3-24.超人の本能
オダは二階の廊下に立ちつくし、開いた扉の向こうに向かって声を荒げていた。
「だから! 頼むから……大人しくしていてくれよ……」
命令するようでもあり、懇願するようでもある声を発し、オダは壁を力強く叩いている。苛立ちからか、焦りからか分からないが、気が立っていることは確かだ。
「何に怒っているんだろう?」
パラドックスが小さく呟く。位置的に扉の向こう側は確認できないが、間取りからして、かつてテナントとして貸し与えていた一角だろう。そこに誰かがいて、大人しくしろと命令しているらしい。
ヒマリはそこにいる存在として可能性をいくつか思い浮かべ、二階の様子を窺う。中を覗くことは難しいが、もう少し距離を詰めるくらいなら行けそうだ。
「少し近づこう。中の声が聞こえるかもしれない」
「誰かいるか確認するの?」
「ああ、その方がいい」
ヒマリの頭には二つの可能性が浮かんでいた。大人しくするように言う相手であることから、他人に知られてはならない存在のはずだ。発言の一方で手荒な出方もできない相手であることは様子から分かる。
そうなれば、そこにいるのは客か、人質の可能性が非常に高い。ヴァイスベーゼの怪人か、人質であるナツメか。場合によっては、そこにパラドックスの恨みの相手がいるかもしれないとヒマリは考えていた。
「だけど、この子にこの状態は辛いです。せめて、少しでも場所を変えてください」
「だから! 無理なんだって! もう動ける状態じゃないから、考えてよ……貴女も大変なんでしょう? だったら、協力してくれよ……」
オダと言い争う女性の声が聞こえ、ヒマリは僅かに眉を顰める。「この子」という発言からも察するに、どうやら後者の可能性が高いらしい。
「この声は誰だろう?」
呟くパラドックスにかぶりを振ってから、ヒマリは耳を澄ませる。聞こえてくる女性の声とは別に、小さくだが、怯える女の子の声も聞こえる。
「多分、誘拐された子がいる」
「えっ?」
ヒマリの呟きにパラドックスが驚いたように目を丸くしてから、必死に耳を欹てている。
「聞こえるか? オダが喚く度に女の子の小さな悲鳴が聞こえる。恐らく、それが山吹夏芽だ」
「どうするの?」
パラドックスの問いかけを聞きながら、ヒマリはオダをじっと見つめる。自身を刺した相手だ。そこに恨みがないわけではない。
だが、その行動の元は酒鬼組の命令であり、今の様子からも分かるように、オダ自体は命令に従うしかない下っ端で、それに逆らう覚悟も知恵もない。そのような相手に対して、ヒマリが強い恨みを持っているわけもなく、一発殴ってやりたいと思うくらいの気持ちしかない。
本当に殺したい相手は酒鬼組の組長である酒鬼和貴人の方だ。サカキを殺せるなら、他は見逃してもいい。オダもその一人だ。
二階の様子を窺うに、ここには人質とオダしかいないようだ。少し手薄ではあるが、誰かの接近を確認した際に、速やかに離脱できるような位置に置いているのかもしれない。誘拐に関与したオダが見張りをしている点も、あまり顔を確認されないようにしていると考えたら、納得がいく。
二階にそれだけしかいないのなら、ここは回避するべきだ。ヒマリとパラドックスの目的は誘拐事件の解決ではなく、あくまで復讐の方だ。そのためには見捨てる必要があるものも多い。
「ここに目的の相手はいない。不用意に接近する必要もないだろう。上に向かおう」
ヒマリはパラドックスにそう告げて、再び階段の方に戻ろうとするが、パラドックスはすぐに動き出さなかった。
「どうした?」
「あの子を助けよう」
不意にパラドックスがそう口にし、ヒマリは驚きから目を丸くする。
「何故だ? あの子はお前の復讐に関係ないんだぞ?」
「分かってる。けど、怯えている子がいるなら、助けてあげたい。それがずっと私のしてきたことだから」
そう告げるパラドックスを目にし、ヒマリは少し固まってから、痛み出したように頭を押さえた。その様子を見たパラドックスがやや不安げに聞いてくる。
「ダメだった?」
その問いにヒマリはかぶりを振る。パラドックスの行動に対しての反応ではない。今のヒマリは自分自身の言動に落胆していた。
「いや、思い出した。俺は大事なことを忘れていた。少し復讐に囚われ過ぎていたらしい。何のために動いていたのか、頭から抜けていた」
少なくとも、あの人ならそうするとヒマリは尊敬する人物の顔を思い浮かべながら、改めてオダの様子を窺う。意識は完全に扉の向こうに向いている。少しのことでは、こちらの様子にも気づかないだろう。
「ここで少し待っていてくれ。あいつは簡単に捕まえられる」
ヒマリはそう告げて、パラドックスに監視だけ任せ、一度、階段の方に戻っていった。
◇ ◆ ◇ ◆
不意に物音が聞こえ、オダは思わず振り返っていた。足元に目を向ければ、そこには円柱状の何かが落ちている。どこから来たものか分からないが、その隣にはカプセルトイのカプセルも転がり、明らかに不自然だ。
「何だよ、これ……?」
戸惑ったように呟いてから、オダはそこに落ちている円柱状の何かに触れる。硬い物質はどこかで触ったことがあると思った直後、さっき自身が強く叩いていた壁に目を向ける。
それはその壁の一部のように見えた。
「は、はあ……? どういう……」
「久しぶりだな」
その瞬間、背後から聞こえた声に驚き、オダは振り返ろうとした。その動きを止めるように腕が伸び、オダの身体は一気に拘束される。絡みついた腕に締め上げられ、オダは僅かに頭を上げる。
そこでヒマリと目が合った。
「べ、にまる……ひま、り……? 何で、生きて……?」
「お前がビビッて殺し損ねただけだろうが」
そう苛立つように告げてから、ヒマリはオダの背中にカプセルをぶつける。オダの身体はカプセルの中に消え、落下したカプセルが僅かに揺れる。揺れはすぐに収まって、オダはカプセルの中で眠りについた。
「捕まえたの?」
ヒマリの背後から近づいてきたパラドックスが聞いてくる。
「ああ、万が一の時に情報が取れる。この上にサカキやあのジジイがいるとも限らないからな」
ヒマリはオダの入ったカプセルをポケットに仕舞い込み、開けっ放しの扉の向こうに足を踏み入れた。
そこで怯えた目を向けてくる一人の女性と、小さな女の子の姿を見つける。女性は見るからに成人しており、誰なのか分からなかったが、女の子の方はニュースで見た姿と一致していることから、すぐに誰なのか分かった。
「山吹夏芽さん?」
パラドックスが女の子に聞くと、女の子は小さく頷く。
「安心して。助けに来た」
そう告げるパラドックスに、女性とナツメの表情は少し和らいでいた。その間にヒマリは部屋の中を見回し、他に部屋を見張っているものがないか確認する。取り敢えず、カメラのようなものはどこにも見当たらない。
「えっと、貴方達は……?」
女性がそう問いかけてくる言葉に反応し、ヒマリとパラドックスが同時に口を開いた。
「超人です」
「怪人だ」
その声に二人は思わず顔を見合わせ、パラドックスはヒマリを疑うような目で眉を顰める。
「超人」
「……だそうだ」
パラドックスからの圧に負け、ヒマリがそう告げると、女性は少し不安そうにしながらも納得したように頷いていた。
「あんたは?」
今度はヒマリの方が女性に何者なのかと質問する。ナツメは誘拐されたことを知っているが、他に大人の女性を誘拐したという話は聞いていない。
「私は、酒鬼組に借金があって、返済に困っていたら、ここに連れてこられて、この子のお世話をするように言われて……」
「借金? いくらくらい?」
「今は多分、八千万くらいになってます……」
ちょっとやそっとの額では、いくら借金があるからと言って、見知らぬ場所で見知らぬ女の子の世話をしないだろうと思ったが、出てきた額にヒマリは納得した。そのレベルなら、怪しい命令でも受けるだろう。
「今は一階に誰もいないから、逃げられる。不安なら途中までついていく。どうする?」
パラドックスが優しくナツメに問いかけると、ナツメは女性の表情を少し窺ってから、小さく「ついてきて」と口にする。
「分かった。一緒に行こう」
パラドックスが笑顔でそう伝え、ナツメに向かって手を伸ばした。
その時、ヒマリは僅かに聞こえた物音に反応し、入口の方に目を向けた。それと同時に入口近くから声が聞こえ、パラドックス達の動きも止まる。
「おっと、それは困る。大切な人質なんだ」
その声を聞いたことで、恐らく、パラドックスの表情が変わったのだろう。手を伸ばしかけていたナツメがゆっくりと手を戻し、パラドックスから離れるように女性の身体に抱きついている。
その前でパラドックスがゆっくりと振り返り、入口に現れた人物の顔を見た。その表情には怒りがこびりつき、鬼のような形相になっている。
「お前……!」
「おっと、怖い。俺が何かしたかい?」
パラドックスの鋭い視線に惚けたように首を傾げ、アザラシがそう聞き返した。




