6-17.デッドロック
「さて、どうしますか?」
食べられることのなかった犬の餌が入った皿を洗い、ジッパはヒマリにそう聞いた。ヒマリは部屋の中央に置かれたソファーに座り、テーブルの上にぽつんと置かれたスマホを見つめながら、頭を悩ませる。
ブラックドッグは頑なだった。超人として当然と言える対応だろう。そういう結果になることくらいは考えていた。というよりも、分かり切っていた。
口を割る気がないのなら、ブラックドッグから情報を得ることは諦めて、他の手段に委ねてみようか、と思える余裕があれば良かったのだが、残念なことに今のヒマリ達に、そこまでの余裕はない。
オダが――恐らく――死亡した今、情報を得る手段は他にない。ここでブラックドッグから話を聞けなければ、それで手がかりはなくなり、酒鬼組もヴァイスベーゼも追いかけられないまま、無意味に時間を浪費することになる。ヒマリ達の復讐は自然と遠退く。
仮にオダ以外にも、手がかりが手に入りそうな物があれば話は変わってくるのだが、と考えながら、ヒマリは近くのキャビネットに目を向ける。その上に置かれた物をじっと見ていると、そのことに気づいたジッパが表情を曇らせる。
「すみません、あれしか回収できなくて」
そうジッパが言った物は、オダに仕掛けていた盗聴器だった。ヒマリがジッパに回収を頼み、回収してきた唯一の物だ。
ヒマリ達に繋がる痕跡を残して、厄介なことになってはいけないので、それだけでも回収できたことは良かったのだが、確かにヒマリが回収したかった物はもう一つあった。
「他にもあったの?」
ジッパの発言を聞いたミライがそう聞き、ジッパは頷く。
「オダの持ってたスマホだよ。回収しようとしたんだけど、入ってた鞄ごと、もうなかったんだ」
「あの怪人が先に回収したんだろう。オダの口封じと、それが目的だったと考えるべきだ。ジッパが悪いわけではない」
向こうが流石に上手だった。あるいは、当然のケアをしていただけのことだ。ジッパの努力次第で何とかなったことではない以上、ジッパの心にダメージを与える言動を無闇にしてはいけないと、ヒマリは自身の行動を咎める。
手に入らなかった物をいつまでも求めても仕方がない。今は手元に残った物から、次に繋がる手がかりを見出だすべきだ。
そのためにも、ブラックドッグとの交渉を進めるための材料を見つける必要があると考え、ヒマリはブラックドッグの言動を思い返してみる。
ブラックドッグは超人であるが、その言動に正義感染みたものはあまり感じられない。どちらかと言えば、仕事人間、もとい、仕事犬という印象だ。与えられた仕事をこなすために、最善と思える行動を取っている印象が強く、そこには必要以上の感情が見られない。
ミライに対しても、超人に引き戻したいという意思よりも、どうして去ったのか、疑問が勝っているという印象だった。強い執着心がある風でもないので、ミライが交渉材料になる可能性も薄いと思うしかない。
そう思ってから、ヒマリはミライを見つめる。不意な視線にミライはきょとんとし、首を傾げている。
「ブラックドッグはどういう犬なんだ? どういう話に弱い?」
「弱い? 交渉材料みたいなこと?」
ミライの疑問にヒマリは首肯する。ヒマリが求める情報を聞き出すために、ブラックドッグを懐柔するには何が必要なのか、同じく超人だったミライなら、何か分かるかもしれないとヒマリは考えていた。
しかし、ミライの反応はあまり芳しくなかった。やや険しい表情を浮かべ、僅かに首を傾げると、すぐにヒマリの方を向いて、小さくかぶりを振ってくる。
「ごめん。ミレニアム以外はあんまり。凄く話したとか、そういうことじゃないから」
「ああ、そうか。いや、仕方ない」
ミライと他の超人の関係性が薄いことは、ミレニアムに対する言動やブラックドッグの反応から分かっていたことだ。ミライがブラックドッグの人となり、もとい、犬となりを知らなくても、何ら不思議ではない。
「何か好みとかも分からない? 食べ物とか」
ジッパがミライにそう質問し、ミライは考え込むように視線を上に上げる。顎に手を当て、僅かに首を傾げ、頭の底の方にある記憶を引っ張り上げようとしているようだ。
「好きが難しいなら、嫌いな物は?」
「玉ねぎ……?」
「犬じゃねぇーか」
絶対違うだろうとヒマリだけでなく、ジッパも思ったらしく、ジッパはミライの返答に苦笑いを浮かべている。
「そもそも、人間には戻れるのか? あの姿のまま一生か?」
「いや、人の姿でもあったことあるから、人間には戻れると思う。でも、歩けない様子だった」
「歩けない?」
「犬の姿じゃないと歩けないみたい。車椅子に乗ってた」
「ということは、自力で逃げ出すのは、そもそも難しい状況か」
仮に人間の姿になって、ケージからの脱出に成功し、そこから犬の姿になって部屋を移動しようとしても、扉という犬の姿では克服できない壁が存在する。歩けないという表現がどこまで意味するのか分からないが、立ち上がれない可能性もある以上、ドアノブの位置次第では扉を開けることも困難なはずだ。
それら全てを終えている間に、誰かに見つかる可能性を考えたら、簡単には逃げ出せないだろう。
「それなら、じっくりと交渉したいところだが、どうなることか……」
そう呟き、ヒマリはシトのいる部屋の扉をじっと見つめていた。その視線に気づいたジッパが、同じように扉を見つめてから、ヒマリに問いかけてくる。
「スイミさんが話してくれないと、やっぱり、ここに居続けることは難しいですか?」
「難しいというよりも、こちら側が受け入れられないと拒絶した以上、出ていくことは当然だろう。ここはあいつの家だ。こちらは邪魔している状態だ」
「シトは何も話さないの?」
「ああ。話せないのか、話さないのかは分からないがな」
「聞かないとダメ?」
「俺達の立場は不安定だ。流石に不安材料はできるだけ排除したい。あいつの隠し事がそうなっている以上、話さなくてもいいとは言えない。実際、あいつの行動は場合によっては、俺達の命を奪っていたかもしれない」
能動的にヒマリ達を罠に嵌めたいという印象は受けないが、流石に見過ごすわけにもいかない。何を隠し、何を抱えているのか知らないが、その一端だけでも、ヒマリ達の前に提示してくれないと、シトを味方としてカウントすることは難しかった。
「何があるんですかね? 怪人組合に関することですかね?」
「それか、もしくは、怪人になるに至った経緯か」
「怪人になるに至った経緯?」
「俺はオダに刺されて死にかけた。なら、あいつは?」
ヒマリの問いを受けて、ミライとジッパは考えるように俯く。シトの背後に何があるのかと想像し、それが話せないことかもしれないと思ったら、そこに含まれる重さを実感したのかもしれない。
ヒマリはシトに聞くに当たって、その部分まで一応、考えていた。そのために無理矢理聞き出すのではなく、本人の意思に委ねたのだが、ヒマリの想定以上の過去を抱えているのだろうか。
もしくは遠慮しているのか。信頼がないのかもしれない。
もしそうであるなら、尚更、一緒に行動することは避けた方がいい。それはお互いのためにならない。大事なところでお互いに傷つけ合う結果となるかもしれない。
そもそも、ヒマリ達の目的に対して、シトの目的は不明瞭なものだった。ヒマリの勧誘ですら、事前に情報を掴んでいる素振りと合わせて、どこか不自然な要素が多かった。
裏に隠れている目的があり、そのためにシトが動いていたと考えると、その部分を話せないのは、ヒマリ達を利用しているから、という可能性すら浮上する。
良いことか悪いことか、何にしても、隠れている要素が多過ぎて、シトの方は一旦、保留にするしかない。
そう考え、ヒマリはブラックドッグの方に思考を持っていこうとし、そこで一つの考えに気づく。
「目的……」
「えっ?」
「いや、こちらも何も話していないと、そう気づいてな……」
信頼という言葉で言うなら、それはシトとの間だけではなく、ブラックドッグとの間にも言えることだ。その部分がもう少し補える要素があれば、あるいは――と考え、ヒマリは頭の中で自身の辿ってきた道筋をまとめようとしていた。