7-5.生粋の善人
リビングを出た後、玄関を向かいにして右手方向。まっすぐ伸びる廊下の突き当りを左に曲がると、二階へと続く階段があった。
この家での居住スペースはその二階と、階段の正面に伸びる一階廊下の数部屋だけらしく、後はリビングや玄関のような共有スペースとなっているらしい。
お風呂やトイレも、一般的な家屋よりは数があるとはいえ、共有スペースであるから気をつけるように言われながら、ミトとヤクノはカシマの案内で、二階の一部屋の前に立っていた。
「とはいえ、住める部屋は限られとるから、残念ながら用意できた部屋は二つ。一つを女性陣に譲るから、こっちを残りの三人で使ってもらうから。そこは堪忍してな」
二部屋の片方を女性陣が使うとして、もう片方を三人で分けるということは、ミトとヤクノともう一人は恐怖さん……ではないか、と一階での出来事を思い返しながら、ミトが考えている目の前で、カシマが扉を開ける。
そこはミトくらいの年齢の子供に割り当てられる部屋と考えたら、やや広いくらいの部屋が広がっていたのだが、その部屋の間取り等は一切目に入らず、ミトの視線は扉を開いた真正面に吸い込まれていた。
円らな瞳、モコモコの毛皮、ふっくらとした肉球、鋭く尖った爪。等身大――と呼ぶにしても、あまりに大きいテディベアがそこに鎮座していた。
愛らしさを超越し、怖さすら感じさせるリアルな造形に、ミトが言葉を失っている前で、テディベアの足元が動く。何かと目を向ければ、そこでは人影が丸まっているように見える。
と思ったところで、テディベアの瞼が動き、口が開いた。
「ようやく二人も来たのか」
何てことない、ただのコマザワだった。
ミトとヤクノとコマザワ。この部屋に割り当てられたのはこの三人らしい。
「部屋の中に置かれてるものは自由に使ってもらって構わん。けど、一つだけ、この部屋には問題があってな」
ミトとヤクノを部屋の中に誘導しながら、カシマは部屋の奥に足を進め、そこに置かれたベッドを手で示す。
カシマの右手傍に一つ、左手傍にもう一つ。二つのベッドがそこには並んでいる。
「あれ? 二つ?」
「そう。この部屋には二つしかベッドがないねん。だから、一人は床に布団で寝てもらうことになる」
「えっ? それじゃあ……」
どうすればいいのかと戸惑いながらミトが視線を動かそうとすると、ヤクノがミトの隣を通り抜けるように歩いて、カシマの右手傍にあったベッドの上に寝転がった。
「三頭晴臣が床で寝ろ。一番下だ」
怪人組合で入った順番で考えると、確かにこの中ではミトが圧倒的な後輩という立場になる。命令的にそう言ったヤクノの言葉にも、ミトは納得するしかなく、分かったと頷くように身を屈めかけた。
「いやいや、待て。そのベッドを俺は使えないから、使ってくれて構わない」
そこでコマザワが割って入った。ミトとヤクノをやや慌てた様子で見比べ、自身の体格を手で示しながら、ベッドのサイズを頻りにアピールしている。
確かにコマザワの体躯では身体が食み出すどころか、ベッド自体を壊してしまいそうだ。
「だから、ヤクノもそんな意地の悪いことを言うなよ」
やや不快そうに注意するコマザワだったが、それを聞いたヤクノの反応は鈍く、興味なさそうにふんと鼻を鳴らす程度だった。そのままリビングでの続きと言わんばかりに目を閉じ、眠ってしまいそうになる。
「仲、悪いの?」
そこで不意にコマザワの方から、コマザワではない声が聞こえ、ミトは驚いた。そう言えば、コマザワの足の上に人影があったと思い出していると、そこから生えるように頭が小さく持ち上がる。
この家の前でコマザワに抱きついていた男がそこにいた。
「別に仲が悪いってわけじゃない。なあ、ミトくん」
コマザワにそう言われ、ミトは同意を求められるが、それについてミトはうまく返事ができなかった。ヤクノとの関係は表現しづらく、仲が良いか悪いかと聞かれたら、どうしても後者の方に片寄ってしまう気がする。
歯切れ悪く、ミトが頷く素振りを見せないことから、コマザワも取り繕うように浮かべた笑みを困惑したものに変えつつあった。足の上では男の視線が、やはりそうなのか、とコマザワに問いかけるように突き刺さっている。
「まあ、仲が良い悪いはこの際どうでもええわ。取り敢えず、悪いけど、この部屋しか用意できんから、今更、他に行きたいとか、そういうことだけは言わんといてな。無理強いは嫌やろ?」
カシマが真剣な表情でそう聞くと、そこで眠ろうとしていたはずのヤクノが反応を示し、僅かに目を開いていた。カシマとじっと見つめ合っているかと思えば、深く溜め息をつくように呼吸をする。
「分かってる」
ぶっきらぼうにそう答えると、ヤクノは再び目を閉じていた。
何かは分からないが、ヤクノが素直に受け入れるくらいの取引が、ミトの目の前では行われていたらしい。
それは何かと疑問に思うミトの前で、カシマは納得したように頷くと、今度はコマザワの近くに歩み寄っていた。コマザワの足に押し込むように手を突っ込むと、そこで埋もれていた男を引っ張り上げている。
「さて、ジュンは自分の部屋があるから、そっちに行こか。いつまでも、そうしてたらコマザワの邪魔になるやろ」
「い、嫌だ!? ぼ、僕はここに住む!」
「馬鹿なこと言っとらんで、自分で歩いてくれ。何で年上を叱らなあかんねん」
カシマに身体を引き摺られ、ジュンと呼ばれた男は無情にも部屋から連れ出されていく。その哀れな姿を見送り、ミトは不思議そうにコマザワの方を向いていた。
「今のは?」
「立花純。ここに住む怪人の一人で、無類の動物好きなんだ。ここに来ると、毎回抱きつかれる」
「へ、ヘぇー」
コマザワの説明に頷きながら、ミトはカシマとジュンが立ち去った後の扉を見つめて、さっきまでのジュンの様子を思い浮かべていた。
変わり者であること以外の情報が分かっていないが、取り敢えず、コマザワの説明から分かったことが一つある。
それはジュンが良い人であるということだ。
動物好きに悪い人は一人もいない。たとえ何十人、何百人と人を殺していたとしても、動物が好きで愛でる心があるなら、その人は生粋の善人だ。
ミトの基本思想に倣えば、ジュンほどに信頼できる人はそうそういない。出逢ってしばらく経つ恐怖さんも、ヤクノも、ヒナコも、そこまでは信頼できないだろう。
匹敵するとしたら、自身がクマであるコマザワと、それから後はソラくらいなものである。
そう思ったところで、ミトはもう一つの部屋に運ばれたはずのソラのことを思い出していた。
あれから無事に運べたのか、結果が気になって仕方がない。廊下で見ていないということは運び切ったと思いたいのだが、それも建物の構造を知らない以上、分かり切ったことではない。
確認してみたいとは思うが、ソラ達に割り当てられた部屋がどこにあるか分からない以上、ミトには確認しようがないので、まずはカシマに声をかけ、ソラ達がどこにいるのか聞こうと思い、ミトは立ち上がっていた。
「どうした?」
「ちょっとソラが心配なので見てきます」
コマザワにそう説明し、ミトは廊下に出る。右に左に頭を動かし、ジュンを連れたカシマがどこに行ったのか探そうとする。
そこで近くの扉から出てくるツインテールの少女を発見していた。
「あ」
ミトが思わず出した声に反応し、少女の視線がミトに向く。
「あ」
向こうも同じように声を上げ、ミトは少女にソラをどこに運んだのか、無事に運べたのかを聞こうと思っていた。
が、しかし。
ミトが口を開くよりも早く、少女は表情を険しいものに変えると、足早にミトの前に近づいてきた。
「ちょっと、あんた」
そう言いながら、少女はミトの襟元を掴み、ミトの身体を力強く引っ張ってくる。ミトは突然の少女の行動に戸惑い、身体は自然と硬直する。
「あんたに逢ったら、一つ聞きたいことがあったんだけど」
「き、聞きたいこと……?」
「あんたさ。ソラちゃんに近づいてないよね?」
「は、い……?」
静かな廊下でもミトにしか聞こえないほどに小さな声ながらも、確かな怒りを感じさせる激しい言葉を聞いて、ミトは何を聞かれているのかと、目をぱちくりさせることしかできなかった。