2-2.ブレイクタイム
アズマヤの腕の中で女性は礼を言った直後に起き上がろうとした。
「もう大丈夫ですから……」
どこか拒絶するようにそう告げて、女性は一人で立ち上がり、その場から立ち去ろうとしたのか、歩き出そうとしかけるが、信号はまだ赤のままだ。
そのことに気づいた女性の視線が横にずれて、信号から離れるように来た道を戻ろうとしかけた一歩目で、再び女性は転びかけた。
それをアズマヤは再び受け止めようとしたが、アズマヤの伸ばした手に触れる前に、女性は何とか耐えたようだった。
アズマヤの前で転びかけた女性が踏ん張って、またふらふらと歩き出そうとする。
しかし、一度ならず二度も転びそうになる姿を見て、女性を見送れるはずもなかった。
何があったのか知らないが、今の女性には休息が必要だ。それくらいは小学生にも分かることだ。
「ちょっと待ってください。その様子でどこに行くんですか?」
アズマヤが女性を呼び止めるように声をかけると、女性は僅かにアズマヤを振り返って、小さくか細い声を口から漏らす。
「貴方には関係のないことですから……」
「関係がないとしても、今の貴女を見過ごすわけにはいきません。何があって、どこに向かっているのか知りませんけど、そんなふらふらとした足取りで、行きたい場所まで行けると思ってるんですか?少しでいいから、ちゃんと休みましょう」
アズマヤが女性を説得すると、女性は少し困ったような顔をしてから、良く見ていないと分からないほどの小さな動きで、首肯したようだった。
「じゃあ、どこか椅子に座れるところとかで……」
そう言いながら、アズマヤは駅近くにある建物を思い出した。
軽く入って休むことを考えるなら、喫茶店やファミレス、ファストフード店などが駅の近くには立ち並んでいる。
そこなら、椅子に座れる他にも、飲み物も手に入りやすいし、そのどこかに向かおうかと考え、アズマヤは提案してみたが、その提案にはどこか動揺した様子で女性はかぶりを振った。
「ちょっと……座って休むだけでいいですから……」
どこかアズマヤから距離を取る様子を見るに、もしかしたら、女性の体調に付け入るナンパの類と思われたのかもしれない。
もしそうだとしたら、いらぬ不安を与えてしまったとアズマヤは反省しながら、駅の方に目を向けたことで、そこにベンチが設置されていることを思い出す。
「なら、駅前のベンチに座りましょう。駅の中にコンビニもあったはずなので、俺はそこで飲み物を買ってきますよ」
アズマヤが今度はそのように提案してみると、女性は「それなら」と了承してくれ、駅前のベンチに二人は移動した。
そこで女性をベンチに座らせてから、アズマヤは駅の中にあるコンビニに駆け込んで、そこで水の入ったペットボトルを購入する。
この間にも、女性が勝手に動き出していないかとアズマヤは少し心配に思いながら、急いでペットボトルを買って出たのだが、女性はアズマヤとの約束を破ることなく、変わらずベンチに座っていて、アズマヤはホッとした。
「これ、飲んでください」
女性に水の入ったペットボトルを手渡すと、女性は僅かに躊躇うように手を伸ばしてから、何か意を決したようにペットボトルを掴んでいた。
それから、どこかホッとした様子で、中に入った水を飲んでいく。疲れた様子に違わず、喉自体は乾いていたのか、一気にペットボトルの半分ほどの水がなくなっている。
「何があったとか、聞いても大丈夫ですか?」
アズマヤが女性の服に目を向けながら、女性の気持ちを確認するように質問した。
女性の汚れた服は明らかに街中でつく類のものではない。何があったかまでは分からないにしても、何かがあったことは一目見た誰にでも分かることだ。
ただし、それを女性が話したいかどうか別だとアズマヤが思っていると、女性はアズマヤの質問にかぶりを振ることで返答した。
やはり、話したくない類の話らしい。
「そう、ですか……それじゃあ、どこか行きたい場所があるんですか?さっきも急いでいるみたいに見えましたけど?」
これも今の質問と同じように答えてくれないかとは思ったが、少しでも長く女性をここに座らせるために、アズマヤが時間を稼ぐためにも質問すると、今度は意外にもかぶりを振ることなく、女性の口が開いた。
「行かないといけない場所があるんです……急いで行かないといけない場所があって……それで、私、そのために……」
そこまで口にしてから、女性は何かを話し過ぎたと思ったのか、自分自身の口を塞ぐようにペットボトルを口につけていた。
そこから一息で、中に残っていた半分ほどの水を飲み干し、女性はアズマヤに頭を下げてくる。
「あの、お水、ありがとうございました……もう大丈夫なので、私は行きます……」
そう告げた女性が立ち上がって、すぐにその場から立ち去ろうとするので、アズマヤは慌てて女性の腕を掴んで呼び止める。
「ちょっと待ってください!?」
その時、女性が酷く驚いた様子でアズマヤの腕を振り払った。
アズマヤは女性から手を離しながら、急に掴んで申し訳ないという気持ちと共に、女性の腕が異様に冷たかったことに違和感を覚える。
ほんの数分前まで、冷蔵庫の中に座り込んでいましたと言われても、信じるほどに女性の身体は冷たかった。
「す、すみません……けど、何ですか……?」
女性が急に腕を振り払ったことを謝りながらも、警戒するような目でアズマヤを見てきた。
アズマヤは手の中に残った冷たさに驚きながらも、女性を呼び止めた理由を説明するために口を開く。
「そんな様子で、一人で行くのは危険だと思うし、正直、心配です。だから、貴女が迷惑でないのなら、近くまででも俺が一緒に行きますよ」
また倒れたら、今度は本当に事故を起こすかもしれない。
そうなった時、アズマヤは一人で行かせたことを永遠に後悔するだろう。
そう思ったから、アズマヤは女性にそのように提案していた。
「えっ……?いや……その……」
その提案に女性は酷く動揺している様子だったが、アズマヤは何を思われても、今の女性を一人で行かせること以上に恐ろしいことはない。
「さっきみたいにまた倒れそうになったら、どうするんですか?目的地まで、ずっとついていくってことは言いません。ただ一人で大丈夫なところまで、俺に見守らせてください」
アズマヤがそのように頼み込むと、女性は躊躇いながらも、即座にかぶりを振る様子は見せなかった。
「そうは言われても……ど、どうしようかな……?」
少し困った様子で考え込みながら、女性はアズマヤを見ていた。
正直、断られても仕方ないことだが、最低限、今の女性の様子が不安に映ることくらいは理解して欲しい。
アズマヤがそう思っていたら、女性は再び口を開いた。
「あの……途中までなら……」
「えっ?」
意外にも同行することを許されたことにアズマヤは驚きながらも、女性を一人で行かせずに済むことになった結果に喜びを覚えた。
「あ、ありがとうございます。では、行きましょう」
アズマヤが女性を促し、駅から女性の行きたい場所に向かおうと歩き出しかけた。
その時のことだった。
「さあ、見つけた!ここにいたのか!」
急に駅前に男の暑苦しい声が駅前に響き渡って、アズマヤと女性の足は同時に止まった。
アズマヤと女性だけでなく、駅にいた他の人達まで、駅前に響き渡った声の発生源に目を向け、全員の視線がそこに集結している。
そこには一匹の黒い犬を連れた、タンクトップ姿の筋肉質な男性が立っていて、アズマヤの隣に立つ女性をまっすぐに見ていた。




