6-8.水鉄砲と水芸
スポーツジャージ姿の男はミライの光り輝く手を見つめていた。
仏の手。ミライがそう呼称する手は、そこに触れた物を何でも反射する、ミライの最強の盾だ。
たった一度の結果で、そこまで察したとは思えないが、少なくとも、男が厄介に思い始めていることは確かなようだった。面倒そうに頭を掻く様子を見て、ヒマリは意識がミライに向いていることを好機と思う。
ヒマリの目的はカプセルを男に当てることだ。それで確実に捕まえられると決まったわけではないが、もしもカプセルの中に収められたら、得られる成果としてはかなり大きい。
ヒマリはミライの手に反射し、足元に残った濡れた跡を見つめる。それが男の手から飛び出したことを思い返せば、男の正体は何となく察せられる。
怪人。酒鬼組に関係する怪人と考えたら、その正体は恐らく、ヴァイスベーゼの一員だろう。確証はないが、可能性は高い。
その確認も含めて、どこかで隙を見る必要があると、ヒマリはカプセルを構える。男の意識の中から、確実に自身の存在が消えた瞬間を待って、ヒマリは息を潜めようとする。
が、そこで男の目がヒマリに向いた。面倒そうにミライの腕を見つめ、どうするかと考えているのかと思っていた矢先のことだ。あまりに唐突にこちらを向いたことから、ヒマリは寒気を覚え、思わず半歩下がる。
男は手を持ち上げる。拳をまっすぐに突き出し、ヒマリに向けたかと思えば、その手から何かが勢い良く撃ち出された。拳銃でも握っていたのかと思うほどの速度だ。
当然のように目で追うことは不可能で、ヒマリは咄嗟に両手を上げ、気づいた時には身を守ろうと腕を掲げていた。
その遥か手前、男の動きを良く観察していたミライが飛び出し、光り輝く手を伸ばした。その手に、男の手から撃ち出された何かがぶつかり、鋭角に飛んでいく。光が鏡で反射するような軌道で、撃ち出された何かは地面に散らばり、そこで濡れた跡となっていた。
「あー、反応はするけど、対処はできない感じだ? そこまで分かればいいや。狙いはそっちで、完全に釘付けにできるってことだろう?」
そう呟いてから、男はヒマリやミライの返答を待つことなく、即座に手を持ち上げていた。構えは変わることなく、拳をこちらに突き出す形で、そこから再び何かが勢い良く撃ち出される。
人間の反応速度を超え、弾丸のように何かが迫る。そのことを脳が認識し、身体を守るように片手を上げた時には、ミライがヒマリの前で立ち塞がるように手を広げていた。
何かがミライの手にぶつかり、再び反射する。今度は地面に向かって伸びて、綺麗な直線をそこに描いていた。
再びミライの手に阻まれた、という事実を男は気にしていないのか、男は持ち上げた手を下ろすことなく、更に二度、三度とそこから何かを撃ち出していた。それらを受け止めるようにミライは手を広げ、撃ち出された何かがヒマリに届くことなく、地面や壁に跳ね返っていく。
次第に撃ち出される何かは速度を増しているのか、それまで、ただ濡れた跡を残すだけだったところが、今では次第に壁や地面に細い傷を残し始めていた。刃物で切りつけたような傷だ。
もしもミライが跳ね返すことなく、ヒマリにまっすぐ届いていたら、間違いなく、ヒマリの身体は撃ち抜かれているだろう。そのことが分かる傷痕に、ヒマリは恐怖を覚えながら、もしかしたら、これがオダを襲ったのかもしれないと考え始めていた。
そこからも男は数発、ミライの手に阻まれることが分かっていても、手から何かを撃ち出していた。
その時にはヒマリも、冷静に状況を観察する余裕が生まれ、撃ち出された何かを特定しようとしていた。
地面に広がる濡れた跡、撃ち出される際に僅かに聞こえる音、壁や地面にできた傷痕の様子などから、ヒマリは撃ち出されているものが水ではないかと考え始める。
ただの水であるか、特殊な液体であるかは不明だが、少なくとも、撃ち出されているものが固体ではないことは確かだ。固体であるなら、今頃、この近くに撃ち出された何かが転がっているはずだ。
水か、それ以外の液体かの見極めは難しいが、あちこちに残る跡から察するに、触れられないほどに危険な液体である可能性は低かった。
何より、それほどに危険な液体なら、それを撃ち出している男の方が何かしらの影響を受ける可能性が高い。もちろん、耐性も持っている可能性はあるが、一旦は反射しているミライに大きな影響はないと考えてもいいだろう。
それよりも気になる点は、男が水をどこまで扱えるのかという部分だった。
単純に撃ち出せるだけなのか、それとも、もっと応用が利く中での現状なのか、それによって今のヒマリ達の立ち位置は変わってくる。
場合によっては、今の余裕を見せている間に退かないと、これ以上踏み込むと帰れない可能性も出てくる。
とはいえ、オダを利用し、ようやく釣れた獲物だ。ここで逃してしまえば、再び酒鬼組やヴァイスベーゼに繋がる道は途絶えてしまう。
何とかうまく事を運べないかとヒマリが頭を悩ませていると、男は拳を突き出すような姿勢のまま、それまで繰り返していたヒマリへの攻撃を、唐突にやめた。
そのことに撃ち出された水を受け止めていたミライも、状況から男の確保方法を考えていたヒマリも、同様に動揺を表情に見せる。
「もう終わりか?」
ヒマリは男をこの場に留める意味も込めて、やや挑発的に訊ねる。その問いに男は答える様子がなく、やや周囲を見回してから、口元に笑みを浮かべる。
「いや、数を撃てば、破れるのかと思ったけど、そういう限界もなさそうだったから、ちょっと趣向を変えようかと」
「趣向を変える?」
「そう。こんな風に!」
そう言いながら、男はそれまでヒマリに向けていた腕を大きく振るい、その先から水を撃ち出した。撃ち出された水は腕の動きに合わせ、空中で曲線を描きながら、振るわれた方に飛んでいく。
そこにビルに取りつけられた看板があった。
振るわれた水は看板を支える柱にぶつかり、その柱を無理矢理に折り曲げていく。折れ曲がった柱は看板の重さに耐えかね、そのまま看板はビルから落下し始めた。
そこに男は一度、振るった水を引き戻し、叩きつけるようにぶつけた。
落下する看板は軌道を変え、ヒマリ達の方に落ちてくる。それもちょうどミライのいる位置だと気づいた瞬間、ミライが片手を上げていた。
看板がミライの手の上に落ちる。同時に、光り輝く手が触れた看板を跳ね飛ばす。看板はミライから離れた位置まで吹き飛んで、そこで大きな音を立てている。
万が一、対処が遅れていたら、今頃、ミライは下敷きになっていたが、その危険はまだ去っていなかった。
ミライが看板の対処を進めている間にも、男の腕は止まることなく振るわれていた。他の看板の柱を折り曲げたかと思えば、近くに立つ電柱を抉り、落下する看板や倒れる電柱を跳ね飛ばすように戻ってくる。
細かに水の勢いを変えながらの一連の行動は、まるで大道芸のようでもあったが、それらの光景を綺麗と楽しむ余裕は、今のヒマリとミライになかった。
看板は、電柱は、男の水に押し出され、全てがヒマリやミライの頭上に伸しかかっていた。ヒマリはカプセルを投げ、看板の一部をその中に収めるが、それだけでは間に合わない。
結果、ミライはヒマリの位置まで後退し、その身体を守るために腕を振り上げる必要があった。
潰されないように看板や電柱を跳ね返し、何とか周囲に落としていく。
が、それだけの行動は確実にミライの体力を奪い、ミライは苦しそうに息をし始めていた。
「大丈夫か?」
「大、丈夫……」
そう呟く様子はあまり大丈夫には見えず、ヒマリは徐々に追い込まれていることを察する。
逃げるなら、決断は早い方がいい。ミライが倒れてからでは、逃げ出す背中をあの水で撃ち抜かれるだけだ。
ミライが限界を迎える前に、どこかで退却を考えるべきかと、そう思ったところでヒマリはふとした疑問を懐く。
男の様子を改めて見つめ、そこから吹き出す水を確認し、それからヒマリは自身やミライ、シトのことを思い浮かべる。
もちろん、全てがそうではないことはアザラシのことから分かっているが、可能性自体はあるはずだと思いながら、ヒマリは男を見つめる。
男の身体から吹き出す水は無限なのか?
それとも、限界があるものなのか?
その差次第で、ここの判断は変わってくると、ヒマリはカプセルを握り締めながら考えていた。