6-4.エビフライ弁当
目覚めた時には暗闇が広がっていた部屋の中にも、今では光が射し込み始めていた。恐らく、日が明けたのだろうと思いながら、オダは動かせない手足を僅かに動かし、表情を歪める。
腕の方は良かった。ただ枷で拘束され、自由が利かないだけだ。
問題は足の方だ。そちらは水槽の中に放り込まれ、そこに詰め込まれた無数の虫に覆われ、襲われ、噛まれ、既に見るも無残なほどに傷だらけだった。
今のところ、痛み以上の大きな変化はないが、これだけの虫に噛まれた経験はこれまでにない。いつ、どのように、容態が急変するか、オダ自身でも分からない。その部分が不安にならないかと聞かれたら、さっきから常に考えてしまうほどに不安だと答えるしかない。
いつまで、この状態でいることになるのだろうか。オダは椅子に座り、手足を拘束されたまま、芽生えた不安に自身の行く末を想像する。
この状況で、オダの処遇を決めるとしたら、それはヒマリのはずだ。自身が刺し、殺したと思っていたヒマリだ。情報を聞き出し、用済みとなった以上、今のオダをどのように処分してもおかしくはない。
殺されるかと考えてみるが、ただ殺されるだけなら、まだマシだ。足がそのような罰を受けたように、全身を虫で覆われた暁には、オダの精神は漏れなく発狂するだろう。
万が一にも解放されたとしても、今のオダが何もなく解放されるわけがないと、気づかない酒鬼組ではない。
情報を明け渡したことくらいはすぐに知られ、オダは殺されることになるかもしれない。それもヒマリの時と同じく、まだいい方だ。
何を話したのか、あるいはヒマリの情報を持っていないかと、オダの口を割るために酒鬼組が本気を出せば、オダに待っている末路は今の比ではない。
一体、どうすればいいかと考え、オダが溜め息をつこうとしたところで、不意にオダの腹が鳴った。長時間に及び拘束され、足に虫をまとわりつかされ、絶叫に次ぐ絶叫を続けたことで、オダの体力はすっかり底をつきたようだ。気づけば、空腹がオダの腹を支配し、音を立てるほどになった。
「腹が……減った……」
ぽつりと零した声が聞こえたわけではないだろう。そのような声が聞こえるようには、見えない部屋の中だ。
ただ偶然、タイミングが重なったようで、オダがそう呟いた直後、部屋の入口から音がした。カギの開く音だ。
部屋の入口がゆっくりと開いて、強い光が飛び込んでくる。
何かと顔を上げてみれば、そこにはジッパが立っていた。
「な、何だよ……?」
急なジッパの来訪に、オダは怯え、ジッパから逃れるようにやや身を起こす。椅子の背もたれに身を預けるように傾け、少しでもジッパから離れようとするが、それもこの状況では不十分だ。
「お前、アレルギーあるか?」
「は、はあ……? 何を聞いて……?」
まさか今更、足にまとわりつかせた虫の心配かとオダは考え、それだけのためにやってきたジッパを、鼻で笑うようにふんと空気を吐き出した。
が、ジッパの質問はオダの考えていたものとは大きく違うようで、ジッパは一度、背後に目を向けると、そこで何かを手に取って、こちらを振り向いた。
そこでようやく匂いが鼻を擽り、否応なく、オダの腹は音を立てる。
「エビは食えるか?」
「な、んだよ、それは……? 何を考えているんだ……?」
「いや、単純にご飯の支給だけど? 飯を食わないと死ぬだろう?」
そう言いながら、ジッパはオダの目の前にビニール袋を置いた。中には温められたお弁当が入っているらしい。隙間から見るに、エビフライがメインとなる弁当のようだ。
「これしかなかったから、取り敢えず、これを買ってきたんだが、食えないなら、ここで俺が食う」
新手の拷問かと思いながらも、オダは腹に巣くった空腹を押しのけるため、ジッパの言葉を全力で否定するようにかぶりを振った。
「なら、ここに置いておく」
そう言ってから、ジッパの目がオダの手足に向けられる。これでは、真面に弁当も食べられないと、そこでジッパはようやく気づいたようだ。
「変な気は起こすなよ……と言っても、その足ではほとんど動けないか」
ジッパはオダの前までやってくると、そこで屈み込み、オダのボロボロになった足につけられた枷を外し、その次に手を縛っている枷へと手を伸ばす。それらを順に外し、ある程度の自由を保障してから、オダは床に置いた弁当を手で示してきた。
「ほら、食え」
その態度に、できればオダは殴りかかりたい気分だったが、ジッパの言うように、今のボロボロの足では、すぐに身を起こすことも困難だった。ジッパに殴りかかろうと起き上がっても、これではあまりに遅く、ジッパに簡単に避けられ、簡単にやり返されることだろう。
そうと分かれば、無駄な抵抗はするまい。オダは置かれた弁当に手を伸ばし、拾い上げる。
それから違和感に気づいて、オダは正面に立つジッパを見上げていた。
「待てよ……? 何で、飯を渡すんだ……? お前らは、俺をどうするつもりなんだ……?」
食事を与えるということは、つまり、オダを生かすつもりであるらしい。
自身の手で処罰するつもりはなく、酒鬼組に明け渡すつもりもない。その様子にオダは疑問を懐き、ジッパ達が――ヒマリ達が何を考えているのかと、その思考を考えようとした。
しかし、オダには何も思いつかない。
「さあ? ヒマリさんを殺そうとした前科もあるしなぁ……。まあ、一生、ここで暮らす覚悟くらいはした方がいいんじゃないか?」
「一、生……!?」
それは単純に考えて、殺されるよりも辛い罰のように思えた。この何もない空間で、一生、手足を縛られたまま生きるなど、オダは御免だった。
これは何とかしなければ、とオダが考える前で、ジッパはオダに背を向けるよう振り返り、背中越しにオダへ声をかけてくる。
「じゃあ、さっさと食えよ。じっとお前の飯を見ておく趣味とかないから」
その背中を見送り、再び扉が閉められると、オダは弁当に手を伸ばし、その中から一本のエビフライを掴んだ。レンジで温めているようで、少しまとわりつく温みを感じながら、口元に運ぶ。
空腹なこともあってか、非常に美味ではあるが、油が重い。一本、二本くらいならいいが、弁当には五本入っている。これら全てを食べるには時間がかかるだろう。
もう少しあっさりとした、鯖の塩焼きとかが良かったと思いながら、弁当に添えてあった割り箸を手に取り、本格的に弁当を食べ進めようとする。
その直前、ちょうど割り箸を割った瞬間、オダは思わず顔を上げていた。
音、と思いながら、オダはゆっくりと立ち上がると、痛みに耐えながら足を動かし、扉の方に近づいていた。
オダの聞き間違いでなければ、今は音がしなかった。そう思いながら、オダの手はゆっくりと扉に伸びる。
扉に触れる。力を入れる。僅かに手が動き、扉が開いたことを確認し、オダは抑え切れない感情を、小さな笑みとして零す。
カギを閉め忘れている。そのことに気づいたオダは、ゆっくりと音を立てないように扉を開け、部屋の外の様子を窺った。
外には誰もいない。そのことを確認してから、オダは傷だらけの足を引き摺るように、部屋の外に足を踏み出していく。
そこでようやく部屋だと思っていたものが、倉庫である事実を知りながら、オダは人のいない方に、誰にも見つからないように、必死に逃げ出していた。
解放されたわけではない。自力で逃げ出した。それがオダにとって非常に都合が良かった。
解放されたら、何かを話したと酒鬼組に悟られるが、自力で逃げ出したことを伝えれば、頑なに口を割らなかったと演出もできる。
まだ酒鬼組に居場所があるはずだ。
そのように思いながら、オダは誰にも見つからないように倉庫から離れていく。急がないとジッパが戻ってくるかもしれない。その危機感に襲われながら、オダは必死に痛む足を動かした。
倉庫から離れ、すぐには見つからない距離に来ても、気分は落ちつかない。取り敢えず、酒鬼組と何かしらの手段で連絡を取らないといけない。
そう思ったオダは記憶を思い返し、連絡を取る方法が何かなかったかと考えた。緊急時に連絡をつける手段があったはずだと思い、考えに考えた結果、オダは酒鬼組の事務所だった場所の近くまで足を運ぶことになる。
目的地は事務所ではない。そこに人がいないことくらいは分かっている。
オダの目的は、その事務所近くにある自販機の方だった。
自販機の前まで来ると、そこでオダは身を屈め、自販機の下に手を伸ばしていく。この裏にあったはずだと、自販機の底を探ると、そこに目的の物を発見し、オダはようやく少し安堵した。
そこから、その足で向かった先は駅だった。オダは迷うことなく、駅の中に入っていくと、切符を買うでもなく、改札に向かうでもなく、歩き回ってから、ようやく目的の場所で立ち止まる。
そこにはコインロッカーが並んでいた。
オダはポケットに手を突っ込み、自販機の下で見つけてきた物を取り出す。コインロッカーのカギだ。そこに書かれた番号と同じ番号のロッカーを探し、見つけるとオダは即座にカギを使って、そのロッカーを開けた。
その中には、少し小振りの鞄が一つ入っていた。