7-7.不和不和タイム
リビング横の廊下を突き進み、一階居住スペースを突っ切って、更に奥へと足を踏み入れた先に、その部屋はあった。
一般的な家屋に存在する部屋としてはかなり広く、先ほどのリビングと比べても引けを取らないどころか、勝っているのではないかと思うほどの広さだ。並べられたソファーやベッドが部屋の一部を埋めつくしているというのに、それでも、部屋の中を歩き回るのに差し支えないほどに部屋の中は広々としている。
一人で使うにはあまりに広い部屋の様子に、その部屋に案内された恐怖さんは首を傾げていた。
「はて、このような部屋があったかな?」
これまでに見た覚えのない部屋だと恐怖さんは思った様子だが、それもそのはずで、前回、恐怖さんがこの場所を訪れた時点では、ここには今よりも一回りも二回りも小さい部屋があるだけだった。
それを次に恐怖さんが来た際、何の気兼ねなく、自由に過ごせるようにと、密かに改装を重ねた部屋こそが今の部屋だ。
そんなことは微塵も見せずに、その部屋まで恐怖さんとサラさんを案内した古嶺愛沙はさも最初から準備していたかのように答える。
「こういう時のために取っておいたのですよ」
「こういう時、ね」
恐怖さんはフルミネの言葉に小首を傾げながら、置かれたソファーの座り心地を確かめるように、ドンと倒れ込むように座っていた。
恐怖さんはソファーを撫で回すように触ってから、部屋の中をゆっくりと見回していく。
「やや広過ぎるようにも思えるが、まあ、広くて困るものでもないからね。大は小を兼ねると言うし、狭い方がいいとなったら、ソファーで区切れば無問題だよ」
恐怖さんの前向きな反応を目にし、フルミネは密かに満足そうな笑みを浮かべる。ここまで準備した甲斐があったとフルミネは重ねた苦労を思い返し、完成した部屋に感謝すら覚え始める。
と、そこで。
恐怖さんが不意に振り返り、フルミネではなく、サラさんの方に目を向けていた。
「これなら、サラさんもこの部屋で過ごせるというものだ。二人でちょうどいいくらいのサイズ感ではないかね?」
『え?』
フルミネとサラさんは図らずも呼応し、お互いに同じ声を発していた。
恐怖さんは冗談を言っている風ではない。本気でサラさんもこの部屋に置こうと思っているらしい。
「いや、私はただのメイドですので」
サラさんは恐縮至極というように、恐怖さんの提案に申し訳なさを見せつつも、やんわりと断りの言葉を並べている。
その様にフルミネの心の内は、苛立ちと安堵感でぐちゃぐちゃになる。サラさんが進んで同じ部屋に泊まろうとしなかったことは幸いだが、恐怖さんの誘いを断っている点はただただ腹立たしい。
「別に気にすることはないよ。この家だって、自由にどこでも使い放題というわけではない。君がメイドの仕事をするというのなら、近くにいる方が都合はいいとは思わないかね?」
恐怖さんの口元がニンマリと笑い、サラさんの方を見る。フルミネはその振る舞いに焦りを覚えながら、サラさんの方に目を向ける。
二人の関係性の全てをフルミネは把握しているわけではないが、関係の長さは知っている。どれくらいの深さに達しているか分からない中で、二人を同じ部屋に押し込んでも良いものかと、考えてはすぐに出る答えに眉を顰めることになった。
「無理を言うべきではないのではありませんか? 上から言われたら、仮に嫌でも断り切れませんよ。そういう押しつけをするのですか?」
断る道を作るとしたら、それは外野からのアプローチが必要だ。そのように判断したフルミネがサラさんに逃げ道を用意しようと、そのように割って入る。
これで逃げるための理由作りは整った。断りにくいのなら断ればいい。断る気がないにしても、今の言葉がある手前、断らないと受け入れるようで断るしかないと考えるはずだ。
これでフルミネから見て、最悪な事態は回避できたはず。
そのようにフルミネが考えている中で、恐怖さんがサラさんに問いかける。
「嫌だったかね?」
それを受けたサラさんが僅かに視線を逸らしながら、それまでの声とは違う、やや小さくか細い声で答える。
「嫌、ではありませんが……」
その一言にフルミネは驚愕し、サラさんの横顔を睨みつけるように見てしまっていた。
二人の関係性は分からない上、サラさんの気持ちを覗き込んでいるわけではないが、ここで意味深な雰囲気を見せるサラさんを前にして、フルミネは決して恐怖さんの前では口に出せない罵倒を、頭の中に並べずにいられない。
「なら、この部屋にいればいい。その方が他の部屋も準備せずに済むというものだ。楽でいいとは思わないかね?」
「まあ、そうですね」
恐怖さんからの問いかけに、フルミネはそう答えるしかなかった。
部屋の準備をせずに済むと言われたが、実際のところはそもそもサラさんに用意している部屋などはない。フルミネの考えでは、部屋の数を理由に体良くサラさんを追い出す予定だった。
それが想定外の展開で失敗に終わり、フルミネにとって最悪な形で固まってしまったことに焦りを覚えるが、だからと言って、強硬手段に出ようとは思えなかった。
フルミネは常に両手に嵌めている、肘まで伸びた手袋を摩りながら、サラさんを見つめる。奥歯が今にも砕けそうなほどに悲鳴を上げているが、それも気にならないほど、フルミネの中には嫉妬心が溜まりに溜まっていた。
とはいえ、それを解消する手段はここにはない。奥歯を噛み締めるだけ噛み締め、今は耐えるしかないと、フルミネは違う考えに頭を回すことにした。
「ところで、一つ気になるのですが」
フルミネはできるだけ声色を変え、話はここで変わったと提示しながら、恐怖さんに近づいていく。ソファーで座る恐怖さんは僅かに顔を上げ、フルミネの顔をじっと見てくる。
「何かね?」
「三頭晴臣。あれをどうされるつもりですか?」
フルミネの問いかけに恐怖さんは僅かに首を傾げる。
「どう、とは?」
「ハヤセを殺したという話は聞きましたよ。あれがどうなるか、何をするか、放置するには危険ではありませんか? それこそ、私達も殺されるかもしれない」
危惧すべきことを口にすると、恐怖さんはゆっくりと顔を逸らし、深く溜め息をついていた。
「そんなことか」
「そんなこと……?」
「ミトくんに殺されるというなら、それは殺される方が悪いとは思わないかね?」
「自己防衛の問題だと?」
「ほら、考えてみたまえ。超人と逢えば、その超人から身を守ることは当然だろう? それが怪人という味方になったとして、どうしてそうではないという結論に至るのかね?」
「味方には背中を向けるものではありませんか?」
「背中を向けるということを選んだのなら、殺されても文句は言えないと私は言っているのだよ」
「それは……」
フルミネは喉の奥から上がってきた言葉を口にしかけて、そこで止まった。零れかけた言葉を聞いても良かったが、その先にある返答次第では、明確に変わってしまうものがあることをフルミネは本能的に理解していた。
だからこそ、それは聞かないことに決めて、フルミネは奥歯を噛み締める。
視線は恐怖さんからサラさんに。
そこから、やがては自分自身に。
三人の距離を測るように見比べて、フルミネはゆっくりと息を吐く。
「そうですか。分かりました」
そう答え、ミトの取り扱いには一応の納得を得ながらも、納得し切れない部分も抱え、それがフルミネの中で何かを僅かに押し始めていた。