6-9.ウェザーリポート
ヒマリの指示は端的であるが、的確だった。簡単な言葉でありながらも、ヒマリの求めるところをジッパは察し、周囲の人間に救急車を呼ぶように頼みながら、こっそりと目的の物を回収することに成功していた。
とはいえ、ジッパが回収を任された物の半分は回収できたが、もう半分はどれだけ探しても、その場に見当たらなかった。あまりに探っている時間が長いと怪しまれるので、ジッパは途中で探すことを断念し、こっそりと現場から離れることにする。
多くの人の意識がオダに向いている中でのことだ。血液さえ付着していなければ、そこから人混みに紛れるジッパを怪しむ人はいないだろう。
その予想は的中し、人混みから離れていくジッパを不思議に思っている様子を見せる人はいなかった。
ジッパは現場から離れ、ヒマリ達が向かった先に移動していく。
その途中から、オダの周囲で広がる騒ぎとはまた違った種類の騒がしさが、向かう先で膨らんでいることにジッパは気づいた。
何を原因とする騒がしさなのか、ジッパは膨らんだ人混みを掻き分けて、音のする方に向かっている途中の時点で、何となく答えが分かっていた。
シトが何かに向かって走っていき、ヒマリとミライが追いかけた方向と、音のする場所は被っている。ヒマリ達の正体を知っているジッパだ。それが全く無関係であると、思えるはずもない。
シトを追いかけたヒマリ達に何かがあって、現在進行形で何かが起きている。聞こえてくる音から察するに、それも只事ではないはずだ。
何が起きているのかと、ジッパは不安を抱えながら、ヒマリ達の飛び込んだ裏路地に入っていく。
その先で広がる光景を目にして、ジッパは裏路地に入ったばかりの場所で立ち止まり、思わず唖然としていた。
路地の中央には、ジッパの知らない男が立っていた。黒のスポーツジャージ姿の男は、思い返せば、オダと接触していた男に瓜二つだ。
その男が両手を大きく振り回し、その先から水を鞭のように撓らせながら、周囲にばら撒いていた。水は周囲の看板や電柱を切り落とし、落下した破片をヒマリ達のいる場所に弾き飛ばしている。
ヒマリはカプセルを落ちてくる看板に投げ、ミライは光り輝く手で、看板に踏み潰されないように弾き飛ばしていた。何とか致命傷は避けているが、その様子は防戦一方という感じだ。
ジッパの周囲を水が通過する。破壊された看板の破片が飛散して、ジッパの周囲に散らばっていく。
看板本体と比較すれば、それらの破片は小さなものだ。コンビニで売っているおにぎり程度の大きさで、決して潰されるものではない。
だが、水に強く押し出され、その勢いが乗ってくると、話は変わってくる。おにぎり程度の破片でも、十分に人を殺せる威力を有しており、それがジッパにとって十分な致命傷となり得た。
ジッパは飛んでくる破片を慌てて躱す。逃げ惑うように身を屈め、破片から逃れようとしたいが、飛び交う水も、落ちてくる破片も、身を隠せる物を飛び越し迫ってくるので、真面に隠れられる場所もない。
「ヒッ!?」
ジッパが思わず悲鳴を上げた。
辺りに散らばる水の音や看板の破壊される音を越え、その音が耳に入ったのか、ミライの視線がこちらに向く。ヒマリもミライの様子に気づいたのか、ジッパのいる方に目を向けてきた。
「ジッパ、こっち!」
ミライが叫んだ。二人の奥で水を撒き散らしていた男の視線がジッパに向く。
ジッパは慌てて走り出し、男の手から飛び出す水が自身に向けられる前に、ヒマリとミライの元に滑り込んだ。水と看板が飛び散って、ジッパの走ってきた跡に落下する。一部はジッパの現在地に届いたが、それもミライの両手が弾き飛ばしていた。
「無事か?」
ヒマリがジッパの様子を窺いながら聞いてくる。
「はい、すみません」
ジッパはそう言いながら、ヒマリに言われたように回収した物を取り出していた。
「これは回収できたんですけど、もう一個はオダの周りに見つかりませんでした。多分、先に回収されたんだと思います」
ジッパのその言葉にヒマリは頷き、視線を少し先で水を撒き散らす男に向ける。時たま、看板や電柱を破壊している水が、ジッパ達のいる場所に飛んできて、ミライの手に阻まれたものが、その隙間でか細い雨のように散らばっている。
「あの男はさっきオダと接触していた男ですよね? これは怪人ですか?」
「十中八九」
「ヒマリさんはどうするつもりなんですか?」
水に破壊されていく周囲を見回しながら、ジッパはそう訊ねる。このまま永遠に攻撃を防ぎ続ければ、その内、壊せるだけの物もなくなり、攻撃の手は止むだろう。
しかし、ミライの様子を見れば、それが現実的かどうかくらい、ジッパにも分かった。目に見えて疲弊している様子のミライに、いつまでも防御を頼むわけにはいかない。
「このままだと、ミライちゃんが倒れますよ?」
「分かってる。理想を言えば、あいつを捕まえたい」
空のカプセルを握り締めながら、ヒマリはそう答える。その表情は悔しさが滲み、ヒマリにとって不本意な決断を迫られていることは、ジッパにも伝わってきた。
「あいつの怪人としての力がどういうものか分からないが、無尽蔵に水を生み出せるのか疑問はあった。もしかしたら、限界があるのかもしれないと思い、その限界まで耐えれば、捕らえるだけの隙が生まれるかもしれないと、そう思ったが……」
ヒマリがそう考えてから、それなりの時間が経過しているのか、ヒマリの決断が揺らいでいる様子が見て取れた。
ジッパはヒマリの目線を追いかけるように、今も水を撒き散らす男に目を向ける。その動きは、様子は、到底限界が近いようには見えない。
それと比べて、飛び散る水や落下する破片を受け止めるミライの方が、少しずつ衰弱しているように見えた。
「ミライが倒れたら、逃げる途中で撃たれて終わりだ。その前に決める必要があることは分かっている」
「なら、急いで……」
そう言いかけ、ジッパは周囲に目を向けた。その場にはヒマリとミライの二人しかいない。
シトの姿がそこにはない。
「あれ? スイミさんは?」
もしかしてシトを奪われ、助けるために悩んでいるのかと、状況に気づいたジッパは悪い想像をした。そこでヒマリはポケットからカプセルを取り出し、ジッパに見せてくる。
「スイミは回収した。一旦、最低限の目標は達成している」
「なら、いいじゃないですか! どうして、悩んでいるんですか?」
「ここで逃げたら、オダを利用し、ようやく掴みかけた次の手がかりを失うことになる」
「それは……」
その程度のことと言えることではないと、流石のジッパも分かっていた。酒鬼組やヴァイスベーゼについて、そう何度も有益な情報が得られるとは限らない。
確かに目の前に怪人がいて、その人物が酒鬼組かヴァイスベーゼと関係している可能性が高いとすれば、その存在を見す見す見逃したくはない。
ヒマリの悩みは良く分かった。
が、それでも、ジッパは逃げるべきだと、ミライの姿を見て思う。
「無理をしなければ、次があるはずです。ここは一旦、退きましょう」
「もう一つ」
ジッパの言葉を聞いたヒマリが口を開く。
「実はもう一つ、考えていることがある」
「考えていること……?」
「途中で可能性に気づき、要素として含めるべきか悩みながら、時間がかかればかかるほど、計算に入れないといけないと思っていたイレギュラーだ」
ヒマリが何を言い出したのか分からず、ジッパが思わず眉を顰めた時のことだった。
「そこまでだ!」
不意に裏路地全体に、水による騒音を掻き消すほどの声が響き渡った。
男の手から撒き散らされていた水が止まり、男の視線が声のする方に向く。ジッパやヒマリ、ミライの視線も、同様に声のする方に向く。
そうして、声のした場所に立っているがたいの良い男と、一匹の黒い犬を見つめながら、ヒマリは口を開いた。
「イレギュラーか」
「何の喧嘩か知らないが、ここで暴れるのは良くないな、怪人達よ!」
がたいの良い男が静まり返った空間に釘を刺すようにそう告げた。