2-20.肉骨茶
「はーい、お待たせしました~」
朝とは思えないテンションで登場したアイユがミチカとヒノエの前にボウルを並べた。
ボウルの中には大きめに切られた肉がゴロッと二つ入っていた。漂ってくる香りは特徴的なもので、香辛料のようなスパイシーさのある香りだが、それだけではない独特な風味も含んでいる。
「どうぞ、お召し上がりくーださい」
アイユが促すように両手でボウルを示し、それが合図となったように朝食は開始された。
ミチカが早速、ボウルの傍に置かれた箸を手に取って、ボウルの中に入った肉を掴んでいる。箸で器用に一口サイズにカットしてから、それを口の中に運び、ゆっくりと噛み締めると、ミチカの表情は途端に緩んでいる。
「うん、美味しい。流石、アイユね」
ミチカが口にした料理の感想を告げると、アイユは途端に頬の筋肉を緩めて、半分溶けたようにすら思える笑みを浮かべた。
その一方で、ヒノエは用意された料理に箸をつけることなく、ただぼうっとボウルの中の肉の塊を見つめていた。
正に心ここに在らずという雰囲気だが、その内心は実際にダイニングテーブルの上にはなく、頭の中ではキッカから聞いたことがずっと渦巻いていた。
ヒノエがまだベッドの上で何も知らずに眠っていた時のこと。超人の様子を探っていたミチカ達がそのタイミングだと判断し、アズマヤは家に送り返されたらしい。
アズマヤとの別れは既定路線だった。いつかは来ると思っていたことだが、これほど唐突に訪れるとは思ってもみなかった。
その不意に訪れた消失感から逃れる術を知らず、ぼうっとしたままのヒノエの様子を目にし、心配するようにミチカがヒノエの顔を覗き込んでくる。
「セツナちゃん?大丈夫?」
その問いかけにヒノエはゆっくりと顔を上げ、自分を心配するように見つめるミチカの顔を真正面から見た。
その途端、今の今まで自分が考え込み、ぼうっとしていた事実をようやく察し、慌てて取り繕うようにヒノエはかぶりを振る。
「だ、大丈夫です!何でもありませんから!」
そう言って、ヒノエはテーブルの上に置かれた箸をようやく手に取るが、何でもないわけがないとミチカは当然のように悟っていて、慌てるヒノエに優しい声で話しかけてきた。
「ヨースケくんのこと?」
そのたった一言にヒノエの身体は縫い止められ、箸を掴んだ体勢のまま固まることになった。
その分かりやすい反応にミチカは少し微笑み、どこか寂しそうな視線をテーブルの上に落とす。
「やっぱり、そうだよね……急だったものね……」
「いえ、それは……はい……」
何か言い訳の一つでも考えようとしたが、咄嗟に回らない頭を回転させようとしても、そこにそれっぽい理由は生まれない。
ヒノエが認めるように頷くと、ミチカは優しい視線を向けて、賛同するように小さく頭を前後に揺らした。
「いなくなったことは寂しいけど、怪人であるセツナちゃんはヨースケくんとどこかで別れる必要があったから、結果的には良かったのかと私は思ってるよ。もちろん、ここまで突然だとは思わなかったと思うけど、それも別れの辛さを考えたら良かったのかもしれないから」
ぽつりぽつりと言葉を選ぶようにミチカは呟いて、その言葉にヒノエも少しは納得する部分があった。
それでも、ヒノエの中に残った気持ちはシンプルな希望で、その希望がヒノエの中にある以上、抱えた動揺や寂しさは消えてくれない。
「だけど、最後の挨拶くらいは言いたかったです」
その気持ちを少しでも解消したいと、吐露するように告げると、ミチカはヒノエの気持ちを汲み取ってくれるように頷いて、手元に目を向けた。
「そうしようかと思って、私はセツナちゃんを起こそうかと言ったんだけどね。ヨースケくんが、このまま去った方が変に辛い気持ちを味わわなくていいって言って、何も言わないで立ち去ることを選んだのよ」
「アズマヤさんが……?」
確かに最後と思いながら逢ってしまうと、寂しい気持ちが残ってしまうのかもしれない。その気持ちを少しでも減らすために、黙って別れるという選択肢は最初からあったのだろう。
だけど、その道を選んでも、こうしてヒノエは寂しい気持ちを抱えている。
それなら、少しでも分かち合える方が良かったと思ってしまうが、それも既に遅い考えだ。ヒノエの気持ちを伝えるべき相手はもういない。
全てが後の祭りで、後はもうアズマヤとの別れを受け入れるしかない。そう理解し、飲み込もうと努めるヒノエだったが、気持ちは胸の中に巣くったまま、ヒノエの食欲を押しのけるようにあり続けた。
納得させようと思っても納得できず、アイユの用意した朝食に口もつけられないヒノエの姿を目にし、ミチカがどこか困ったように笑ってから、ふと何かに気づいた顔をする。
「セツナちゃん。その服を着ているってことはまだ今日の服は選んでいないの?」
そう言いながら、ミチカの向ける視線の先で、ヒノエはミチカ達の用意してくれた寝巻き姿のままだった。
ヒノエが認めるように首肯すると、ミチカはどこか楽しそうな笑みを浮かべて、空気を変えるようにパチンと両手を叩いている。
「それなら、私がセツナちゃんに似合いそうな服を選んであげるわね」
「え?いや、大丈夫ですよ?自分で選べますよ?」
「だけど、セツナちゃんが選んだら、また同じ感じの服を選ぶでしょう?セツナちゃんなら、いろいろな服が似合うと思うから、私が似合いそうな服を選んであげる」
きっとヒノエの落ち込んだ様子を見ていたからだろう。多少、強引に思えるミチカの提案だったが、ヒノエは断るのも悪いと考え、受け入れるように首肯していた。
それを見たミチカが嬉しそうに笑って、テーブルの上に置かれたボウルを手で示す。
「そうと決まれば、早く食事を終わらせましょう。ほら、食べて」
ミチカに促され、ようやくヒノエは手に持った箸をボウルの中に移動させる。そこに入った肉を少し分けて、その一片を口に運べば、口の中に香辛料の独特な風味と肉のうま味が広がって、思わずヒノエは目を見開いた。
「美味しい……」
「でしょう」
ミチカは楽しそうに呟く一方、用意された食事の美味しさに驚いたヒノエの心の中では、これをアズマヤにも食べて欲しいと思う気持ちが生まれ、消えかけた寂しさは消えたくないと叫ぶように、自分の存在を主張し続けていた。
◇ ◆ ◇ ◆
重たい頭と重たい意識を抱え、ゆっくりとフォーカスを合わせるように、アズマヤの身体が定まっていった。
鉛でもぶら下げたように重たい瞼を持ち上げれば、ゆっくりとぼやけた視界が広がって、アズマヤの曖昧な身体がくっきりとした輪郭を持ち始める。
僅かに戻った腕の感覚に従って、手を僅かでも揺らせば、何か金属が触れる音だけが聞こえ、アズマヤの腕は自由に動かないことに気づいた。同じように足を動かしても、結果は変わることがなく、アズマヤの手足は自由を手放していることだけが分かる。
何がどうなって、何になっているのか、考えるどころか疑問に思う余裕もなく、アズマヤはぼやけた視界がゆっくりと確かさを取り戻す様子を見ながら、くるりと頭だけを動かした。
ゆっくりと視界が戻るに連れて、アズマヤの頭もだんだんとクリアになっていき、アズマヤの見た最後の記憶が失っていた温度を取り戻していく。
そういえば、と思った気持ちがアズマヤの意識をはっきりと引き戻した直後、飛び込んだ光景の前にアズマヤは言葉を失って、頭を動かした。
見れば、自身の手足は何かに固定され、完全に自由を失っていた。
何かの下に挟まったとかではなく、完全に拘束具に見えるもので固定されているので、これは間違いなく、人為的な仕業だ。
そう思ってから、改めて周囲に目を向けて、アズマヤはその場所がどこなのか理解しようとする。
固定された状態から見渡すだけで、そこがどこなのか分かるのかは疑問だったが、それも周囲に目を向けるまでのことで、目を向ければその疑問が不必要なものだったことが即座に分かった。
特徴的な設備。配置された特徴的な器具。見渡しただけで確認できる景色の数々に見覚えがあって、アズマヤの頭の中に一つのプレートが思い浮かんだ。
処置室。ここはそう呼ばれていた部屋だ。
そう思ってから、アズマヤは自身が拘束されている場所が、前回治療を受けた手術台の上であることに気がついた。




