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1-9.小柴絵子

 転がる犬の姿にミトの頭は混乱した。触れた身体には温もりがあり、僅かに動く膨らみが呼吸の存在を教えてくれる。


 生きている。気を失っているが生きてはいる。


 その事実にほっとする気持ちと、倒れている理由の不明さに動揺する気持ちが重なって、ミトはふらふらと辺りに目を向けた。


 声を出したくても、今のミトが声を出して、誰かに見つかっても平気なのか分からない。


(ど、どうしよう……?)


 取り敢えず、倒れた犬を抱きかかえ、ミトが施設の中に踏み込もうとしたところで、踏み込む足の置き場がないことに気づいた。


 ほんの少し先、一歩、二歩と進んだ先にも、また別の動物が倒れている。


 今度は犬ではなく、猫だ。


「えっ……?何で……?」


 良く見れば、倒れた動物は一匹や二匹に留まらなかった。入口近くに立ったミトから見える範囲でも、既に五、六匹の動物が倒れている。

 犬に猫、中には小鳥までいて、全てが気を失ったかのように倒れているが、原因になりそうな物は辺りに見当たらない。


「どういうこと……?」


 戸惑いながら、少し先に見つけた倒れた猫に近寄って、ミトは迷いながらも施設の奥に目を向けた。


「だ、誰か……?誰かいませんか?」


 これらの動物を放置できない。何があったのか分からないが、今すぐに見てもらわないと。

 その気持ちが強くなって、ミトは見つかることも顧みずに、施設の奥へと声をかけていた。


 しかし、ミトの呼びかけに返答する声はなく、誰かが近づいてくる気配もない。


「だ、誰か?誰かいませんか!?」


 ミトは更に声を大きくしてみるが、施設の中は本当に誰もいないように静まり返っている。動物の鳴き声すら聞こえてこない。


「え?本当に誰もいないの?」


 ミトがあり得ない状況に驚き、思わず呟いた直後、施設の奥から足音が聞こえてきた。


(あっ!誰かいる!)


 咄嗟にそう思ったミトがその人に倒れた動物達を見てもらおうと、ミトは最初に蹴飛ばしてしまった犬を抱きかかえ、足音のする方に近づいていく。


「あの!すみません!」


 そう勢い良く声をかけ、そこに立つ人物に犬を見せようとして、ミトは気づいた。


 それはコシバだった。


「あ、あっ!コシバさん!ちょうど良かったです!この子達がどうしてか気を失っていて!誰か呼んでくることって可能ですか?」


 ミトが抱きかかえた犬を見せてから、倒れた動物達をコシバに手で示すと、コシバは黙ってミトに近づいてきて、その腕の中を覗き込むように頭を近づけてくる。


「何で気を失っているか分からないんです。でも、まだ息はあって……」


 ミトがコシバに状況を教えようとした、その瞬間だった。


 ミトに近づいたコシバが不意に動きを速めたかと思えば、唐突に腕を振り上げて、ミトに向かって振るってきた。

 まるで殴りかかるような動きに、ミトは思わず逃げるように後退る。犬を抱きかかえた不安定な体勢から、尻餅をつくように転んでしまった。


 そこで視界を煌めいた何かが通過し、ミトはコシバの手元に目を向けた。


 そこにはハサミが握られていた。


「え?え?コシバさん?何してるんですか?」


 戸惑ったミトの問いにコシバは何も言うことなく、手に持ったハサミを掲げて、ミトにゆっくりと近づいてくる。


 良く見れば、ミトを見る目は焦点が合っていない。

 何を考えているのか、一切読み取れない。


「コシバさん?コシバさん!?」


 ミトがコシバの名前を呼んだ直後、コシバは急に踏み込む動きを速めて、座り込むミトに向かってハサミを振るってきた。


 ミトは咄嗟に腕を持ち上げて、コシバの振るう腕を受け止めようとするが、その力はとても強く、ハサミの先がミトの肩に僅かに刺さる。


「痛っ!?コシバさん!?どうしたんですか!?」


 鋭い痛みに顔を歪めながら、ミトはコシバに声をかけるが、コシバからの反応はなく、ハサミを振り下ろす力は増すばかりだった。


 明らかにミトを傷つけようとしている。


 それどころか、殺意すら感じる行動にミトは恐怖を覚えながら、何とかコシバの腕を振り払おうとする。


「コシバさん!落ちついてください!」


 ようやくコシバの腕を振り払い、ミトが立ち上がろうとした瞬間、今度は脇腹を急に鋭い痛みが襲ってきた。


 何かと思い、視線を下げたミトの前で、さっきまで気を失っていた犬が脇腹に噛みついている。


「な、んで……!」


 痛みに耐えながら、必死に犬の口を開いて、ミトは脇腹から犬を引き剥がす。


 力任せに振るった腕が犬の身体を吹き飛ばし、地面に転がった犬が弱々しい鳴き声を上げたことにミトは罪悪感を覚えながらも、自分を噛んだ理由の不明さに頭は混乱し切っていた。


 コシバがハサミを振ってくる理由も分からない。


 冗談でも、コシバはこういうことをしない人だ。


 どんな動物にも、どんな人間にも、優しく包み込むように接するコシバは、ミトが尊敬する数少ない人間の一人だった。


 そのコシバがハサミを振るい、犬が脇腹を噛んできた。


 その状況に混乱し、戸惑うミトが視線を移した先で、さっきまで気を失っていた動物達が起き上がっていることにミトは気づいた。


 それだけではない。そこにいる動物が皆一様に、ミトを威嚇するように睨みつけている。


 そこに感じるものは明確な敵意だ。


「待って……?皆、どうして……?」


 そう戸惑うミトの言葉など気にかけることなく、動物は一斉にミトに飛びかかってきた。


 咄嗟にミトは立ち上がり、それらの動物から逃げるように施設の中を走っていく。

 さっきまで静かだった施設が嘘だったかのように、走る動物達は鳴き声を上げながら、一斉にミトの後ろをついてくる。


「何で……!?どうして……!?」


 直線的に逃げていては捕まるだけだと、ミトは置かれた物を押しのけながら、必死に追いかけてくる動物から逃げ惑った。


 何とか開く扉を発見し、命辛々、ミトがそこに飛び込むと、動物のぶつかる音が何度か続いて、再び静寂に包まれる。


 そのことに若干、安堵しながら、ミトはその部屋がどこなのかを見回そうとして、部屋の中で動くものの存在に気づいた。


 見れば、それはハサミを持ったコシバだった。


「コシバさん!?」


 先回りされていた。


 そう思った時には遅く、コシバがミトにハサミを振るってくる。


 そのハサミを何とか避けながら、ミトはコシバを説得するように叫んだ。


「コシバさん!違うんです!もしかしたら、僕が怪人って聞いたのかもしれないけど、そういうことじゃないんです!ちゃんと話をさせてください!」


 ミトが必死にそう訴えかけるが、コシバは止まることなく、ミトに殺意を向けてくる。

 そのコシバの止まらない動きに困りながら、ミトがどうしようかとコシバの顔をまっすぐに見た。


 その時、僅かにコシバの頭から何かが伸びていることに気づいた。


 耳のように膨らんだ髪の毛から、更に長い髪の毛のようなものが、まっすぐに伸びている。


(何だ、あれは……?)


 不思議に思ったミトの前で、コシバが再びハサミを掲げて振り下ろしてきた。

 髪の毛の方に気を取られていたミトはそのハサミを受け止める余裕がなく、逃げるように身を屈める。


 すると、コシバのハサミがミトの背後に置かれていた棚にぶつかって、コシバの手の中からハサミが吹き飛んだ。


 それを見たミトがハサミを慌てて拾い上げて、再びコシバの頭に目を向ける。


(もしかして……?)


 そう思ったミトが、コシバが動き出そうとするよりも速く、コシバの懐に近づいてから、頭に見つけた髪の毛よりも長い一本の糸のようなものを切り取った。


 ぷつんと見えたものはハサミで簡単に切れ、その直後、不意にコシバがその場に崩れ落ちる。


「コシバさん!?」


 ミトが慌ててコシバの身体を受け止めると、どうやら気を失っているようだった。


「何で、急に……?今のは……?」


 ミトがそう思った直後、さっき入ってきた扉が慌ただしく開かれ、そこから声が聞こえてきた。


「おいおい、痛いじゃないの。人の繋げた物を平気で切るなんて、どういう神経してんだ?」


 そう呟きながら現れたのは、狐のように吊り上がった目をした男だった。

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