3-20.敵情視察
シトの隠れ家を後にして、ヒマリは速やかに近くの路地に入り込んだ。早朝であることから、元より人通りは少ないが、誰も見ていないことを改めて確認し、ポケットに手を突っ込む。そこから、カプセルを一つ取り出し、地面に投げつける。
そこにパラドックスが現れた。地面に寝そべるパラドックスがゆっくりと目を開き、ゆっくりと身を起こす。
「出れた?」
「ああ、まだ気づかれてないはずだ」
「ここから、どうするの?」
ゆっくりと立ち上がり、眠そうに目を擦るパラドックスを見ながら、ヒマリはポケットに手を触れる。ジッパ達に見つかっても怪しまれないように、リュックサック自体を持ち出すことは難しかった。持ってこられたカプセルは全部で六つ。諸々、これだけで解決することを考えたら、派手な動きはできない。
「取り敢えず、様子を探るところから始めよう。ヴァイスベーゼの方は分からないが、酒鬼組の方なら、どこに事務所があるか分かっている。場合によっては、ヴァイスベーゼと接触している事実が確定するかもしれない」
あくまでアザラシの出入りが確認できた場合の話なので、可能性の域は出ていないのだが、それでもパラドックスはヴァイスベーゼが確認できる事実に興奮を隠し切れていなかった。ヒマリの言葉に賛同し、首肯する動きがさっきまでよりも大きい。
「また入る?」
パラドックスがカプセルを指差し、ヒマリはかぶりを振る。
「俺はこのカプセルを生み出せるだけで、他の部分は人並みの物しかない。万が一の場合はお前の力を頼ることになる。この中に入って、対応に遅れる事態は避けたい」
「うん。分かった」
ヒマリの説明を聞いたパラドックスが納得し、二人は目的の酒鬼組の事務所に向かって歩き出そうとする。
その直前、思い出したようにパラドックスが立ち止まり、ヒマリの服の裾を引いた。
「その前に一つ。言ってなかったことがある」
「言ってなかったこと?」
立ち止まったヒマリが振り返り、怪訝な顔を向ける前で、パラドックスは両腕を上げながら首肯した。
「そう。私の力のこと」
そう言われ、ヒマリはパラドックスの化け物のような腕を思い出し、首を傾げる。力自体はある程度見ている。どのような力も大体は分かっている。そこに更に秘密があるようには思えない。
「何でも破壊する腕とかじゃないのか?」
「大体合ってる。鬼の手は全部を破壊する矛の腕。そして……」
そう言いながら、不思議そうに見つめるヒマリの前で、パラドックスは両腕の形をゆっくりと変えていった。
◇ ◆ ◇ ◆
目的の建物を前方に確認し、ヒマリとパラドックスは物陰に身を潜めた。ヒマリが建物を指差し、パラドックスにそこが酒鬼組の事務所であると伝える。
「なら、行こう」
そう言いながら、パラドックスは両腕を異形のものに変え、事務所に向かって歩き出そうとした。それを慌てて止めて、ヒマリは物陰に引き戻す。
「待て……!? まだ事務所の中がどうなっているか分からない。酒鬼組の人間がどれくらいいるのか、ヴァイスベーゼの怪人はいるのか、誘拐された子供がここにいるのか、そういうのが一切分からない状況で突っ込んでも、蜂の巣になるだけだ」
「なら、どうするの?」
「取り敢えず、様子を探る。人の出入りを確認し、酒鬼組がどういう動きをしているのか見る。突入するかどうかの判断はそれからだ」
ヒマリの慎重な案にパラドックスはやや不満げな様子だったが、ここに至った経緯はヒマリのお陰でもある。そのこともあってか、抵抗することはなく、素直に両手を少女のものに戻していた。
「突入する際には頼りにしているから、その時は頼む」
「分かった」
ヒマリがせめてもの慰めの言葉をかけると、パラドックスは素直に首肯し、二人は一緒に事務所を眺め始める。早朝のこともあってか、事務所に出入りする人も、周囲の人通りも少なく、非常に静かなものだ。
最初はそう思っていたのだが、数十分が経過し、パラドックスが少しずつ苛立ちを表情に見せ始めた頃、流石のヒマリも異様さを感じていた。
「おかしい……流石に人がいなすぎる……」
ヒマリが物陰から立ち上がって、隣にいるパラドックスを見やる。
「ちょっと移動しよう。確認したいことがある」
そう言って、ヒマリはパラドックスを連れて、酒鬼組事務所の駐車場を覗いてみることにした。誰かと鉢合わせないように、二人は慎重に移動して、駐車場に足を踏み入れる。そこに残っている車から、誰が残っているのか確認しようと思っていた。
しかし、そこには一台も車が止まっていなかった。その様子を見たヒマリが驚いたように目を見開き、パラドックスは不思議そうにヒマリの顔を窺ってくる。
「パラドックス。中の様子を見るぞ。有事の際は頼む」
ヒマリが腕を見せながら伝えると、パラドックスは首肯し、両腕を異形のものに変えていた。二人は駐車場から事務所の方に移動し、ゆっくりと入口の前で耳を澄ませる。
音はしない。本当に誰もいないように無音だ。そこに本当に人がいないのか、何かを想定した罠なのか分からないので、ヒマリは緊張感を持ちながら、ゆっくりと扉を開いていく。
同時にパラドックスに合図を出して、ヒマリが入口を開き切る瞬間、二人は事務所の中に飛び込んでいた。ヒマリとパラドックスが揃って、警戒するように部屋全体を見回す。
そこは蛻の殻だった。
「誰もいない……?」
不思議そうに呟きながら、ヒマリは事務所の中を順番に確認していく。パラドックスも一緒になって調べ回ってみるが、やはり、そこには人っ子一人いない。
「どういうこと?」
パラドックスが不思議そうに聞きながら、両腕を元に戻していた。ヒマリは少し考えてみるが、明確な理由は分からない。
「あの映像を見て、自分達を特定されると思い、逃げたのか? もしくは……いや、流石にこっちはないか」
ヒマリは考え込みながら、残された事務所を見回していた。準備して逃走したというには残された物も多く、消えている物は必要最低限の物だけだ。仮に逃げたとしても、急遽逃走したと考えるべきだろう。
「誰もいなかったら、どうするの? もう終わり?」
手繰り寄せようと思っていた糸はここで途絶えた。パラドックスが不安と不満を表情に見せ、ヒマリをじっと見つめてくる。
「いや、物自体は残されている。欲しかった情報がまだここに残っているかもしれない。まずはここを探るところから始めよう」
ヒマリはそう答え、事務所に残された物を順番に見始めた。パラドックスは不満そうにしながらも、自分一人で動く道標もないからだろう。素直に残された物を順番に見始めている。
残された物は残されているとこからも分かるように、その大半があまり大した情報ではなかった。表から見える酒鬼組の活動に対する記録ばかりで、裏側にある怪しい行動は全て秘匿されている。
ただ唯一、ヒマリが気になる物をパラドックスが発見していた。見つけたファイルを確認し、パラドックスがヒマリのことを呼ぶ。
「ねえ、これ」
「どうした?」
そう問いながら、ヒマリはパラドックスの持つファイルを覗き込んだ。中には様々な物件の情報が乗っている。
「酒鬼組が所有している物件の情報か……?」
「ここから移動するとしたら、この中のどれかという可能性はない?」
パラドックスの問いかけに、ヒマリは少し考えてから、小さく頷いた。残されているということは確率が少し低いのかもしれないが、この中から一つの隠れ家を発見すること自体が難しい。
一時的な移動先なら、この中から選んでいる可能性は十分に考えられる。
「一応、持っていこう。二人で片っ端から当たるのは現実的ではないが、何もないよりはマシだ」
ヒマリがパラドックスに声をかけ、そのファイルを受け取った。
その時、ヒマリとパラドックスの耳に物音が転がってきた。二人の動きがピタリと止まり、ゆっくりと視線が事務所の入口に向く。
足音。それも二人分の足音が事務所の前で止まる。
(誰か来た……!?)
そう察したヒマリの前で、事務所の入口のドアノブがゆっくりと動いた。




