6-6.袖に耳あり監視の目あり
「オダを使って、酒鬼組の情報を手に入れる」
オダの処遇について聞かれ、ヒマリはそう答えていた。
そのためにまずはジッパをオダの元に送り込み、オダが自発的に逃走するように仕掛ける必要があった。施錠忘れという手法はオダが気づくか怪しいところではあったが、それ以上に直接的な行動を取ると、あまりに態とらしく、感づかれる可能性が高くなる。
これは罠である、と気づかれない程度の罠を張るには、施錠忘れくらいが限界だ。
それにジッパという人選も大事だった。
「俺だと忘れた時に違和感が残る。ミライだと、食事を運ぶという役割に違和感が生まれる。スイミはそもそもオダが知らないはずだから、罠の可能性を考えてしまうかもしれない。そういう諸々を考えたら、ジッパ以外にいない」
「つまり、俺なら忘れそうな馬鹿ってことですか?」
「否定はできない」
ヒマリの正直な発言にジッパは落ち込むだけ落ち込んでいたが、オダの逃走を促すジッパの行動は完璧で、オダは施錠忘れが故意であるという可能性について、微塵も考えている様子がなかった。
ヒマリの期待通りにオダは倉庫から抜け出し、酒鬼組と接触を果たすために移動を始める。その後をついていって、ヒマリ達はオダがどのような行動に出るのか監視を始めるが、監視だけで狙っている酒鬼組の情報が手に入る可能性は薄かった。
誰かと接触するなら構わないが、そもそも接触する相手と連絡を取る必要があるはずだ。その時点で接触しない方向で話が進んでしまえば、誰かと話したという情報しか得られない。
必要なのは、その会話の内容と、誰と話したという情報だ。
その部分を得るためにヒマリが事前に考え、ジッパに仕込みを頼んでいたものがあった。ジッパは実際にオダの枷を外す際に身体へ仕込み、それが今もばれていないことは遠くからでも分かった。
ヒマリは用意していた機器の電源を入れ、スピーカーから流れてくる音に耳を傾ける。ノイズが主体の音の中には、はっきりとした男の声が交じっており、それは間違いなくオダの声だった。
これはジッパがオダの身体に仕込んだ盗聴器が拾っている音声である。
「あった……!」
「何かを見つけたな」
オダが小声で呟いた言葉を聞いて、ヒマリがオダの様子に目を向ける。オダは事務所近くに移動し、そのまま誰もいない事務所に向かうのかと思ったが、その近くの自販機の前で立ち止まり、自販機下に落ちた小銭を探すように、床に身体をつけて手を伸ばしていた。
「小銭でも拾ってるんですかね?」
「それが目的なら、わざわざこの場所には来ないだろう?」
酒鬼組の事務所には、超人の出入りもあった。何の考えもなく接近するには、あまりに危険な場所だ。
何か明確な目的があったのだろうとヒマリが思っていると、オダは自販機の下で何かを拾って立ち上がり、どこかに向かって歩き始めた。
「この先は……」
「駅があるね」
シトがオダの向かう先を想像し、そう答える。
その言葉通り、オダは駅に向かっていたようで、まっすぐに構内に入っていくと、そこに設置されたコインロッカーのある場所で立ち止まった。
「ロッカー?」
ヒマリ達も離れた場所で足を止め、オダの様子を窺う。オダは頻りに番号を繰り返しながら、一つのロッカーを探しているようだ。
「さっきのはカギか……」
その様子を見たことで、ヒマリは自販機下で拾った物の想像がつき、そのように呟いた。
案の定、オダは目的のロッカーを見つけると、さっき拾った何かを取り出し、そのロッカーを開け始める。中に何が入っているのか、最初は見えなかったが、すぐに小振りの鞄が取り出され、ヒマリ達は眉を顰めた。
「鞄? 何の鞄だ?」
「何が入っているんだろね?」
そう言っていると、その中からオダはスマホを取り出し、どこかに連絡を取り始めている。その様子を見たヒマリが考えていた行動に行きついたことを察し、オダの会話を聞き取るために、受信機を耳元に近づけた。
幸いなことに、ジッパが盗聴器を仕込んだ場所はオダの袖付近らしく、スマホで近づいたオダの声ははっきりと聞き取れた。
「誰かと連絡しているな。恐らく、酒鬼組の幹部だ」
「誰なのかは分かりますか?」
「いや、スマホの声は聞き取れない。名前でも呼んでくれたら別だが……」
そう思っていたら、通話が終わりそうな雰囲気のところで、オダが大きく頭を下げて口を開く。
「はい! ありがとうございます、アサギさん!」
「アサギ……?」
聞こえた名前をヒマリが呟くと、その隣で聞いていたシトがきょとんとした顔をして、ゆっくりと口を開いた。
「ア、サギ……?」
「ああ、そう言った。恐らく、電話の相手は酒鬼組の幹部の一人、浅葱切科だ」
ヒマリは頭の中で、穏やかで柔和な笑みを浮かべた男を思い出していた。モッズスーツを身にまとった姿は良き教師のようにも見えるが、その姿を思い出したヒマリは苦々しい顔を浮かべてしまう。
「どういう人?」
ミライがヒマリの顔を見上げ、そのように聞いてくる。ヒマリは抱えた苦々しさを隠すことなく、噛み砕いて言葉にする。
「見た目はどこかの公務員か何かに見えるお堅い感じで、常に笑顔を浮かべている男だ。第一印象は優しそうと思われることが多く、口調も穏やかだ」
「実際は違うの?」
「全く、な。酒鬼組の中でも最も過激派であると言われ、酒鬼組が起こした事件の大半はこいつが指示したという話だ。俺も軽く話したことがあるが、そういう顔を隠す様子もなく、反吐が出るほどのクズだった」
嫌な記憶を塗り潰すようにヒマリは頭を掻き、受信機を耳から離す。通話を終えたオダは移動を始め、駅の外に向かっているようだ。
「酒鬼組の人間と接触するかもしれない。追いかけるぞ」
ヒマリはそう伝え、ミライやジッパと一緒に歩き出そうとするが、そこでシトが立ち止まっていることに気づき、ヒマリは怪訝げに振り返る。
「どうした? 何をしてるんだ?」
「えっ……? あっ、いや、何でもないよ……」
そう答え、シトはヒマリ達と一緒に歩き出すが、その様子は何でもないという風には見えなかった。
何かあると思いながら、ヒマリ達は駅の外に移動し、隅の方で立ち止まっているオダの姿を遠くから観察し始める。
「アサギが直接来ることってありますかね?」
「流石にそれはないな。わざわざオダのために自分から動くとは思えない」
アサギへの報告も聞いていたが、ヒマリ達が徹底的に情報を隠していたこともあって、オダは大した情報を持っていなかった。重要な部分の情報を握っているなら、直接聞きに来ることもあるかもしれないが、あの情報ではそれもないだろう。
「来るとしたら、組員の誰かだな。知り合いだったら、すぐに分かるが、そうでないとしたら、接触するまで待つしかない」
ヒマリがそのように考えていると、隅で立ち止まっていたオダに一人の男がぶつかっていた。通話中に気づかなかったのか、耳にスマホを押し当て、ぶつかったオダを不思議そうに見ている。
「あれは……流石に無関係ですよね?」
「組員には見えないが……」
そう答えていると、オダが男と何かを話しているようで、受信機からオダの声が僅かに聞こえてくる。その内容が耳に入り、ヒマリは違和感を覚え、受信機を耳に当てる。
「何だ? 会話が成立してないぞ?」
「どういうこと?」
「分からない。だが、様子がおかしい」
ヒマリがそう呟いた直後だった。オダと男が抱き合うような仕草を見せた後、オダはその場に崩れ落ちるように倒れ込んでいた。
それを見たヒマリとジッパは目を大きく見開き、言葉を止める。
その隣で、その変化に気づいたシトが二人よりも早く走り出す。その姿に引かれるようにミライも駆け出し、ヒマリとジッパはようやく後に続いていた。
シトがオダに駆け寄り、その場にヒマリ達が到着する。
「オダの様子は?」
ヒマリはすぐにそう聞くが、シトはその質問に答えることなく、頻りに辺りを見回している。
「おい、スイミ」
ヒマリはそう声をかけ、シトの肩を掴もうとするが、そこでシトは唐突に立ち上がり、どこかに向かって走り出してしまう。
「お、俺、救急車を呼びますね!」
咄嗟にジッパがそう告げ、ヒマリは振り返ってから、辺りの様子を窺う。既にオダが倒れたことに何人もの人が気づき始めている。この状況で、何も対応しないことは不自然だ。
「ああ、そうしてくれ。それから……」
ヒマリはオダに口を近づけ、囁くように告げる。
「回収も頼む」
その一言でジッパは察してくれたらしく、頷く様子を確認してから、ヒマリはミライと共にシトを追いかけるように走り出していた。
「あいつ、どうしたんだ?」
シトの行動を不審に思い、ヒマリがそう零すと、シトの走っていった方角を見つめたミライがぽつりと呟く。
「これ、さっきぶつかってた人が逃げた方」
「つまり、スイミはあいつを追いかけているということか?」
どうして、と疑問に思ってから、ヒマリはさっき駅の中で見たシトの様子を思い出す。
何かある。その直感は間違いではなかったようだが、ここまで早く回収されるものと、ヒマリは思ってもみなかった。