7-3.首供養
部屋と呼ぶのも憚れるほど、殺風景な部屋だった。かつては物が置かれていた痕跡こそ残っているが、それも十年以上前のことらしい。少なくとも、ババはこれまでにこの部屋の中に物が置かれているところを見たことがなかった。
その何もない部屋を訪れると、ババは抱えたウェイトレスを部屋の奥にゆっくりと置いた。どれくらいの衝撃で目を覚ますかは分からない。ここで目を覚まされると厄介なことに変わりはないので、起こさないように行動は慎重に行う必要があった。
ウェイトレスの身体を安置し、持ち込んだ結束バンドや特殊な金属製の枷で、ウェイトレスの手足を拘束する。これで一旦は目を覚まされても、すぐに暴れられる危険性がなくなった。
ここからウェイトレスをどうするのかはババも知らないことだ。情報を引き出すのか、超人達との交渉の手札にするのか、その辺りは恐怖さん達が決めることだろう。
取り敢えず、今のババの役割はウェイトレスを運ぶことに集約されていたので、ウェイトレスの拘束を終えると、ババはすぐに部屋を後にしていた。
そこからババはすぐに帰るのではなく、足を踏み入れた建物の中を歩き回り始めていた。
そこはかつて使われていた病院で、建物内のあちらこちらにその跡が見られている。置かれているものの大半は使用できないが、中には使えるものもあって、それらは一つの部屋にまとめられていたり、正面にあるババ達の住まう家の方に持ち込まれていたりする。
その中を順番に歩き回り、ババは探すように視線を動かしていた。何を探しているのかと言われたら、それは決まっている。
先にこの中に入っていったヒナコ達だ。抱えたヒメノの頭を、どこかで供養しているはずの姿を探し、ババは病院内を細かく歩き回り、順番に部屋を覗き込んでいく。
とはいえ、全ての部屋を見る必要はない。先ほども言ったように、使えるものは限られていて、それらを置いてある部屋も決まっている。
言ってしまえば、ババ達が利用する部屋はこの病院の一部だけだ。
そのどこかにいることは間違いないと、順番に見て回ることしばらく。部屋としては三つ目の部屋を覗き込もうとしたところで、その部屋の中から声が聞こえてきた。
「これから、ヒメノさんの遺体は埋葬してしまいます。その前に別れの挨拶を」
そう言っているのは、ヒナコを連れて病院の中に入った立花優馬だった。ババがゆっくりと部屋の中を覗き込めば、テーブルの上で布をかけられた、恐らくはヒメノの頭と思しき物と、それと向き合うヒナコやユーマの姿が目に入る。
ユーマはヒナコを促し、布をかけられたヒメノの頭の前にヒナコを立たせていた。ヒナコは俯くように頭を見つめたまま、何かを言うことなく、ただじっと動かないでいる。
ヒナコとヒメノが怪人になった経緯は聞いたことがあった。両親を失った二人にとって、お互いが唯一残された身内だった。
その最後の一人を失い、ヒナコは一人になった。
もちろん、怪人組合という味方はいる。
が、しかし。
それは血の繋がった血縁に並ぶものではない。天涯孤独になったという感覚はどうしようもなく襲いかかってくるだろう。
それを自分達が薄められるか。その感覚を誤魔化せるほどの存在であるか。そう考えた時に、自分達がどれほどに矮小なものであるか、ババの足りない頭でも十分に理解できてしまっていた。
何も言わないまま、一分が経とうとしていた。部屋の中に入ることもできないまま、ババはどうしようかと考えていた。声をかけようかとも思ったが、それも無粋になる気がした。
それは恐らく、ユーマも同じことだったのだろう。何も言えないヒナコを前にし、何かを言ってあげるべきかとは思っているはずだが、この場に言葉を持ち込めないでいることは背中から分かった。
そして、ゆっくりとヒナコの口が開く。
「何でやねん……」
小さく、足元に落とすように呟かれた言葉が、静寂の中に波紋を作る。
「何で、ヒメノが殺されなあかんねん……」
決して声は大きくなかったが、そこに込められた感情の強さを証明するように、ヒナコの声は壁や床を打ちつけていた。ただ部屋の外で聞いているだけのババも、軽く怯ませるほどの迫力が静かに押し寄せてくる。
「ヒメノは殺されてんのに、何であいつらは……超人共は生きとんねん……!?」
ギリギリと響くほどの音を立て、ヒナコは歯を食い縛っていた。悔しさが、怒りが、その音に乗って部屋の中を飛び回る。ババもユーマも声を出すどころか、息すらできないほどに、その部屋の中は緊張感で満ち満ちていた。
「許さへん……。全員殺して、ヒメノの墓の前に頭を並べたる……。そうするまで、絶対に許さへん……!?」
ヒナコの口から、何のフィルターもなく、刺々しい言葉が飛び出したことで、ババはその言葉の奥にあるヒナコの激情の大きさを感じ取っていた。
普段のヒナコなら、言ってしまった言葉を少しでも誤魔化すように、取り繕う言葉の一つを添えるはずだ。
だが、今はそれすらなかった。そうするだけの余裕がないようだった。
ヒナコは本気で超人を恨んでいる。これまでもそうだったかもしれないが、これまで以上の感情を今は持っていることだろう。
誰がヒメノを殺したかは関係ない。ヒナコの中にあることは、ただ与えられた理不尽を、その理不尽を押しつけてきた相手に返すことだ。
その先に何があるかなど関係なく、そうしなければいけないと考えている。その雰囲気が読み取れてしまい、ババの中に不安な気持ちが募った。
今はまだ部屋の中に飛び込んで、手を伸ばせば腕を取れるくらいの距離にいるが、今のヒナコはちょっとしたことで走り出し、すぐにババが追いつけない場所に行ってしまいそうだった。
そこにどれだけのことがあったとしても、自分の身に何が起きるか分かっていても、そうしてしまう。そうしなければいけないと、そうした方がいいとすら思ってしまう。そういう怖さが声や姿から見て取れていた。
そうならないためには何をしなければいけないか。ババは自分の頭では足りないと分かっていても、考えざるを得なかった。
ヒナコがヒメノにそう思っていたように、ババもヒナコに死んで欲しくないと思っているから、暴走の手前に立っているヒナコの姿を押し止めなければいけないと、使命感にすら駆られていた。
ヒナコはゆっくりと目の前の布に手を伸ばした。その下にあるヒメノの頭を見つめ、部屋の外にいるババには届かないほどに小さな声で、何かを言い始めている。
今の決意のその先にある言葉なのか、姉妹として最期のプライベートな言葉なのかは分からない。ただ雰囲気が少しだけ、その手前よりは柔らかくなったように見え、ババは少しだけ安堵する。
まだ大丈夫。そう思えた直後のことだった。
不意にヒナコが振り返り、黙って見守っていたユーマに声をかけた。
「そうや。一つお願いしたいんやけど」
「お願いですか?」
「そう。ちょっと、ユーマさんにしか頼めへんお願いやねんけど」
そう言いながら、ヒナコはゆっくりと指を伸ばし、ユーマに一つの頼みごとをする。それを聞いたババもユーマも同じように言葉を失い、ヒナコの顔をじっと見つめていた。
ゆっくりと何かが崩れる音がして、ババは覚悟を決めるように静かに拳を握っていた。