の隙間で手を伸ばし、袖口から新たな刀を取り出していた。そこから、アザラシは再びパラドックスの攻撃を往なし、パラドックスに攻撃を向けていく。
パラドックスに小さな傷が更に増え、パラドックスの怒りの表情に、少しずつ痛みの色が交じっていく。それを見たヒマリが再びパラドックスを止めるために、アザラシのところに踏み込もうとするパラドックスの近くまで踏み込んだ。
そこでヒマリはパラドックスを掴む動きを見せながら、パラドックスの身体の影から、アザラシに対してカプセルを放った。
ちょうどパラドックスがアザラシに踏み込もうとした瞬間で、距離はそれなりに近くなっている。投げ方からカプセルの飛ぶ速度は遅いが、死角から飛んでくるカプセルを咄嗟に避けられる距離ではない。
この距離なら当たる。そうヒマリが感心した瞬間、アザラシの視線がパラドックスではなく、死角から僅かに飛び出た自身の手に向いていることに気づいた。
「やっぱり、そこか……」
そう呟いたかと思えば、アザラシの刀が一気に振るわれ、ヒマリの放ったカプセルを切り裂いた。カプセルは真っ二つになりながら落下し、カプセルとしての役目を終わらせる。
読まれていた。ヒマリがそのことに驚愕し、絶望した表情を見せた直後、自身の身体を掴もうとしたヒマリを引き剥がそうと思ったらしく、パラドックスが振り返り、ヒマリの身体に足を振るってきた。
「邪魔!」
そう叫びながら、パラドックスの足が脇腹に入り、ヒマリは思わずよろめき、部屋の片隅に倒れ込む。さっきアザラシを殴り飛ばした先に転がりながら、ヒマリはパラドックスとアザラシを見上げる。
そこではパラドックスが鬼の手を大きく振るうところだった。その動きを見た瞬間、ヒマリの表情が思わず固まり、ヒマリは身を起こすように床に手をつけたまま、二人の動きを眺めてしまう。
その大振りは駄目だ。そう思った時には遅く、ヒマリの声など間に合う状況ではなかった。
アザラシがパラドックスの攻撃を回避し、同時に刀を振り上げた。パラドックスは大きく体勢を崩しながら、アザラシの攻撃を察し、腕を引き戻しているが、鬼の手をぶつけるには速度が遅い。
アザラシが刀を振り下ろした。パラドックスは僅かに腕を上げているが、鬼の手をぶつけられる位置ではなく、このままだと腕を切り落とされるだけだ。
終わった。全員がそう思う状況の中、アザラシの刀がパラドックスの腕にぶつかる。
瞬間、アザラシの刀が大きく弾かれ、アザラシの身体が大きく仰け反った。
「なっ……!?」
驚愕からアザラシが目を見開く前では、パラドックスの掲げた腕が、それまでの異形のものから、神々しい光り輝くものに変化していた。
その様子を見たヒマリが僅かに手を動かし、さっきアザラシが立ち上がる際に転がし、そこに落ちていた物を掴み取る。
それはヒマリが紛失した、最後のカプセルだった。




