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アンビリーバーズ  作者: 鈴女亜生


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3-11.千切木紐糸

 十六歳の千切木(ちぎりぎ)紐糸(じゅうし)少年は非常に控えめな性格で、端的に言ってしまえば、根暗だった。教室の片隅にじっと座り、息を殺して、ただ淡々と流れる日々を過ごしているだけの高校生だった。目立たないどころか、卒業後、三日後には誰の頭の中にも残っていないくらいの生徒だ。


 当然のように友人もおらず、ただ勉強と空白が積み重なる学生生活を過ごすだけで、そこに大きな思い出の一つも生まれることはなかった。


 ただ幸いなことに、あまりに地味なチギリギ少年がイジメに遭うことはなかった。その対象にすら入らない存在と言えただろう。そこだけは救いで、故にチギリギ少年は一日も欠かすことなく、学校に通っていた。誰も知らない皆勤賞である。


 その少年にも、唯一、学校生活で変化が訪れる瞬間があった。それがただ一人、クラスの中で席に座って本を読んでいる最中、どこからともなく聞こえてくる声が合図だ。


「チギリギ君」


 その呼び声に顔を上げてみれば、そこにはクラスメイトの女子、あ……い……? か……さ……な……? ○○さんが立っていた。


 は……ふ……ま……み……? ○○さんはクラスの中で数少ないチギリギ少年に話しかけてくれる同級生だった。チギリギ少年ほどではないにしても、クラスの中ではあまり目立つ方ではない生徒で、チギリギ少年は彼女にどこか似た部分を感じていた。


 クラスの中で明らかに浮いている。あまりに浮き過ぎて、誰からも浮いていることにすら気づかれていないチギリギ少年を発見し、声をかけてくれる優しさを持った女性だ。顔もはっきりとは思い出せないが、可愛い方だったと思う気持ちはある。フィルターがかかっていなければ、その気持ちは正常だろう。


 いくら地味で、根暗で、クラスの多くの生徒から認識されていないチギリギ少年でも、その心は普通の男子学生のものだ。可愛いと思う同級生が仲良くしてくれたら、それだけで気持ちは簡単に傾く。

 気づけば、チギリギ少年は、ら……わ……? ○○さんに淡い恋心を懐き始めていた。


 とはいえ、チギリギ少年はどうしようもないほどに根暗である。恋心を現実のものに昇華するほどの行動力はなく、ただ何となく、どこかで仲良くなれたらいいと思う気持ちだけを抱え、数ヶ月が経過した。


 そんなある日のこと。放課後、チギリギ少年は誰もいない教室に、足早に戻っていた。机の中にノートや教科書を仕舞った際に、机の中に入っていたプリントが奥に押し出されたらしく、宿題のために必要なプリントが鞄の中にないことに気づいたのは、家に帰ってからだった。


 慌てて学校に戻り、遅くまで残っている運動部を尻目に、チギリギ少年は校舎に足を踏み入れた。外はゆっくりと暗くなり、まだ明かりのついていない廊下は、細部に何が落ちているかも分からない。

 その中を駆けるように進んで、いざ教室に入ろうとしたところで、チギリギ少年は教室の扉が開いていることに気づく。明かりがついている雰囲気はないが、中からは微かに物音と誰かの話す声が聞こえてくる。


 誰かいる。そう思ってから、聞こえてくる声が○○さんのものであると気づくまで、あまり時間はかからなかった。好意を持っている相手だ。チギリギ少年が気づかないはずもない。


 ○○さんがいる。そう思ったチギリギ少年が教室に入ろうとした直前、そこにもう一つの声が聞こえてくることに気づいた。


 ○○さんと同じく、チギリギ少年のクラスメイト。クラスの方では派手な男子生徒で、ともすれば、チギリギ少年を虐めていたかもしれない、素行の悪い生徒だ。名前は、あ……か……? さ……し……せ……? ●●くんだ。


 その二人が暗くなり始めた教室の中、廊下に薄らと聞こえる程度の声で、何かを話していた。チギリギ少年は普段の教室でそうしているように息を殺し、こっそりと扉を開けて、そこで二人が話している内容と、そこで二人が何をしていたのか目撃する。


 言いようのない興奮に包まれながら、チギリギ少年は○○さんと●●くんの関係性を悟り、そこに自分が割って入ることなど敵わないことを理解して、必要としたはずのプリントすら持って帰ることなく、チギリギ少年はその日、学校を後にした。


 そこから、数日間、チギリギ少年は学校を休んだ。表立った理由は体調不良。実際のところは違う。処理し切れない感情を処理するだけの時間が必要だった。チギリギ少年の人生にとって、最大とも言える戦いがその数日の間に行われた。


 やがて、チギリギ少年の気持ちは賢者の極致に達し、一つの解答を手に入れる。


 そうだ。もっと派手になろう。


 そこから、チギリギ少年のファッション街道が始まった。



   ◇   ◆   ◇   ◆



 チギリギ少年の心に取りようのないトラウマと、矯正しようのない歪みを生んだあの日から数年が経過し、チギリギ少年はチギリギ青年に進化していた。高校生だったチギリギ少年も、今では大学生だ。

 通っている大学は一般的な大学だ。珍しい学科があるわけでも、特別に頭が良いわけでもない。高校で学習をし、受験をし、合格するというプロセスに、特別大きな難易度も存在しない。平均的な大学だ。


 その大学に通うチギリギ青年は、大学の中でも噂になるほどに、派手な格好をしていた。ファッションを突きつめに突きつめた結果、色は淡いものではなく、はっきりしたものがいいという結論に達し、服は全て原色で構成された。色数も多い方がいいと思い、とにかく服には、派手な原色が複数使われているものを選んだ。

 やはり、ファッションとは目立つことにこそ意味がある。海外の様々なファッションショーを観察し、得た解答がそれだった。


 派手さに派手さを重ね合わせ、歩くカラーチャートとなったチギリギ青年は、同時にそれまでには存在しなかった自信を得られるようになっていた。派手になればなるほどに、自身は格好いいと感じるようになり、自然と自信が身体の内から湧き出た形だ。


 高校時代のトラウマにも決別し、生まれた歪みだけを体内に残したまま、チギリギ青年はある日、一人の女性と出逢った。


 通っている大学の敷地内で偶然発見し、その瞬間にチギリギ青年は恋に落ちた。それほどまでにその人は美しかった……と思われる。もしくは、高校生の頃に好きだった○○さんに面影が似ていたのかもしれない。もしくは、○○さん本人を発見したのかもしれない。

 どれかは分からないが、どれかは正解だ。確かにチギリギ青年は大学で恋に落ちた。


 以前のチギリギ青年なら、ここから仲良くなれたらいい程度にしか考えなかっただろう。ただ、今のチギリギ青年は違う。自分自身に自信を持って、相手の女性にアプローチするだけの気持ちが存在した。

 女性に声をかけ、少しずつ距離を縮めて、チギリギ青年はある日、何かの話の流れから、女性に好意を伝えることにした。


「☆○×△□。△○□――?」


 チギリギ青年の口から早回しのような声が漏れ、相手の女性に気持ちを伝える。相手の女性はチギリギ青年の言葉に驚いた顔をし、こちらに返答する。


「――――」


 唇が動いて、何かを言っていることは分かるが、何を言っているかは分からない。何を言っていたかと思ってみたら、不意に向こう側から女性の声が飛んでくる。


「そんな服、着てる人、無理」


 その言葉がチギリギ青年の頭を殴り、チギリギ青年の意識は吹き飛びかけた。真っ白になった頭を抱えたまま、ただぼんやりと大学の敷地内を歩いて、階段を降りようとする。


 そこで、足が段差を踏み外した。その感覚が全身を襲い、()()()()()は思い出した。


(あっ……そうか……あの時に頭を打って……全部、()()()……)


 そう考えるミレニアムの視界がゆっくりとずれ、目の前に立っているはずのアザラシの姿がぼんやりとしていく。


(どうして、ずれ……?)


 そこまで考え、思い出した記憶を懐かしそうに手に取ろうとした瞬間、ミレニアムの意識がぷつりと途絶えた。



   ◇   ◆   ◇   ◆



 ミレニアムの遺体が転がって、店内は更なる混乱に包まれていた。誰ともなく悲鳴が上がり続けて、全員が逃げようと糸の壁に縋っている。

 その中でアザラシは刀を床に突き刺し、それまでのことが何もなかったかのように、隣のテーブルに再び腰を下ろした。


「さて、邪魔者はいなくなったし、再び話に戻ろうか、若いの」


 そう言いながら、アザラシはヒマリをまっすぐに見てくる。表情には笑みを浮かべているが、血に塗れた笑みほどに恐ろしいものはない。


「さっきのカプセルを渡してくれるかい?」


 アザラシの手がゆっくりと上がって、ヒマリに向かって差し出される。その上にカプセルを置けと催促しているようだ。


 そこに返答することなく、ヒマリはアザラシが地面に突き刺した刀を見る。刀はまだアザラシの右手近くに存在し、そこから抜き取ることは容易だろう。

 隣のテーブルとの距離を考え、アザラシが踏み込む速度を考え、ヒマリは自分達三人が返答次第で即座に斬られることを理解する。


 ジッパとシトが静かにヒマリを見てきた。返答はヒマリに委ねると視線で語っている。決断を避けたのではなく、ヒマリの決断に信頼を置いている証だ。その信頼が重く伸しかかるが、今のヒマリに捨て去る気持ちはない。


「さあ、早く」


 急かすようにアザラシが告げる。その嬉々とした目を前に、ヒマリはゆっくりと息を吐いた。ここからは一度も死ねない、死にゲーの始まりだった。

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