7-2.トラウマシカ
招かれるまま、足を踏み入れた建物の中は、外観から受ける印象と違わぬ、ごく一般的な家屋のようだった。少し広く、部屋数自体は多そうだが、それだけのことで、ここが怪人組合の拠点であるとは知っていても思えないほどだ。
玄関で靴を脱いで上がろうとしたところで、ミトの身体は唐突に支えを失ったように倒れ込む。それはミトだけに留まらないことで、ヤクノも同様に玄関に座り込むと、そのまま動けなくなっている様子だった。
ソラに至っては元々屋敷で負った怪我もあって、コマザワがここまで連れてきた状態だった。辛うじて意識が回復し、周囲の様子を窺うことくらいはできていても、家の中から飛び出してきたタッチーと呼ばれた男が、コマザワを愛で始めた現状、建物の中に入ることすら儘ならない状況にあった。
それらの様子を見てか、ババ達に指示を飛ばしていた女性は家の中に入ると、すぐにその奥にある扉を指差して、ミト達に声をかけてきた。
「疲れ、怪我のあるものは全員、その奥に入りな。治療の道具もそれなりにある」
そう言いつつ、女性はツインテールの少女に目を向け、少女は何かを察したように部屋の奥に駆けていく。それを見送ってから、ミト達の隣で恐怖さんが手を上げた。
「私も手伝うよ。それが一番いい」
屈み込んだ恐怖さんがソラの身体を持ち上げると、サラさんを連れて、ツインテールの少女が飛び込んだ奥の部屋に入っていく。
「君らも」
最初にいた少年がそう声をかけ、ヤクノはゆっくりと、振り絞るように立ち上がると、恐怖さんが入っていた奥の部屋に向かい始めた。
そこに何があるのか、ミトはこれまでの経験も含め、若干の恐怖を覚えていたが、自分も向かうしかないと、それどころではないコマザワを玄関に残し、ヤクノの背中を追うように奥の部屋に足を踏み入れていた。
そこは治療のための設備が整った部屋――という風でもなく、広がっていたのは広めのリビングだった。
テーブル、ソファー、テレビ、椅子、観葉植物、姿見、ラック、カーペット。目に入るもの全てが一般的なのリビングに置かれているもので、そこに特別さは何もない。
ここで本当に治療をするのかと思っているミトの前で、ヤクノがソファーに倒れ込んでいた。軽く十人は座れそうなほどにソファーは長く、その手前半分に倒れ込んだヤクノの向こうでは、恐怖さんがソラを寝かしつけるように置いている。
そこにツインテールの少女がアタッシュケースを持ち寄っていた。その中から恐怖さんは何かを取り出し、ソラに対する治療を始めている。
「君も休み」
そこでミトの背後から部屋に入ってきた少年が声をかけてくる。
ミトは促されるまま、ソファーの方に移動し、ヤクノの横に座ろうと、身を屈めたところで体勢を大きく崩す。座ろうとする姿勢をうまく保てなかったようで、ほとんど倒れ込むようにミトはソファーに身体を押しつけていた。
「疲れているみたいやけど、怪我はない?」
少年がそう声をかけてくる。サラサラと水のように流れる金髪の隙間から、窺える表情はやや心配の籠ったものだ。
「問題ない」
ヤクノがぶっきらぼうに答える。
「大丈夫です」
ミトが消え入るように答えた。
「なら、取り敢えずは良かった」
そう言ってから、少年はソファーではなく、テーブルの横に並べられた椅子の一つに腰かける。
「ところで、君がミトくん?」
不意にそう言われ、ミトは驚きを表情に浮かべた。少年の視線に戸惑いながら頷くと、少年はやはりと納得したような反応を見せる。
「まあ、知らんのは君だけやし、そうやとは思ったけど、君がね」
やや値踏みするように、少年はミトの身体をじっと見つめてから、表情を整えて目を見つめてくる。
「初めまして。君と同じく怪人の鹿嶋美瑠と言います」
「カシマ……?」
その名前に聞き覚えのあったミトはゆっくりと記憶を探り、まだ生きていた頃のヒメノの顔を思い浮かべた。
「あっ、西の馬鹿コンビの……?」
ヒメノから聞いたことを思い出し、ミトが反射的にそう告げると、ミトの目の前でカシマの顔が信じられないくらいに大きく歪む。
「頼むから、その呼び方せんといて。それを気に入っとんのは、あのアホくらいやから」
嫌悪感丸出しの言い方を目にし、ミトはカシマが、少なくともババと比べて、真面であることを察していた。呼び名の意味するところをちゃんと分かっているらしい。
「まあ、けど、聞いてた話からイメージしてたのとは違うな。それにもうちょっと何かあんのかと思っとったけど……」
そう呟きながら、カシマの視線がミトからヤクノに動く。ヤクノはソファーの上に倒れ込んだまま、目を瞑っている。起きているのか眠っているのかも分からない様子だ。
「まあ、ええか。取り敢えず、動けるようになるまでは休んどき。その後のことはそれから話せばええから」
カシマの言葉にミトは頷き、今もソラの治療を進めている恐怖さんの方に目を向ける。恐怖さんが何をしているのかは分からないが、一緒にいるサラさんやツインテールの少女の表情がソラの容態をミトに伝えてくる。
大丈夫なのだろうかと不安を抱え、ミトが見守っていると、リビングの扉が開いて、この部屋に入るように言ってきた女性が姿を見せた。
「ミル、ジュンとクマを部屋の方に連れていきな。あの身体じゃ、ここには入れないだろうから、邪魔になる」
「分かりました」
カシマがそう言って立ち上がり、リビングから出ていく。女性はカシマを見送るようにすれ違ってから、視線を恐怖さんの方に向ける。
「容態は?」
「まあ、極めて安定しているね。致命傷はちゃんと避けているという感じだよ。放置していたら危ないかもしれないが、ここで手を尽くせば、回復は間違いないだろう」
「それで手を尽くしているのですか?」
「可能な限り、はね」
恐怖さんの微妙な言葉にミトは不安を懐きつつも、ソラのためにミトがここでできることはない。任せるしかないと思い、無事を祈るミトの隣で、女性がじっとミトを見下ろしていることに気づく。
「あ、あの……?」
「お前が三頭晴臣?」
「は、はい……?」
女性の問いかけにミトが戸惑いながら答えていると、それを聞いた女性は一切の表情を変えることなく、冷たく振りかざした視線を向けたまま、ぽつりと零すように呟いた。
「なるほど、お前がハヤセを……」
軽く呟かれたその一言がミトの身体を貫き、ミトは細胞から震えるほどの寒気を感じていた。嫌な記憶が身体の底から蘇り、ミトの頭の中を悪い想像が埋めつくしていく。
女性の顔を見上げる。その表情と視線に含まれる感情は何か。ミトは次に向けられる言葉を想像し、恐怖し、動けなくなった。何も言えなくなっていた。
ゆっくりと女性の口が動こうとする。それから逃れるために目を瞑りたい気持ちに駆られるが、それを行動に移せるほど、ミトの身体は自由に動いてくれなかった。
「疲れてる」
不意にそこでミトの隣から声が聞こえた。女性が何かを言うよりも早く、ミトの隣で目を瞑り、眠っているのかと思っていたヤクノがその体勢のまま、唇だけを動かしている。
「話は後にしてください、フルミネさん」
ヤクノがそう頼み、それを聞いたフルミネと呼ばれた女性が顔を上げる。
「ああ、そうだね。その方がいい」
そう言って、恐怖さんの方に移動していく女性を見送ってから、ミトは目を瞑ったままのヤクノを驚いた顔で見つめていた。
助けてくれたのか、とそう聞きたい気持ちはあったが、それを聞いたら、どちらにしても、ヤクノは激怒するだろうと想像できたので、ミトはただ黙って感謝の気持ちを懐くことしかできなかった。