2-8.フリージング
急に動きを止めたパワーやブラックドッグに反して、二人を睨みつけるヒノエは身体を震わせており、何が起きたのかとアズマヤは疑問に思った。
パワーに殴られた影響か、ぼんやりとする頭では状況の整理ができない。
まずは起き上がらないといけない、と思ったアズマヤが身体を起こすために地面に触れた瞬間、その冷たさに思わず手を放した。
見れば、地面は薄らと氷が覆って、直接触れたら、皮膚がくっつきそうなほどに冷たい。
そのことに気づいたアズマヤが改めてパワーとブラックドッグに目を向けると、二人の身体も薄らと霜が覆っていることに気づいた。
身体の表面が凍っただけでなく、冷たさが筋肉を弛緩させて、動きたくても動けなくなっているようだ。
実際、全く動いていないわけではなく、二人は動こうと思っている意思を表現するように、僅かに身体を震わせている。
この状況は一体、何かと思うアズマヤが不意に肌を刺すような痛みに襲われた。
「痛っ!?」
思わず声を漏らしながら、アズマヤが頬に触れてみると、そこには小さな傷ができていた。血を流しても、すぐに固まり始めるほどの冷気に、肌が傷ついたらしい。
その声にヒノエが不意に怒りを収めて、慌てるようにアズマヤを見てきた。
地面に倒れ込むアズマヤを発見し、ヒノエは酷く悲しそうな顔で、こちらに近づいてくる。
「ああ、ごめんなさい……傷は……大丈夫ですか……?」
心配と申し訳なさの交じった声を出しながら、ヒノエはアズマヤの傷を順番に見ていた。
幸いにも、この冷気のお陰か、血は既に止まっている。
顔を殴られた衝撃で、頭はまだぼうっとするが、痛みは少しずつ引いているので、その部分も問題はない。
「顔が切れて……ごめんなさい……」
そう謝罪しながら、ヒノエはパワーとブラックドッグに目を向けて、二人が動けなくなっていることを確認した。
その時の表情はそうなっていると思っていたものではなく、少し驚いているようにも見えるものだったが、それをアズマヤが気にする暇はなく、ヒノエはアズマヤに肩を貸すように立ち上がらせていた。
「今の内に移動しましょう……!」
そう言ってから、ヒノエは歩き出そうと駅の方に目を向け、駅周辺の人々の目がこちらに集まっていることに気づく。
さっきの駅もそうだったが、何よりパワーの声と身体が良く目立つ。今の一連の出来事は全て目撃されていたと思うべきだろう。
「こ、こっちはダメです……!向こうに行きましょう……!」
ヒノエが駅に背を向けて、そこから離れるように歩き出した。
アズマヤは支えられるまま、必死に足を動かしていくが、ブラックドッグに噛みつかれた左足はうまく動かない。
きっとここまで想定しての攻撃だったのだろう。
逃走手段を先に奪っておく。その判断は怪人を追いかける超人として、流石と言えた。
「ごめんなさい……」
駅から離れるように足を動かしながら、再びヒノエは申し訳なさそうに口にした。
「私の所為で、そんな怪我までして、本当にごめんなさい……」
「いや、俺は大丈夫ですから……それよりも、さっきのは?」
アズマヤが自身に肩を貸しながら、自身を支えるように歩くヒノエを見ると、ヒノエは言いづらそうに顔を逸らした。
「私の身体から漏れ出る冷気は、私の気持ちに比例して強くなるみたいなんです。私が怒ったりして気持ちが昂ると、制御できないほどに強くなってしまって……」
アズマヤが目の前で痛めつけられて、ヒノエは思わず我を失うほどに怒りを覚えた。
その怒りがヒノエの身体から生み出す冷気を強めて、パワーやブラックドッグの動きを止めた。
理論がちゃんと分かり、ヒノエがそこまで怒ってくれたことにアズマヤは嬉しく思ったが、一方でヒノエは申し訳なさそうに俯くばかりだった。
「だから、その頬の傷も私が原因です……ごめんなさい……」
そうヒノエが呟くと、ヒノエの言葉が嘘ではないことを証明するように、ヒノエの身体から冷蔵庫を開けた時のような空気が流れ出し、アズマヤは身体全体を包む寒さに襲われる。
「大丈夫です。俺は気にしてませんから。寧ろ、助かりました」
そう言いながら、アズマヤは少し振り向いて、歩いてきた道に目を向けた。
駅は少し遠くなったとはいえ、まだそこに見える距離だ。この距離なら、パワーやブラックドッグはすぐに追いつくだろう。
いつかは分からないが、あの二人が永遠に凍っていると思えない以上、その前にアズマヤは決断を下さないといけない。
「あの、ヒノエさん」
「はい」
「俺をここに置いていってください」
不意にアズマヤがそう口にし、ヒノエは驚きに満ちた目をアズマヤに向けてきた。
「何を言ってるんですか?」
「このままだとあの二人が動けるようになった時に追いつかれます。俺はこの足で、もう速く動けません。ヒノエさん一人なら、逃げられるかもしれない」
「さっきアズマヤさんも連れていこうとしてたんですよ?このまま置いていったら、アズマヤさんがどうなるか分かりませんよ?」
ブラックドッグに足を噛まれ、パワーに殴られ、ヒノエと一緒に連れていかれそうになったアズマヤだ。
このまま、ここに放置され、パワーやブラックドッグに発見されれば、怪人と同じ末路を辿ることは目に見えている。
それでも、二人で逃げ続けるよりは希望がある。
ヒノエが助かるという可能性があるだけ、アズマヤはマシだと思った。
「俺がいても足手まといになるだけです。ヒノエさんが一人で逃げた方が絶対にいい」
「……嫌です……絶対に嫌です!ここまで助けてもらって、一人で逃げるなんてできません!」
ヒノエがそれまでに聞いたことのないほどの声を出し、アズマヤの言葉を強く否定した。
その声に驚きながらも、アズマヤはかぶりを振って、ヒノエを何とか一人で行かせようと試みる。
「このままだと両方捕まって終わりです。ヒノエさんだけでも逃げられるなら、その方が絶対にいいんです。分かってください、お願いします」
「嫌です!一人で逃げるくらいなら、二人で捕まった方がマシです!」
「お母様に逢うんじゃないんですか!?」
「母は……!ここでアズマヤさんを置いていったら、きっと怒ります。一人で逃げた私を許さないと思います。だから、私もそんな自分を許しません」
アズマヤがヒノエから離れようと思って身体を動かしても、ヒノエはアズマヤを絶対に離そうとしなかった。
ヒノエの言葉が本気であることは行動と共に伝わってくる冷気が証明している。
その気持ちは本当にありがたいが、ヒノエがアズマヤを置いていけないと強く思っているように、アズマヤもヒノエが一緒に捕まって欲しくないと強く思っている。
その気持ちをどう伝えればいいかとアズマヤが悩んでいると、歩道を歩く二人の隣に車が走ってきて、二人の隣で停止した。
黒塗りのリムジンで、隣に止まったこと自体は気になったが、今はそれどころではない。アズマヤは車の存在を無視し、ヒノエを説得しようと思った。
そこで後部座席のドアが開いて、そこから一人の女性が降りてきた。短くまとめられた髪に、スラッとしたスーツ姿が特徴的な女性だ。
その女性が開けたドアに手を置きながら、声を出した。
「そこの二人。その調子だと逃げられないでしょう?」
「えっ……?」
アズマヤとヒノエが驚きの声を漏らし、同時にそこに立つ女性を見る。
その女性は二人の視線に微笑みを返し、自身が乗っていた車を指差した。
「乗りなさい。逃がしてあげる」
その急な誘いにアズマヤとヒノエはきょとんとし、思わず顔を見合わせていた。




