1-30.こどく
逃げるスミモリの向かう先を教えてくれるように、点々と血の跡が続いていた。これを見れば、ミトでなくともスミモリを追えるくらいに、血の跡はしっかりと残っている。
それを追いかけるように走り続け、ミトの目はスミモリの背中を捉えていた。
スミモリは足を引き摺りながらも何とか走っているが、その速度はミトが急ぐ必要もなく、次第に遅くなっていて、どんどんと距離は詰まっていく。
そして、ミトがスミモリに追いつくかという直前、スミモリは不意にその場に崩れるように倒れ込んだ。
身体をくの字に曲げて、内側から湧いてくる気持ち悪さを吐き出してから、スミモリは血の零れる足を手で押さえ、怯えた目をミトに向けてくる。
「こ、こっちに……来ないで……!?」
嘔吐物と血と尿の臭いを漂わせながら、スミモリは何とかミトにそう叫んでいた。
今にも消え入りそうなほどに弱々しく、ミトに向けられる目は怯えに染まっている。
思えば、最初にスミモリを発見した時から、スミモリはこういう反応だった。ミトに毒を盛った時も、反応はあまり変わらなかった。
終始、気弱な大学生という印象から抜け出さない。
それは最初に怪人として澄森真央の話を聞いた時とは、明らかに違う印象だった。その時の話は噂にある怪人そのものというものだったが、今の姿は到底、そうは見えない。
ミトと同じようになりたくもない怪人になって、自身の運命に怯えるようだ。
この人が本当にスミモリなのか、と今更ながらの疑問に思ってから、ミトはふと最初に聞いた話の方が間違っているのではないかと思った。
もしかしたら、この人が死亡していた大学生を殺害したのではないかもしれない。
ほんの少しだけ、その希望を持ったミトが思わず口を開く。
「本当に貴方が人を殺したのですか?」
座り込んだスミモリを見下ろしながら、ミトがそのように疑問を口にすると、スミモリは怯えの中に戸惑いの色を混じらせた。
「ニュースにもなっていた殺人事件は貴方が本当に起こしたものなんですか?」
ミトが僅かな希望に頼るように口にすると、スミモリは怯えた表情のまま、傷の負った足を抱きかかえるように丸くなって、小さく頭を縦に動かした。
「どうして……?どうして、それほどまでに怯える貴方が人を殺したんですか?」
事故か何かだったのか。目の前のスミモリの姿はそう思わせるほどに弱々しく、人を殺せるようには見えなかった。
「し……仕方なかったんだ……」
そこで、スミモリが不意にそう呟いた。
「仕方なかった……?」
「ずっと……ずっと……ずっと前から虐められて……ずっと変わらなくて……もう辛かったんだよ……」
消え入るようにスミモリは呟いて、目からぽろぽろと涙を零し始めた。
「大学に入っても……相手が変わるだけで、ずっと絡まれて……ついには階段から落とされて、気づいた時にはこうなっていて……逃げ出して、自由になっても……あいつらはずっと……ずっと僕を縛りつけるんだ……」
階段から落とされて、気づいた時にはこうなった。
その言葉の意味は既に怪人であるミトが分からないはずがなかった。
事故に遭って、気づいた時には改造され、怪人となって、怪人組合に連れられたミトだ。
それと同じようにスミモリは階段から落ちて怪我を負い、その結果に改造手術を強制的に受けさせられた。
そして、今はここで怪人として追われている。
それはあまりに悲しい話に聞こえ、ミトは思わず眉を顰めた。
本当にこの人を怪人として裁く必要があるのかと、ミトは自身に与えられた仕事に疑問を覚え始める。
怪人の地位向上を目的とする怪人組合なら、この目の前で哀れにも死にそうな怪人を救うべきではないのか。
他の誰でもなく、ここに唯一いる怪人組合の怪人として、ミトは自分自身を問い質す。
ミトの前ではスミモリがまだゆっくりと語っていた。
「殺すしかなかった……殺されないと、終わらないから……ずっと殺そうと思ってた……そのために準備もして、練習もして、それでやっと……やっと殺せた……!」
「準備……?練習……?」
不意にミトの思考が止まり、スミモリのその発言に意識が吸い込まれた。
「準備って?練習って?」
「ずっと……試してたんだ……殺す方法を……どうやったら、殺せるのか……ずっと前から……子供の頃から……ずっと……ずっと……」
「試すって、どうやって?」
「そんなの簡単だよ……」
そう呟いた直後、スミモリの表情が僅かに変わり、ミトに見せるように手を突き出した。
何かを握り潰すような仕草を見せて、平然とミトに言ってくる。
「こうやって、まずは虫を潰すところから始めたんだ……小さな頃は、そうだった……でも、だんだんと気づいて……これじゃ足りないと思って……次はどうしようかと思ってたら、見つけたんだ……」
「何を……見つけたのですか?」
それは何となく、聞いてはいけない質問のように思えたが、ミトの口は自然と言葉を発していた。
その質問を受けたスミモリの表情が今度は明確に変化し、ミトにそれまでは見られなかった笑みを向けてくる。
「近所で段ボールの中に捨てられた子犬をね……見つけたんだよ……それを見て、来たって思ったよ……僕を虐める人達を思い出して、その人達を殺すためにはどうしたらいいか……そういうことを考えながら、その子犬で試したんだ……」
スミモリが片手を持ち上げて、もう片方の手を痛めつける仕草を見せるように振るい始めた。
「殴りまくるのがいいかとか……首を絞めるのがいいかとか……ナイフで刺すのがいいかとか……水に押し込むとか、火をつけるとか、電気を流すとか、毒を与えるのも試して……試そうとして、でも、途中で子犬は死んじゃって……あの時は悲しかったな……せっかく、自由にできると思ったのに……」
心の底から悲しそうな表情を浮かべ、その時のことを思い出すように上の空になったかと思えば、すぐにスミモリは表情を戻し、再び恍惚とした笑みを浮かべた。
「でも、それで分かったんだ……動物でいいんだって……動物なら、自由に試せるって……だから、犬とか猫とか鳥とか鼠とか、そういうものを順番に捕まえて、それでずっと試してたんだよ……ずっと人を殺せる日まで……ずっと……」
微かに笑い声を上げながら、スミモリは自身の手に視線を落とした。
「そして、やっと手に入れたんだ……誰でも殺せる自分だけの武器を……これで僕は自由で、何でも好きにできる……そのはず……そのはずだったのに……」
穴の開いた足を再び手で押さえ、スミモリは痛みからか、悲しさからか、再びぽろぽろと涙を流し始めた。
そのままミトを見上げたかと思えば、懇願するように叫んでくる。
「お願いします……助けてください……見逃してください……生かしてください……お願いします……」
そう呟くスミモリの姿を見下ろし、ミトは思った。
(こいつはダメだ……)
人間とか怪人とか超人とか、そういうジャンルはどうでもいい。
もっと単純に根本的な理由として、この男は生かしてはいけない。
この男の身体から発せられる毒のように、この男の存在は社会にとって害にしかならない。
(ここで殺さないと……)
懇願するように叫びながら、必死に頭を下げるスミモリの前で、そう考えるミトの視線は冷たく鋭いものだった。




