7-1.相見の夜明け
足取りは重く、漂う空気は引き摺るようだった。それは決してヤクノとババが交互に背負うウェイトレスの重さが原因ではない。
助かったと喜ぶには、失ったものがあまりに大き過ぎた。ヒナコの腕の中に見えるカザリの着ていた服を見る度に、その内側に収められたものを思い出す度に、ミト達はそのことをまざまざと思い知らされていた。
移動が滞った理由はそれだけに留まらなかった。目的地を定め、迷うことこそなかったが、ミト達の身体のあちこちには、屋敷での一件を引き摺る跡が残されていた上、コマザワという目立つ熊を抱えていた。
当然のように大手を振っての移動は不可能で、コマザワの体躯やヒナコの抱えた遺物を隠すように移動すると、自然と足取りは遅くなっていた。
恐怖さんの屋敷を発って、方角としては西に進むこと数時間。唯一、目的地の知らないミトにとって、その道のりは長く、永遠にすら感じさせるものだった。
重苦しい雰囲気や消化し切れない悲しみの存在もそうだが、それ以上に超人がどこまで追いかけてくるのか、どこかで出会さないかという恐怖が激しく、神経は自ずと摩耗していた。
歩き疲れるよりも先に、気疲れの方が身体を蝕む中、ミトが限界を迎えかけていたその時になって、ようやく重苦しい空気の中を恐怖さんの言葉が通り過ぎた。
「見えたね」
その声に顔を上げれば、恐怖さんを含めたミト以外の全員の視線が、前方に見える建物へと集まっていることに気づいた。
白と黒を基調としたモノトーンな建物。進行方向の途中、道路沿いに聳え立つそれは、大きさこそ少し大きい方ではあるにしても、ごく普通の一軒家のように見えた。
これが目的の支部なのかと思いながら、他の皆と一緒に建物の近くまで歩いていくと、そこでミト達の到着を待ち望んでいたように、建物の前に立つ一人の少年の姿を発見する。
光の加減なのか、キラキラと光り輝いているようにも見える金色の髪を靡かせ、建物の前に立つ少年はミト達の姿を発見するなり、どこかホッとしたように表情を緩ませていた。
すぐに振り返り、建物の中に声をかけてから、少年はこちらに歩み寄ってくる。
「やはり、いらっしゃいましたか。ご無事ですか?」
ババと近しいアクセントで少年は恐怖さんに語りかけ、恐怖さんは丸い身体を僅かに傾ける。
「無事、と言えるかは分からないが、まあ、ここにいる皆は無事だね」
「どういう意味ですか?」
少年が不思議そうに問いかけ、視線をミト達の方に移そうとしたところで、少年の背後にあった扉が激しく開かれ、そこから一人の少女が飛び出してきた。
その姿を目撃した瞬間、ミトは思わず声を上げかけた。
ヒメノさん、と咄嗟に名前を口に出しかけ、それは寸前で止まった。
飛び出してきた少女は何も言うことなく、ミト達を不安そうに見回すと、その中に佇むソラを発見して、安堵したように大きく息を吐いていた。身体をくの字に曲げ、良かったと口に出す動きに合わせ、頭から垂れる二本の尻尾が大きく揺れる。
このツインテールが最初に目に入り、ミトは思わずヒメノのことを思い出してしまったが、似ている部分はそれだけだった。
そもそも、髪色が大きく違い、目の前の少女は鮮やかなピンク色の髪をしていた。数百メートル離れ、顔の見分けがつかずとも、この子だと分かるほどに特徴的な髪色だ。
あまりに目立つ容姿に、この子も怪人なのだろうかとミトが疑問を懐いていると、ホッと胸を撫で下ろした様子の少女が顔を上げ、不思議そうに見つめるミトの方を見つめ返してきた。
不意に目が合ったことにミトが戸惑い、何か言うべきかとドギマギしていると、少女の顔が僅かに変わり、安堵から少し鋭く尖ったものに変化する。
「えっ……?」
明確な敵意にも感じたその表情にミトが戸惑いを覚えた直後、少女の後ろから、今度は一人の男性が姿を現した。
「組合長! 皆さん! よくぞ、ご無事で!」
柔和な笑みを浮かべ、ホッとしたように呟きながら、現れた男が歩み寄ってくる。その声と仕草に掻き消され、気づけば少女の表情に笑みが戻っており、ミトはさっきの一瞬の敵意は気のせいかと首を傾げていた。
男は長く伸びた髪を後ろで束ね、銀縁の丸眼鏡をかけていた。その奥は柔らかな笑みを湛えたまま、ゆっくりとミト達の中を渡り歩いているが、すぐに自分の呟いた言葉が誤りであると気づいたのか、その表情がゆっくりと固まっていく。
「ヒメノさんは、どうされたのですか?」
先程中断された少年と恐怖さんの会話を掘り返すように、男はそのように聞いていた。その疑問の言葉を聞いたことで、ようやく少年は恐怖さんの返答の意味に気づいたのか、表情に明らかな不安を混じらせている。それはツインテールの少女も、同じことのようだ。
「死んだわ」
恐怖さんの後ろで、あっけらかんと、いつもの調子で、ヒナコがそう口にした。その手の中に抱えた丸まった衣服を見つめたまま、ぽつぽつと言葉を零すように口を動かしている。
「殺されたわ、超人に」
次第に含まれている息は膨らみ、ヒナコの語気は静かに荒くなっていた。
「こんな姿にされてもうたわ」
そう呟きながら、ヒナコが僅かに抱えた服を動かし、その内側に収められている物を露わにした。
知っているはずのミトでも、それを見るに堪えないもので、思わず目を逸らした視線の先で、何も知らなかった三人は唖然としていた。
「それだけしか持ち帰れなかったのかい?」
不意に家の奥から、聞き覚えのない女性の声がした。ミト達の視線が動き、モノトーン調の建物に注目が集まる。
その中から、一人の女性がゆっくりと姿を現した。ヒナコの抱えたヒメノの頭をじっと見つめ、淡々とした口調で質問している。
やや鋭い目つきをした綺麗な女性で、ヒナコ以上に落ちついた雰囲気を醸し出していた。実年齢は分からないが、その雰囲気と風貌から察するに、ミトの倍以上は生きていそうだ。
「後は連れていきたくても、そうできひんかった」
「なら、せめて、その頭くらいは供養してあげな。そのままは可哀相だよ」
そう言ってから、女性は丸眼鏡の男に目を向け、男はそれだけで意図を察したように頷いていた。
「ヒナコさん、こちらに」
丸眼鏡の男はそう告げて、ヒメノの頭を抱えたヒナコと一緒に、自分達が出てきた建物の向かいにある、病院のように見える大きな建物に入っていく。
「ところで、それは何だい?」
ヒナコと男を見送ってから、女性はババを見つめたまま、そう言った。その視線はババの背後に送られていて、そこで眠る姿を思い出し、恐怖さんがニンマリと笑う。
「お土産だよ。生きた超人さ」
「お土産って……。ただ厄介なものを持ち込んだだけなのでは? 貴方らしくはありますがね」
そう呟いた女性の視線が一度、恐怖さんの隣にいるサラさんに向いたように見えた。ミトがツインテールの女性に感じた、敵意染みた視線をそこにも感じ、ミトが疑問を懐いた直後、女性の表情が元に戻り、まっすぐにヒナコ達の消えた建物を指差す。
「置くなら、向こうだ。分かったね?」
女性はまっすぐにババを見つめ、その視線を受けたババは理解したように頷いていた。すぐにウェイトレスを背負ったまま、ババはヒナコ達の入っていった建物に向かって歩き始める。
「では、残りは中に。まずはゆっくりと休むといい」
そう言い、女性が僅かに身を傾け、家の中にミト達を招き入れようとした瞬間のことだった。
女性の傍らを何かが勢い良く通過し、ミト達の前に弾丸のように飛び出してきた。大きな影がミトの眼前を通過し、不意な驚きに身を固めていると、その影がミトの背後にいたコマザワの方に落下していく。
そして、ドンと激しく物と物がぶつかる音が響いたかと思えば、ミトの背後ではコマザワが地面に倒れ込み、その上に蠢く大きな物体が乗っていた。
「ああ、久しぶり……! クマちゃん……!」
その物体から、そう声が聞こえてきたことで、ミトはそれが人であるとようやく気づく。
ほとんど目元が隠れるほどに長い前髪をした男で、コマザワの上に伸しかかったまま、その体毛を楽しむように頬ずりをしていた。
「タッチー」
ミトの隣でソラがそう呟き、それを聞いたミトが「タッチー」と頭の中で繰り返しながら、コマザワの上に乗る男を見下ろす。
その姿にミトは心の底から、羨ましい、と感じていた。