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アンビリーバーズ  作者: 鈴女亜生


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2-31.いい日旅立ち

 折れた人差し指を無理矢理に立たせ、固定するために鉛筆を添えた。剥がれた爪は、木工用ボンドでも見つかれば張りつけたのだが、木工用ボンドも、落ちたはずの爪も見つからなかったので、衣装部屋にあった手袋を拝借することにした。


 傷の回復は当然、間に合わないが、負った傷を隠すことはできた。ヒノエは痛々しいアズマヤやマルイの状態に、心配や巻き込んでしまった申し訳なさを感じているようだったが、それを素直にアズマヤ達は受け取らなかった。

 これは自分自身の失態で負った傷だ。頑なにそういうことにして、ヒノエの罪など最初からなかったと証明し、アズマヤ達は一息ついた。


 アイユやキッカの遺体は触れなかった。触りたくなかったとも言える。そのまま放置し、来るはずの警察に明け渡すことにした。

 ミチカは拘束し、到着した警察に引き渡す予定だった。とはいえ、ヒノエの立場上、ヒノエは警察が到着した現場にいられない。アズマヤもほとんど同じ立場で、警察を呼ぶ前に屋敷から出ることにした。


 警察は屋敷に一人で残るマルイが呼ぶことになった。マルイも逃げることを提案したのだが、誰かが起きたことの説明をしないといけない上に、マルイには母親の問題もある。何もかもを放棄して、アズマヤ達と一緒に屋敷を出るわけにはいかないと言って、マルイは残ることを決めたようだった。


 ただ、アズマヤ達の見送りには来てくれた。アズマヤとヒノエは、屋敷から最も近い駅に向かい、そこからミチカ達と出逢ってしまった駅まで、電車で向かうことに決めたのだが、その駅までの案内をマルイが買って出てくれた形だ。


 電車賃は慰謝料代わりにミチカからくすね、アズマヤ達は駅の前までやってくる。普段なら間違いなく、ただの窃盗だが、今は窃盗を超える犯罪に合い、隠しても隠し切れない傷を負った状態だ。その中での窃盗など、罪に問えるはずがない。問える人がいないとも言える。


 アズマヤとヒノエは到着した駅を見上げ、そこまで送ってくれたマルイに頭を下げる。


「本当にありがとうございました。それから、本当に巻き込んでごめんなさい」


 謝罪するヒノエを前にし、マルイは慌てたようにかぶりと両手をぶんぶんと振る。


「いやいや! ヒノエさんが謝ることじゃありませんよ! 私が不用意に飛び込んだんですから、これも全て自業自得です。生きていただけ、本当に良かったと思ってます」


 満面の笑みを浮かべて、一切の疑いようなく答えるマルイを目にし、ヒノエが僅かに安堵したように微笑む。マルイに本当の意味で謝るのは自分かもしれない、とアズマヤは考えるが、それもきっとマルイは受けてくれないだろう。マルイを困らせるだけなら、と思ったアズマヤが喉の奥まで上がってきた言葉を飲み込む。


「マルイさんは、本当に一人で大丈夫ですか?」


 これからマルイは屋敷に戻って、そこで警察を呼ぶ予定だ。到着した警察に全てを話し、ミチカを引き渡すことになっている。そこにアズマヤは一抹の不安を覚えるが、マルイは力強く首肯した。


「もちろん、任せてください。屋敷に勤める者として、ちゃんと後始末はやります。掃除は得意なんです!」


 笑顔で答えるマルイに、アズマヤとヒノエは苦笑を浮かべる。掃除と言うにはあまりに汚く、あまりに散らかり過ぎているが、それでも、マルイなら大丈夫だろうとアズマヤもヒノエも思え、二人はここでマルイに背を向けることを決めた。


「本当にありがとうございました!」

「お元気で!」


 アズマヤとヒノエがマルイに声をかけ、マルイは大きく両手を振りながら、二人を見送る。アズマヤとヒノエは揃って、駅の構内に消えていき、駅の外にはマルイ一人だけが残された。


「さて、私も帰ろう……」


 マルイが小さく独り言を呟き、これから行うことを頭の中でまとめようとした。警察を呼んで、警察に事情を説明する。ミチカのやったこと、アイユのやったこと、キッカのやったこと、アイユの最期、キッカの最期、ミチカの現在、覚えないといけないことは多い。それらを正確に説明できるか、若干の不安はあるが、これは自分だけに与えられた役目だ。

 何とか、こなしてみせよう。そう決意し、マルイが駅に背を向けて、歩き出そうとした。


「おっと……? この匂いは……?」


 そこで不意に前方から声が聞こえ、マルイは思わず顔を上げた。そこには人が立っている。筋骨隆々の大きな男。ペットらしき黒い犬。それらの姿を目にしてから、マルイは若干の違和感を覚える。


(あれ? ペットにリードをしていない?)


 このような公共の場で、犬を放し飼いにするとは危ない、とマルイが思っていると、男が不思議そうに口を開いた。


「どうした? 何があった?」

「えっ?いえ、何も……」


 急に話しかけられたと思ったマルイがそう答え、かぶりを振ろうとしたところで、男の声に疑問を懐く。


「おっと……? この匂いは……?」

「どうした? 何があった?」


 その声は共に前方から聞こえ、そこには男と犬しかいないが、その声は()()()()()()()()()。明らかに別人と分かる声の違いに、マルイが疑問と違和感を覚え、頭を混乱させていると、男の目がゆっくりと黒い犬に向き、それに釣られて、マルイも黒い犬を見やった。


「そこのあんた。少しいいか?」


 そこで()()()の口が動いて、そこから声が発せられた。


「ヒッ!? 犬が喋った!?」


 思わず驚き、マルイが後退ると、黒い犬はどこか呆れたように溜め息をついてから、再び冷ややかな視線をマルイに向けてくる。


「そんなに驚く必要はない。あんたを襲うつもりはないし、俺を見たからって死ぬわけでもない。ただ質問が一つあるだけだ。端的にイエスかノーで答えてくれ」


 そのように説明する黒い犬の声を聞きながら、マルイはふと屋敷で聞いた怪人の話を思い出していた。特別な力を持った特別な人間。改造手術で生み出されているらしく、その存在は超人と同じらしい。


 超人と同じ。超人も特別な力を持っている。


 つまり、黒い犬は超人? マルイがそう思った直後、黒い犬が僅かに鼻を動かし、口を開く。


「あんた」


 その次に出る言葉を、マルイは何となく、聞いてはいけない気がしたが、耳を塞ぐには口の動きが速かった。


()()()()()()()()()()()?」



   ◇   ◆   ◇   ◆



「ヒノエさんのお母様が入院している病院って、どこにあるんですか?」


 駅の構内で切符を買う時になって、アズマヤはそのように質問した。ヒノエはきょとんとした顔でアズマヤを見上げ、「どうして、そんなことを?」と聞いてくる。


「あの屋敷に泊まることになって、すぐに逢いに行く予定だったのに、時間が経っちゃったじゃないですか? だから、今から行けるなら、すぐに行くべきだと思うんです」


 早朝から拷問を受け、治療を終え、屋敷を後にした現在でも、まだ昼を回ったばかりの時刻だ。今からなら面会時間にも間に合うことだろう。


「いえいえ、アズマヤさんは自分が家に帰ることを考えてください。高校生が何も言わないで、何日も帰ってこないなんて、きっとご家族が心配されていますよ」


 今のアズマヤはアイユの手によって、かなり痛めつけられている。ボロボロの状態のアズマヤを一人で帰したら、途中で倒れるかもしれないと思ったらしく、ヒノエはアズマヤを家に送ると言って聞かない。

 それなら、と考え、アズマヤが対抗馬として出した案が、ヒノエの母親のお見舞いに行くことだったのだが、そこはお互いに譲る気配がなかった。


「俺の方についてきて、そこから一人で向かったら、今日はまた時間がなくなりますよ? その後はどうするんですか? 野宿でもするつもりですか? 病院にお見舞いに行って、その後に俺の家に来るなら、俺は家族を説得できますよ?」


 ヒノエ一人くらいなら泊まれる部屋もある。家は絶対に後の方がいいと伝えると、ヒノエは僅かにぽかんとした顔をしてから、不意に頬を赤く染めた。


「そ、そういうことを! あんまり平然と言わないでください!」

「えっ? 何で?」

「何でもです!」


 そう言いつつ、ヒノエはアズマヤの案を考えてくれているのか、僅かに視線を彷徨わせて、路線図の方を見ている。


「……分かりました。確かに宿の問題はあるし、アズマヤさんがそう言ってくださるなら、そうしましょう」


 ヒノエが承諾し、目的の病院のある場所を聞き出したアズマヤが二人分の切符を買って、二人は駅のホームに移動する。


「自分の家に帰れたら、こんなことには……はあ……大丈夫かな……?」


 その途中、ヒノエは頻りに何かを呟き、何度も困ったように溜め息をついていたが、その理由を聞いても答えてくれず、アズマヤはヒノエがどうしてそのような態度を取っているのか分からないまま、二人揃って電車に乗り込んでいった。

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