6-24.化けの皮
床の上に転がりながら、シトは両手両足を動かそうと身を捩った。
しかし、どれだけ動かそうとも、両腕と両足は共に惹かれ合ったように離れてくれない。手首や足首を拘束された風でもない。前腕や脹脛を直接的に接着されたようにその部分が離れない。
「ちょっ……!? 何これ……!?」
シトは悶えながらリクジョーとカンザシを睨みつけた。が、二人は冷ややかな視線をシトに向けるばかりで、シトの言葉に答えてくれようともしない。
当然だろうと視線は物語っているが、それくらいのことは分かっていた。
即興で組み立てながら話した嘘がうまく通り、そのことに安堵してしまったことで、完全に油断していた。ここで何をされるかなど、少し想像すれば可能性を考えられたはずなのに、シトはそこまで頭が回っていなかった。
失敗した。今更ながらに後悔しても遅いが、後悔する状況を事前に予想できていたのなら、この状態にはなっていない。
「もうちょっと奥に移動させるぞ」
リクジョーがカンザシにそう告げて、二人はシトの頭と足を挟むように移動する。リクジョーがシトの腕を乱暴に掴み、カンザシは足を持ち上げていた。
「痛っ!?」
腕が想定されていない方向に引っ張られ、シトは悲鳴を上げる。
だが、その声も聞こえていないようにリクジョーは無視し、部屋の奥までシトを運び込むと、そこに投げ捨てるように落とした。受け身も取れない身体を衝撃が襲い、シトは苦痛の息を漏らす。身体中に痛みが張りついたように残り、無理な姿勢も相俟って、呼吸が乏しくなっていた。
「おい、死ぬなよ。まだ何も始まってないんだからな」
リクジョーがシトの身体を蹴飛ばし、無理矢理に身体を引き起こさせる。乱暴な扱いに痛みは乗っかるが、うまく上を向けたことで呼吸は楽になっていた。
「あの野郎、遅いな。顔を出さないつもりか?」
リクジョーが開きっ放しの扉の向こうを見ながら、そう漏らした。カンザシも同じように振り返り、「呼んでくる?」と聞いている。
「いや、まあ、流石にその内、来るだろう」
「何で、こんなことを……!?」
転がったまま、シトがリクジョーを睨みつけた。リクジョーはその声と視線に気づき、冷ややかな目を向けると、小さく溜め息を吐いてから、カンザシに目を向けている。
「やっぱ、呼んでくるか。この馬鹿と話すのは面倒そうだ」
「分かった。待ってろ」
そう言いながら、カンザシが部屋から出ていく。
馬鹿とは何かとシトは思い、抗議の声を出そうとするが、そこでカンザシが部屋の扉前で立ち止まり、誰かと話している声が聞こえてきた。
「いやいや、すみませんね、遅くなって。思っていたよりも手際がいいことで」
「当然だ。警戒心がゼロだったから、簡単だった」
そう話しながら、カンザシは部屋の中に戻り、その後ろからアサギが姿を現した。リクジョーはそのことに安堵したようにシトから離れ、アサギの話を促すように手で示している。
「ご苦労様です。さて、どうかな、気分は?」
シトの近くまで歩み寄り、シトの表情を窺うように覗き込みながら、アサギはそう聞いてきた。上階で話した時よりも雰囲気が変わり、シトの頭の中に残っている姿に近づいたことで、シトは自然と身体が震えそうになる。
怒りと悔しさが腹の底に積もり、今のシトは頭がおかしくなりそうだった。
「何で、こんなことを? 私の話を信じてもらえなかったのですか?」
シトはできるだけ冷静さを保とうと、必死に奥歯を食い縛りながら、そう質問を投げかけていた。それを聞いたアサギが僅かに首を傾げ、一蹴するようにふんと鼻を鳴らす。
「別に君の話はどうでもいいんだよ。君の素性も、君がどのように苦労したかも、そんなことは関係ない。最初から興味がないんだ」
「……はあ……?」
思わず声を漏らしながら、シトはアサギがどういう男か思い出していた。イメージと違う表情を見せたからと言って、イメージと違う振る舞いをしていたからと言って、それで人が変わったわけではないと、それくらいのことは分かっていたはずだ。
それなのに、シトは何も警戒していなかった。アサギに対する感情が目を曇らせ、裏側にある表情を見ようとしていなかった。
そのことを今更ながらに後悔し、シトは悔しさで脳が震えるようだった。
「私達が求めるものは君の情報だ。君の抱えた情報。それ以外に興味はない。君のことも、君が無事であるかどうかも、そんなことは関係ない。保護して欲しい? 知らないね。それを求めているなら、それこそ警察や超人に逃げ込んだ方が確実だったよ」
シトの失態を責め立てるように、アサギは一方的に言いつけてから、満面の笑みを顔に浮かべてみせた。それまでにアサギが見せていた表情とは明らかに質の違うもので、それはシトの記憶の中にあるアサギの姿と完全に一致していた。
この男はこうだったと再確認し、シトは震えるほどの激昂を噛み殺す。ここで振るっても意味がないと分かっている。拘束されている状況では何もできない。
必要なのは、怒りを発散することではない。今の自分の置かれた状況を正確に把握することだ。
「何をする気だ?」
「さあ?」
シトが問いかけると、アサギはさっと表情を変え、何も知らないと言わんばかりに首を傾げた。それまでの笑みとは違い、何も興味がないと言わんばかりの表情も相俟って、シトは堪えた怒りを溢れ出しそうになる。
「知らない振りをするの?」
「私は何も知らないんだよ。これから何をするのか。その全ては私ではなく、彼らに任せるからね」
そう言って、アサギはリクジョーとカンザシに目を向ける。ここからの全てはリクジョーとカンザシが請け負い、アサギは介入しないという意味だろう。
いつもそうだとシトは思い出したくない記憶を思い出し、そう思ってしまう。アサギは直接的に踏み出してくることがない。
だからこそ、ここにいるシトのことも覚えていないはずだ。シトが何を目的で訪れたのかも理解していないだろう。
「というわけで、ここからは彼らと話すがいい。ちゃんと話したら、いいこともあるかもね」
アサギはそう告げ、嫌らしい下卑た笑みだけ残すと、リクジョーとカンザシに目を向け、二人を促すようなジェスチャーを見せた。
そのまま背を向け、部屋から出ていこうとするアサギを睨みつけ、シトは必死に身体を動かそうとする。手足を縛られ、自由の利かない身体で、必死にアサギを足止めしようと声を発する。
「待て! まだ話は終わってない!」
しかし、その声もアサギは聞くことなく、すぐに部屋の外に出て行ってしまった。ゆっくりと閉じられた扉の向こうにアサギの姿が消え、シトは噛み砕きそうになるほど、奥歯を強く噛み締める。
このまま逃げられたら、それだけでシトの目的はご破算になる。仮にこの状況から抜け出せたとしても、次はないだろう。
完全に失敗した。悔しさで頭がおかしくなりそうなシトの前に、リクジョーとカンザシがゆっくりと迫り、リクジョーは準備運動でも始めるように手足を、首を動かし始めていた。
「じゃあ、一つずつ質問するから、ちゃんと答えるように。いいな? 答えないと、どういう目に遭うかは分かるだろう?」
そう告げるリクジョーを前にして、シトは身体の奥底から湧き上がってくる震えを感じ、自然と表情を引き攣らせていた。