3-13.三つ巴
片目を擦りながら、ゆっくりとパラドックスが身を起こした。カプセルから解放され、まだ意識が定まっていないのだろう。ぼんやりとした瞳を、ゆっくりと周囲に向けている。
やがて、その中に立っていたヒマリと目が合った。すぐにぼんやりとした目に光が宿り始めて、その視線がヒマリから近くにいるジッパやシトに向く。パラドックスが何かを認識したらしい。
そこから、一気に顔を振った先には、アザラシが立っていた。片手には刀を持ち、そこに座り込むパラドックスを驚きと感心に包まれた目で見ている。
「誰? 何?」
パラドックスがアザラシの存在に疑問を呟き、ヒマリ達を警戒しながら、ゆっくりと立ち上がった。その様子を眺めていたアザラシが残念そうに眉を顰めて、パラドックスの様子に首を傾げている。
「ああ、簡単に終わる予定だったんだが、こうなったら、少々面倒なことになりそうだ。できれば、抵抗して欲しくないが、それは望み過ぎかい?」
アザラシが困ったようにパラドックスに問いかけ、パラドックスはアザラシからの質問に困惑した表情を向けていた。何者かも分からない相手からの言葉に、どのように反応したらいいのかすら分かっていない状況だろう。
それから、パラドックスはアザラシの様子を観察し、そこに見て取れる異常さに気づいたようだ。不意に表情を変えたかと思えば、緊張と真剣さが綯い交ぜになった目でアザラシの全身を見ている。
「それは……? 何……?」
パラドックスが問いかけ、指を差した先では、べっとりとアザラシの和服を汚す跡があった。その跡の正体は言うまでもない。アザラシがパラドックスを斬った際についた血液である。
アザラシが自身の服を不思議そうに見下ろす。そこについた跡の正体が分からないからではなく、見て分かる物を聞いてくることに疑問を覚えているのだろう。ここまでのアザラシの言動を考えれば、それくらいの予想はついた。
その前でパラドックスがヒマリ達に目を向けてから、ゆっくりと辺りを見回している。その視線はヒマリ達とアザラシの間を行き来してから、最終的にヒマリ達の方で止まった。
「ミレニアムはどこ?」
その言葉はヒマリを睨みつけるような視線と共に発せられた。ただヒマリはパラドックスの視線に含まれた、動揺や緊張に見える揺らめきを感じて、その質問に対する言葉を飲み込む。
その一方、アザラシはあっけらかんとした様子で顔を上げ、目の前で身体を僅かに強張らせている少女に対して言った。
「んん? 俺が斬ったが?」
その返答にパラドックスの頭がゆっくりと回転し、アザラシの方を向いた。アザラシはその視線に首を傾げ、不思議そうにパラドックスの表情を見つめている。
「今、何て……?」
「聞こえただろう? 俺が斬ったと言ったんだ。こう、頭をスパンと横に。この道を行って、その先にあるファミレスに入ってみるといい。まだ店内に死体が転がっているだろう」
「この……クズが……!?」
まだ幼さの見える少女に対して、平然と殺害したことを伝え、堂々と立っているアザラシにヒマリが激怒し、言葉を投げつけようとした瞬間、目の前でパラドックスの身体が動いた。
急に開かれた腕は一瞬で異形の物へと変化し、パラドックスは穴が開くような鋭い視線をアザラシに向けている。
「ころ、してやる……!?」
喉の奥に詰まらせながら、パラドックスは憎悪に満ちた言葉を発していた。アザラシを睨みつける瞳からは、顎に向かって伸びる一本の筋が見て取れる。
「まあ、待て。俺はお前をここで殺すつもりがない。だから、その腕を下ろせ」
「うるさい!」
アザラシは片手を伸ばし、パラドックスを制止するように言ったが、その言葉をパラドックスが聞くはずもなかった。パラドックスはアザラシに飛びかかり、異形と化した腕をアザラシに振るう。
その腕の動きに合わせて、アザラシは握っていた刀を振るった。刀が爪とぶつかり、音を立てて崩れていく。何でも貫く異形の腕の前では、アザラシの刀も簡単に折れるようだ。
「おっと、危ない。嬢ちゃん、そんな攻撃をしたら、俺が死んでしまうじゃないか」
「ミレニアムを殺した奴が勝手なことを言うな!」
パラドックスは逃げるアザラシを追いかけるように踏み込み、更に爪を押しつけるように、何度も異形の腕を振るっていた。アザラシはそれを簡単な足運びで躱し、パラドックスとの間に一定の距離を作り続けている。
その様子を眺めていたジッパが振り返り、ヒマリに呟いてくる。
「ヒマリさん。今なら逃げられますよ?」
ジッパの言う通り、パラドックスとアザラシがぶつかり始めた現状なら、ヒマリ達が離脱することは容易いだろう。
だが、今の状況から既に二人の力量差は見て取れ、必然的に結末まで予想がしやすい。ヒマリ達がこの場から離脱した先に、どのような結末が訪れるのか分かる以上、ヒマリはそう簡単に逃げ出せない。
「あの二人を見て、どちらが勝つと思う?」
その想像を確認するために、ヒマリはシトに質問した。質問を受けたシトがじっと二人の様子を眺めて、やや曇った表情をヒマリに向けてくる。
「多分、見えている通り……」
「そうか……」
シトが見た光景までは分からないが、シトが見たということは放置した時に、その結末がほとんど確定しているということだ。もしくは、良い結果がそこになかったのなら、結末は確定しているとまで言える。
それを放置して逃げ出すのは、さっきまでファミレスで突きつけられた二択を選んだようなものだ。ヒマリがそれを許容できるはずもなく、申し訳なさそうにジッパを見た。
「悪い、ジッパ。ここは流石に見逃せない」
ヒマリがそう返答した直後、素手で回避し続けていたアザラシの腕が袖口に伸び、そこに攻撃を加えようとパラドックスが接近した。
その様子を見たヒマリが咄嗟に口を開いて、パラドックスに伝える。
「そいつの袖に気をつけろ!」
その声に反応し、パラドックスがアザラシの袖を見た直後、アザラシが袖口に伸ばした手を一気に動かした。袖から刀を引き抜き、そのままパラドックスを斬りつけようとするが、視線を向けていたパラドックスの反応が間に合って、異形の腕が刀を粉砕する。
「刀を……どこから……?」
パラドックスが粉砕した刀に驚きと疑問の表情を浮かべる中、アザラシの視線はパラドックスからヒマリに向いていた。
「やっぱり、手の内がばれている相手は生かすべきじゃないか。となると、そっちも放置はできないな」
アザラシの鋭い視線がヒマリを捉え、ジッパとシトが狼狽えた様子で後退る。
「ちょ、ちょっと……? どうするつもり……?」
「決まっている。こっちも正面から相手する」
「正気ですか、ヒマリさん!?」
ジッパとシトが驚きに満ちた目をヒマリに向ける前で、ヒマリはゆっくりと息を整え、アザラシとパラドックスを見つめていた。
「安心しろ。さっきまでと違って、今はかなりあいつの動きを見れた。それに武器もある」
そう告げたヒマリがリュックサックを持ち上げ、そこに突き刺さっていたナイフを抜いた。アザラシの投げた物だが、ヒマリの手の中にあっても消えない。パラドックスの砕いた刀を見た時に思ったが、やはり、ミレニアムの糸と同じような力らしい。
ヒマリがナイフを構え、アザラシはパラドックスから距離を取る。パラドックスは異形の腕をアザラシに向け、憎悪に満ちた目をまっすぐに突き刺していた。
怪人になる前から死線は潜ってきたヒマリだ。ある程度、アザラシの力量は見ているだけで分かる。その上で、アザラシに勝てる条件が揃った。
そう確信する前で、口火を切るようにパラドックスが動き出した。




