2-21.害虫駆除
困惑する思考は昨晩に遡った。アズマヤがマルイの部屋を出た直後のことだ。不意にアズマヤは背後から声をかけられ、振り返った。そこにはキッカが立っていた。
「ここで何をしているのですか?」
キッカが再び疑問を口にする。夜間の外出だけでも違和感でしかないが、マルイの部屋の前に立っているとなれば、その違和感の強まるものだ。
キッカの表情はいつもと変わらないが、その中に不信感に見える色が見え、アズマヤの頭は自然と回転した。それなりの理由を用意しなければならない。自分とマルイの関係やマルイとキッカの関係を考え、アズマヤはそう感じた。
「昼間から休んでいた所為か、少し寝つけなくて。屋敷の中を少し歩いていたら、偶然、マルイさんの部屋を発見したところなんですよ」
キッカがいつからいたのか分からないが、部屋を出た時には気配がしなかった。その後に来たのなら、今のアズマヤの話に含まれた嘘を嘘とは分からないはずだ。
ややぎこちないながらも、暗がりの中ではばれない、それなりの笑みを浮かべ、アズマヤがキッカにそう告げると、キッカは少し黙ってから、納得するように頷いた。
「ああ、そうだったのですか。寝つけないのでしたら、何か用意しましょうか?」
「いえ、少し歩いていたら、少しだけ眠たさを覚えてきたので、一度、部屋に戻って、横になってみようと思います」
「ああ、そうですか」
「はい、おやすみなさい」
必要以上の会話を続けて、嘘が嘘だと露呈したら不味いと考え、アズマヤはそこで話を切り上げて、自室に戻ろうとした。元より自室に戻る予定だったので、その行動に不利益はない。
キッカに軽く会釈しながら、その脇を通り抜けて、アズマヤは自室のある方に歩き出そうとする。その方向を確認した時、ふとアズマヤは思った。
この方向からキッカが来たとしたら、散歩するアズマヤの背中を追うようにずっと歩いていたことになる。その背中を見ていないことくらいはキッカも分かっているはずで、今の話で納得するとは思えない。
寧ろ、アズマヤが嘘をついていることを理解し、アズマヤの行動を不審に思うはずだ。
それなのにキッカはどうして納得するような仕草を見せたのか、という疑問と、キッカの後ろには曲がり角のような、少しでも身を隠せる場所がないことに気づくのは、ほぼ同時だった。
アズマヤが廊下に出てから、キッカがいると気づくまでの一瞬、アズマヤはキッカの存在に気づいていなかったから、キッカがどこからか現れたと思っていたが、その場所がないとすれば、話が変わってくる。
キッカはアズマヤが部屋から出た時にはそこにいて、アズマヤの背後から声をかけた。まるで待ち伏せていたかのような行動を取った可能性に気づいて、アズマヤがキッカに目を向けようとした瞬間だった。
不意に背後からキッカの腕が伸び、アズマヤの首元に絡まって、アズマヤの首を強く締め上げるように持ち上げてきた。
「おやすみなさい」
言い残した挨拶を告げるようにキッカが耳元で呟く中、アズマヤの意識はゆっくりと遠退いていく。残された記憶はそこが最後だった。
それから、気づいたらアズマヤは処置室の中にいた。中央に置かれた手術台の上。手足を手術台に縛りつけるように拘束されている。
これは一体何がどうなっているのか、と疑問に思う一方、アズマヤの頭の中ではマルイから聞いた話が再生されていた。
曰く、怪人が立ち去るところを見たことがないらしい。
曰く、怪人がいなくなった前夜、人間に見える何かを運ぶキッカを目撃したらしい。
曰く、アズマヤが立ち去る予定の前夜は危険らしい。
それらのマルイの証言が最後に覚えているキッカの姿と重なって、アズマヤの中に確かな疑念を作り上げていく。
マルイから話を聞いた時は、その話を考え過ぎだと思っていたが、既に考え過ぎとは思えないほどの材料が用意された。それもアズマヤの身に迫る危機という形で。
まさか、あの疑惑は全て正解だったのかとアズマヤが思った直後、不意にアズマヤの隣で微かな物音が立って、アズマヤの視線がそちらに動いた。
見れば、そこにはもう一台の手術台が置かれていた。前回はなかった物だ。その上にはアズマヤと同じように誰かが拘束され、小さく震えているらしく、その度に拘束具の金具が音を立てている。
そう思ってから、アズマヤはそこに拘束された人物の横顔を目にし、大きく目を見開いた。
「マルイ……さん……?」
名前を口にした瞬間、もう一台の手術台の上でマルイが身体を震わせて、逃げるようにアズマヤから顔を逸らした。
そこに拘束されたマルイは、隣から眺めるだけでも分かるほどに、ボロボロに見えた。何をされたのか詳細までは分からないが、特に手足は酷く、見える位置からも出血が確認できる他、拘束された手には爪がほとんど残っていない。
まるで拷問のような痕跡だと思っていたら、不意に処置室の扉が開かれ、同時に元気一杯な声が部屋中に響き渡った。
「グッモーニン!お目覚めの時間だよー!」
凄惨なマルイの姿に反して、楽しげに処置室に入ってきたのはアイユだった。手術台に横たわるアズマヤとマルイを確認し、感心したように頷いている。
「偉い偉い。二人共、ちゃんと起きてるね」
「アイユ……さん……?これは一体……?」
「う~ん?ああ、まあ、ちょっと待ちなよ。順番があるんだよねぇ!」
アズマヤからの質問を躱し、アイユはもう一台の手術台に近づいた。そこで横になっているマルイに顔を近づけ、アイユは囁くように問いかけている。
「それで、賢い賢いモモコちゃんは分かったのかな~?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「謝ってるだけじゃ分からないんだよ?ちゃんと言葉で言わないと」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
アイユが何を言っても、マルイは小さく謝罪の言葉を繰り返すだけで、会話が成立しているようには見えなかった。
縮こまり、見るからに怯えるマルイの姿に、アズマヤは何があったのかと目を丸くしていた。昨夜までのマルイはどちらかと言えば快活な性格で、時折見せる表情はそう見えることがあっても、ここまで明確に怯えた様子を見せていなかった。
その様子と、今のボロボロな姿に何か関係があるのかと思った瞬間、アイユがそれまで僅かに浮かべていた笑みを不意に消し、マルイの足を勢い良く掴んだ。
「謝ってるばかりじゃ分からないんだけど!?自分の立場が分かってるのかな!?モモコちゃんがいなくなったら、お母さんが死んじゃうよ!?」
「痛ぁああ!?分がぁ……!?分がっでます!?」
アズマヤの角度からは見えなかったが、掴まれたマルイの足には傷があったらしく、引っ込められたアイユの手は真っ赤に染まっていた。マルイは痛みに苦しみ、悶え、その様を見たアイユは満足したように頷いている。
「なら、いいよ。今回はちゃんと仕事をしたら許してあげる。でも、一度だけだからね。次にやったら、モモコちゃんも皆の仲間になってもらうから」
「……はい……分かりました……」
マルイは恐怖から逃れるように目を瞑り、涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、必死に小さく頷いていた。その姿は痛々しく、見ているだけでも辛く悲しい気持ちになるものだったが、アイユは笑みを浮かべて、その姿に満足した様子だった。
「アイユさん……?何で、こんなことを……?」
昨日までのアイユとは全く違う雰囲気と行動にアズマヤが驚き、疑問を口にすると、アイユは冷めた目で振り返り、口元に小さな笑みを浮かべた。
「あのね、ヨースケくん。私はね。このお屋敷に来たお客様は大切におもてなしするの。怪我も治すし、ご飯だって作っちゃう。服も部屋も必要な物は使えるように準備するし、ミチカ様のご命令次第では、もっといろいろご奉仕だってするよ」
アイユはゆっくりとアズマヤの隣に歩いてきて、アズマヤの身体をなぞるように触っていた。爪先から脛、太腿、お腹から胸に行くと、そこで曲がって肩の方に移動し、腕から手の方に進んでいく。
そして、指先に到着したところで停止し、アイユは優しく指を握ってきた。
「だけどね」
そこで、アイユがそう口にした。
その途端、指を握っているアイユの手に力が入って、アズマヤの指は痛みを覚え始める。
「アイユさん……!?痛いっ……!?」
「ヨースケくん?私はね。お客様は大切におもてなしするけどね。ミチカ様の周りをこそこそ嗅ぎ回る害虫は、大嫌いなの!?」
それまでの笑みから一変、鬼の形相をした直後、アイユは掴んでいた指を、本来は曲がらない方向に力任せに折り曲げた。鈍い音と痛みがアズマヤの中を駆け巡って、アズマヤの口から堪え切れない声が漏れる。
「がぁああああ!?」
「まだまだ、こんなものでは済まないからね~。もっと、もぉーと、苦しみましょうね~。ヨースケくん?」
折れ曲がった右手の人差し指から手を離し、アイユは苦しむアズマヤを覗き込むと、再び小さく微笑んだ。




