1-6.クロノス
「怪人組合?」
聞き慣れない言葉もここまで重なれば、困惑よりも面倒臭さが勝ち始めていた。
無理矢理に怪人とされたという経緯も相俟って、ミトは眉を顰めながら、怒り交じりの溜め息のように声を吐き出す。
「そうそう。落ちぶれるところまで落ちぶれた怪人の地位を向上させ、怪人の住みやすい社会を作ることを目的とした、怪人のためのコミュニティーだよ。怪人となった君も、しっかりと歓迎しよう」
差し伸べるように手を伸ばしたまま、恐怖さんはさも当然のようにミトに言ってきたが、ミトはその手を掴む気分ではなかった。そもそも、物理的に掴める距離ではない。
恐怖さんが自分を含めて怪人組合と表現したことから、恐らく、恐怖さんも怪人であることは間違いないのだろう。
人間離れした風貌と、常識外れの振る舞いを見れば、それも納得のいくものだ。驚きはない。
ただ、その恐怖さんがミトの意思など関係なく、勝手に怪人となるように連れ出しながら、自分達の集まりにミトを引き入れようとしている点は納得いかなかった。
強引な勧誘以外の何物でもなく、ミトが受け入れる理由は微塵もない。
「申し訳ありませんが、無理矢理に連れてこられて、その怪人組合に入れと言われても、流石に納得できません。僕を帰らせてください」
ここまでの話の流れがどれだけ本当で、どれだけ嘘か、未だにミトは判断できないが、全てを本当だと仮定しても、全ての話の流れが強引過ぎる。
一切のミトの意思が介入しない決定に、流石のミトでも乗る気にはなれない。
確固たる意志を以て、帰りたいという気持ちを伝えると、恐怖さんは伸ばしていた手を誤魔化すように動かしながら戻し、深く溜め息を吐いた。
「そうか、帰りたいか。それはあまりお勧めしないが、私がお勧めできないと言っても、君は帰りたいのかね?」
「もちろんです」
恐怖さんの提案を断っている時点で、これ以上、恐怖さんの言葉を聞くつもりはない。
何を理由にお勧めできないと語っているのか分からないが、ミトは家に帰ると決めたからには帰る気持ちでいた。
「よし、分かった。それだけ強い意志があるなら、君を怪人組合に勧誘することは諦めよう。ただ万が一にでも、気持ちが傾いたら、その時は連絡してくれるかね?連絡先を渡しておくから」
そう言って、恐怖さんはサラさんに紙か何かを用意させようとしているが、ミトはそれを遮るようにかぶりを振った。
「必要ありません。怪人組合というものに入るつもりはありません」
「本当に?これっぽっちも?」
「はい。絶対に入りません」
ミトの固い決意を受けて、恐怖さんはしばらく拗ねた子供のように唇を尖らせていた。
「そこまで強く否定しないでもいいのに。少しくらい希望のある返答をしようとは思わないの?人として、相手の気持ちは考えるべきでしょう?」
「もう人ではありません。気づいたら、怪人にされていたので」
ミトが恨みを少しでも晴らすようにそう告げると、恐怖さんはつまらなさそうに溜め息をついて、テーブルの上に残っていた最後の肉片を口の中に突っ込んだ。
「そこまで言うなら、仕方ない。君のことは完全に諦めて、君の帰宅を許可しよう」
その一言を受けて、ミトが喜びを見せながら立ち上がろうとしたのも束の間、恐怖さんがミトの足を縫い止めるように、指を一本立てて口を開いた。
「ただし、一つだけ条件がある」
「条、件……?」
「君が知っているように、外は怪人にとって厳しい世界だ。その世界を君が生き抜いていくには力が必要だ。その力を君が示せたら、君の帰宅を許可しよう」
「力……?」
ミトを勝手に怪人にした張本人が言うことではないと思ったが、それよりも今は恐怖さんの言う力が何かという方がミトは気になった。
「力とは……?」
「そのままの意味だよ。怪人の持っている力。君も聞いたことがあるだろう?どうして、怪人が化け物と呼ばれるのか」
そう言われ、ミトは怪人にまつわる話を思い出していた。
確かに怪人は特別な力を使うと聞いたことがあるが、ここに至るまで、ミトは自分が何か特別な力を使えると感じた瞬間がない。
「その力を発揮して、君がある人物に勝てたら、君の帰宅を許可しよう」
「ある人物……?」
「この屋敷に住む怪人の一人さ。その人を打ち負かせたら、帰ってもいいよ。何、別に殺し合いをさせようとしているわけではない。ただ相手に敗北を認めさせれば、それでいい」
「それを断ったら、どうなるのですか?」
恐怖さんの提案を受けなくても帰る未来はあるのかと思い、ミトはそのように質問してみたが、恐怖さんからの返答が笑みだけであることを確認し、それ以外の可能性は微塵もないことを悟った。
不気味な笑みの裏側で何を考えているのか、更に追及して暴き出すことが怖い。
「分かりました……その条件を飲みます……」
「よし、では、サラさん!彼を大広間に呼びたまえ」
ミトが条件を飲むと誓った直後、恐怖さんは手早くサラさんに指示を飛ばし、話は円滑に進み始めた。
恐怖さんの言う対戦相手とは誰なのかとか、恐怖さんの言う力を発揮できるのかとか、ミトには不安に思うことがたくさんあったが、それらを解消する時間もなく、舞台はダイニングル―ムから大広間に移行した。
◇ ◆ ◇ ◆
「さて、紹介しよう。彼が速瀬秀人くんだ」
ミトが大広間に移動した後、大広間を訪れた男の隣に立って、恐怖さんがそのように紹介した。
ハヤセという男は恐怖さんの紹介に恐縮し、やや気まずそうな表情で、ミトに軽く会釈してくる。
「初めまして、ハヤセです。君がミトくん?いろいろと大変だったね」
若々しい見た目をしていることは間違いないが、高校生であるミトからすれば、数歳は年上だと思われるハヤセは、これまでのミトの境遇に同情するように苦笑いを浮かべていた。
大広間を訪れた時から見せる所作といい、発言の穏やかさという、全体的に物腰柔らかな印象の男だ。
「では約束通り、ミトくんはこれから、ハヤセくんと戦ってもらうよ。もしも勝ったら、君は自由だ。ただし、負けたら、その時は……というわけだから、しっかりね」
負けたらどうなるのか明言することなく、恐怖さんは活を入れるようにハヤセの背中を叩いた。
その振る舞いの不穏さにミトだけでなく、ハヤセも苦々しい表情を浮かべている。
どうやら、この人もこの人なりに大変なようだ。
「まあ、取り敢えず、よろしくね」
「あっ、はい。よろしくお願いします」
戸惑った様子のハヤセに挨拶され、ミトも反射的に挨拶を返す。
何をどうすればいいのか未だに良く分かっていないが、ハヤセの雰囲気を見るに、危険なことにはならなさそうだ。
そうミトが安心した直後のことだった。
「じゃあ、いきなりだけど、ごめんね」
そう告げて、ハヤセがミトに掌を向けてきたかと思えば、不意にハヤセの動きが変化し始めた。
「すぐに終わらせ~~!」
ハヤセの口にする言葉が途中から早回しのように変化し、ミトは何を言っているか聞き取れなくなる。
何が起きているのかと不思議に思うミトの前では、ハヤセがどんどんと倍速で動き出していた。
(動きが速くなってる……!?)
そう思ったのも束の間、ミトはハヤセの向こう側に立つ恐怖さんを目にし、ミトの認識が間違っていることに気づいた。
速くなっているのはハヤセだけではなかった。
ハヤセの背後で傍観している恐怖さんも、入口の前から動くことのないサラさんも、部屋の中に置かれた時計の針も、全てが等しく速さを増していた。
それはまるで、ミト以外の世界が加速したような光景だ。
(何これ!?)
戸惑うミトは知らなかったが、実はハヤセは怪人の中でも有名な怪人だった。
超人達には『クロノス』と呼ばれ、強く警戒されている怪人の一人だ。
その力の正体は最初にミトに向けた掌にあった。
ハヤセはそこから対象の体感時間に影響を与える特殊な電波を発生させることができた。
具体的には、一時間を五分程度の短さに感じるようになり、本来は一分程度かかる移動も、電波の影響を受けた人物からすれば、一秒にも満たない時間の中で瞬間移動のように移動したと思ってしまうようになる。
その影響をミトは受け、そのために世界が全て加速したように思えていた。
ハヤセはミトの前で、ミトが認識し切れない速度で拳を構え、ミトにまっすぐ向かってくる。
(殴られる……!?)
咄嗟にそう思ったミトが防御しようと腕を構えるが、その腕はミトの時間の流れの中で動いている。
ハヤセからすればとても遅く、それでハヤセの拳が防げるはずもなかった。
瞬間、ミトは腹部に痛みを感じ、大きく息を吐き出す。
苦しみと痛みに襲われ、ミトは身体をくの字に曲げながら、どうしてと問いかけるような目をハヤセに向けた。
(平然と人を殴る人には見えなかったのに、どうして……?)
そのように思うミトの前で、ハヤセが何かを口にする。
「~~~~」
しかし、その言葉は倍速で再生され、ミトの耳には言葉として届かない。
(怪人だから……?)
ふとミトはそう思った。
怪人だから、化け物だから、平然と人を殴ることができるのか、とミトは考え始める。
どれだけ優しく見えても、怪人は人を殴ることに心を痛めないのか、とミトは感じ始める。
それなら、自分もその化け物から身を守るために、何とかしないといけない。
そう考えるミトの前で、ハヤセが再び拳を握った。また振るわれると思い、ミトは追いつきもしない腕を持ち上げて、自分の身を守ろうとする。
実は、ここまで完璧にミトの動きを封じ、超人からも警戒されるハヤセの力にも、一つだけ明確な弱点が存在した。
それは最初に掌を向ける必要があるとか、そういう微妙なものではなく、はっきりとハヤセの電波が効果を発揮しない相手が存在するのだ。
そのことを知らないミトが自分の身を守ろうと腕を持ち上げ、ハヤセの拳がミトの顔面に叩き込まれようとした。
その瞬間だった。
ミトの持ち上げた腕が巨大な柴犬の顔に変化し、腕を振り被るハヤセの前で、大きく口を開いた。
「えっ……?わん太郎……?」
ミトがそう呟いた直後、ミトの腕から現れた巨大なわん太郎の口がぱくりと閉じて、ハヤセを頭から飲み込んだ。
相手の動きをほぼ完ぺきに封じるハヤセの電波だが、それが効く相手は人間に限定されていた。
他の動物には何があっても効果を発揮しない。
ミトの腕から現れたわん太郎はハヤセの上半身に齧りつき、もぐもぐと咀嚼を開始した。
わん太郎の口からはハヤセの下半身がだらんと垂れ、そこから、床の上に溜まるほどの血液が垂れてきている。
その光景に動揺し、ミトが赤い水溜まりの上に崩れるように座り込んだ直後、元の速さに戻った恐怖さんが驚いた様子で呟いた。
「あら、凶暴」