6-10.みつどもえ
望まれない乱入者の登場によって、辺り一帯を支配していた激しい水音は鳴り止んでいた。それまでと比べ物にならないほど静まり返り、その場の全員の視線が乱入者に集まっていた。
「パワー、ブラックドッグ」
現れたがたいの良い男と、一匹の黒い犬を見つめ、ミライがそう呟く。それを聞いたジッパが驚いた顔を見せながら、一人と一匹を見つめている。
「超人……?」
「パワーはあの男か? ブラックドッグは犬? 犬も超人なのか?」
ヒマリの問いを聞いたミライが首肯する。
「ブラックドッグは犬になれる超人」
「ああ、そういうタイプもいるのか」
納得したようにヒマリが呟き、ブラックドッグに目を向けると、ブラックドッグの視線がこちらに向いていることに気づく。それも正確に言えば、ミライを見つめているようで、その口元が僅かに動いた。
「パラドックス……」
呟かれた言葉を耳にし、ヒマリは犬になっても喋れるのかと感心する。どこまで犬なのかは分からないが、少なくとも、思考や言語の部分は違うらしい。
「怪人達よ、自分達の立場を理解し、投降するんだ! そうすれば、穏便に解決できるとは思わないか!」
パワーがヒマリ達とスポーツジャージ姿の男を見回し、そのように問いかけてきたが、当然のようにどちらも頷くことはなかった。
目的があることもそうだが、ここまで接触した超人のことを考えれば、それがなくとも断っていただろう。それくらいに超人に対する心証はあまり良くない。
「おいおい、返事はどうしたんだ? 声が聞こえないぞ?」
「もういい、パワー。こいつらが言うことを聞くとは思えない。そういう輩なら、ここで暴れることはないはずだ」
ブラックドッグがパワーを制する様子を見て、ヒマリは話が通じるとしたら、犬の方かと理解する。少なくとも、ただ闇雲に投降を求めてくるパワーより、ブラックドッグの判断の方が納得のできるものだった。
何より、言うことを聞く輩なら、ここで暴れないというのはヒマリも思ったことだ。スポーツジャージ姿の男はヒマリ達以上に強情そうである。
「あんたら、超人?」
「ああ、そうだが?」
「まあ、だよな。喋る犬とか見たことないし。だったら、早くそこの怪人を捕まえてよ。そういう仕事でしょう?」
スポーツジャージ姿の男が自分のことは棚に上げ、ヒマリ達の方を指差してくる。自分もそうだろうとヒマリは思い、ブラックドッグもそう答えると思っていたが、ブラックドッグは何も反論することなく、ヒマリ達の方に目を向けてきた。
まさか、スポーツジャージ姿の男を本気で見逃すつもりかと思っていると、ブラックドッグの口が開く。
「パラドックス。噂には聞いていたが、本当に怪人になったのか?」
そう言われたミライが僅かに俯く。
「否定しないのか……」
「ごめん」
「何? 知り合いだった?」
スポーツジャージ姿の男が状況の異様さに興味を持ったらしく、口元に笑みを浮かべながら、ブラックドッグとミライを交互に見ていた。
「お前には関係のないことだ、怪人」
「ああ、そういう認識はあったのか。犬だから騙せるかと思ったのに」
男がブラックドッグを挑発するようにそう告げるが、ブラックドッグはその言葉に感情を現すことなく、パワーの方に目を向けていた。
「パワー」
「ああ、任せろ! ここで私の完璧な肉体を披露し、全てを丸く解決してみせる!」
そう堂々と宣言したパワーが唐突に服を脱ぎ、服の下の引き締まった身体を見せてくる。確かに鍛え上げられた身体だとは思うが、まさか肉体一つで事態を収拾できると本気で思っているのかとヒマリは聞きたくなる。
「変態ですかね?」
隣でジッパが呟く。
「いや、あれは多分、筋肉バカの類だ」
ここまでの言動からヒマリがそう判断し、ジッパに答えていると、それを聞いていたミライが小さく頷き、「正解」と口にした。
「待て、パワー。いくらお前が完璧な肉体を披露しても、数の不利は厄介だ。ここは一度、応援を呼んでくれ。それが来るまで、奴らをここで足止めする」
「応援? いるか?」
「じゃあ聞くが、全員捕まえたとして、二人だけで連れていけるか?」
ブラックドッグの冷静な問いを聞き、パワーはじっくりと考え込んでから、閃いたように顔を上げた。
「それこそ、私の肉体が輝く時だ!」
「聞いた俺が悪かった。とにかく、応援を呼んでくれ」
ヒマリはミライと共に行動し、ミライの現在の行動目的にも繋がっているミレニアムのことを思い出す。逢ったことのある超人は少ないが、もしかして、超人はこういう奴ばかりなのかとヒマリは思ってしまう。
もしそうだとしたら、あっちはあっちで真面ではないなと思いながら、ヒマリは二人の超人からスポーツジャージ姿の男の方に目線を移していた。
取り敢えず、新たな超人という要素の登場によって、ジリ貧とも思える状況からは解放された。これで男に限界があるかどうかは別として、ヒマリ達が逃げる隙もなく、押し込まれる可能性は薄くなったと言える。
だが、問題は新たに現れた二人の超人の方だ。そちらは現時点で、力を含めて未知数。男が超人をどう判断し、どのように行動するかも分かっていない。
カプセルにも残数がある。既にシトを捕まえ、落下する看板や電柱から身を守るために、その一部を使ってしまった状況だ。
限られたカプセルを利用し、男を捕まえられるかと聞かれたら、それはかなり怪しい。ブラックドッグとパワーがどのように動くか分かっていない点も、この場合は不安材料として残るだろう。
しかし、さっきまでの状況と比較して、まだ可能性が残っているとは言える。超人の動きをうまく利用し、男の動きに制限がかけられたら、カプセルを当てる隙は作れるかもしれない。
その時に残った超人二人は厄介だが、そちらに関しては男以上の情報を得られる可能性が残っていた。
ヒマリは男や二人の超人に意識を向けながら、小声でミライに問いかける。
「あの超人達は何をする?」
「ブラックドッグは犬になる。パワーはルーレット」
「ルーレット?」
「そう、ルーレット。ルーレットで当たれば最強、外れたら終わり。そういう力」
あまりに端的なミライの説明に、流石のヒマリも首を傾げる。何かの比喩表現だろうかと考えてみるが、ルーレットという比喩から想像できるものはあまりに幅広い。
「もう少し具体的には? 犬になるっていうのはどういうことだ? 全部、犬なのか?」
「あの身体の時は犬と同じはず。嗅覚も運動能力も犬に近い」
「なら、見た目以上の飛び道具はないということか」
それなら、そもそも男の水を前にして、何かができるのかとヒマリは疑問に思う。理想を言うなら、あれに対抗できるだけの超人が現れ、男の水に制限がかかることだったが、その状況は生まれなさそうだ。
状況は依然として厳しいままか? ヒマリが不安に思う中、ブラックドッグからの頼みを結局は聞くことにしたのか、パワーが少し離れるように背を向けて、スマホを取り出していた。
他の超人が合流する。その時まで、流石に男が待つとは考えづらい。その前に終わらせるか、そうなりそうだったら逃走を考えるだろう。
そこまでに目的を果たせるのかと、ヒマリが疑問を懐きながら、それとは別の疑問を解消するために口を開く。
「ルーレットの方も、もう少し詳しく……」
聞かせてくれないかと頼もうとした、その声を発する前に水音が現場を横切った。
同時に放たれた水が切り払うようにブラックドッグを襲う。男が突き出した手を振るいながら、ブラックドッグに放ったようだ。その一撃をブラックドッグは跳躍で回避し、威嚇するように唸りながら、男の方を見つめていた。
「流石に度が過ぎるんじゃないのか?」
「度が過ぎる? 何を言っているんだ? だって、俺はさ。怪人なんだぜ?」
男とブラックドッグの間に漂う緊迫した空気が、ヒマリの思考を待ってくれることなく、再び状況が動き出してしまったことを伝えてくるのだった。