5-31.バースデーケーキ
「クソッタレがぁあああ!?」
肩を労るように押さえながら、スティンガーは力強く床を殴りつけた。目に入る物全てを壊しそうなほどに血走った目で周囲を見つめ、口の端から泡を飛ばしている。
「何だ、あいつはぁ!?」
「落ちつけ、スティンガー」
「うるせぇー!? 俺はな、痛めつけるのは好きだが、痛めつけられるのは大嫌いなんだよ!?」
穴が開くほどの勢いで壁を殴りつけながら、スティンガーはゆっくりと立ち上がる。血走った目を玄関の方に向け、リアリストはスティンガーが何を見つめているのかと疑問に思った。
「何を考えているんだ?」
「このままだと萎えて仕方がねぇ。溜まったストレスはしっかりと発散しないとなぁ!?」
そう言いながら、スティンガーが玄関の方に歩き出したことで、リアリストも慌てて立ち上がっていた。その先に何があるのか、リアリストはしっかりと覚えている。
「やめろ! その人は一般人だ!」
「関係あるか!? 第一、こいつは怪人を匿ってただろうが!? 何をしても、何をされても、全部正義の行いなんだよ!?」
嫌いだと言っていた言葉を振りかざし、スティンガーは片手から血を流しながら、ゆっくりと針を伸ばしていた。もう片方の手で針を掴み、きっと睨みつける眼下には、リアリストの力の影響で動けなくなったタテイシが転がっている。
「や、めろ……やめて、くれ……」
精一杯、唇を動かし、何とか懇願するように呟きながら、タテイシは両目に涙を溜めている。その姿を見下ろし、スティンガーは怒りのままに両目を見開く。
「やめろ? やめてくれ? お前は自分がどの立場にいるか分かっているのか!?」
「やめろ、スティンガー!?」
スティンガーが針を振り下ろそうとし、リアリストは制止するように叫びながら、慌てて玄関の方に駆け寄っていた。
そこで不意にスティンガーの動きが止まり、リアリストは急いで針を持っているスティンガーの腕を掴む。
「考え直したか?」
そう問いかけたことで、スティンガーの視線がタテイシから移り、部屋の外に広がるマンションの廊下に向けられていることにリアリストは気づいた。
「どうした? 何があった?」
スティンガーに問いかけながら、リアリストも視線を廊下の方に移し、そこをゆっくりと歩いてくる人影を発見する。その見覚えのある姿にリアリストが驚きで目を見開く隣で、スティンガーはそれまでに浮かべていた怒りを掻き消すように笑みを浮かべていた。
「おいおい、どうしたんだ? 俺に殺されに帰ってきたのか!?」
そう問いかけるスティンガーの言葉に、そこに現れたヒシナはかぶりを振った。
「僕はね。そもそも、君達に用があったんだ」
「用?」
「そう。少し自由に動いてしまったからね。これくらいしないと怒られてしまう」
「何を言っているんだ、お前は?」
「元から予定していたことなんだ。だから、手土産にはちょうどいい」
ヒシナの不可解な言葉にスティンガーは不快そうに眉を顰め、握った針を構えていた。
「何だか知らないが、お前も怪人なんだろう? そうじゃないと説明できないことが多いからな。どうせ、触れた物を温めるとか、そういう力なんだろう!?」
スティンガーが挑発的に質問を投げかけたことにリアリストは気づいていた。ここで返答を間違え、適当な嘘をつけば、それだけでヒシナは動けなくなる。我を失っているように見せて、意外と頭は冷静なのかと思いながら、リアリストはヒシナの言葉を待つ。
「ああ、君はそう思ったのか。まあ、確かにそう説明した人もいるね。でも、それは違うんだ」
ヒシナは小さくかぶりを振ってから、スティンガーではなく、リアリストの方に視線を向けて、両手を僅かに広げる。
「嘘がつけないからね。正直に話すよ。僕の力は熱を加えるものではなく、こうやって……」
ヒシナが広げた両手を見せつけるように掲げる。
そこに音を立てて、炎が生まれた。
「炎を自由に生み出す力なんだ」
ヒシナがそう話しても、倒れ込まないことを確認し、スティンガーはヒシナを睨みつける。
「本当みたいだが、それがどうしたんだ? 熱だろうと炎だろうと変わらないだろうが!?」
「そんなことないよ。君は気づいていないのかな?」
「ああ、何がだぁ!?」
「君を拘束している最中、僕はいつでも自由に君を殺せたということだよ」
ヒシナのその発言を聞いて、スティンガーの目が大きく開かれ、リアリストはスティンガーの頭に残っていた冷静さが吹き飛んだことを察した。
「なら、やってみろよ!?」
握った針を掲げながら、スティンガーはまっすぐヒシナの方へと突っ込んでいく。その姿にヒシナは微笑み、炎をまとった両手を構えるように動かした。
「ああ、君は本当に御しやすいね」
そう嬉しそうに呟きながら、ヒシナは振り下ろされた針に炎を点していた。
◇ ◆ ◇ ◆
ノックを合図に扉を開けると、そこには一人の女性が立っていた。ずれた眼鏡を直しながら、女性はゆっくりと頭を下げてくる。
「初めまして、私はアイアンレディと呼ばれている超人です」
「ど、どうも……好川那月です……」
「ええ、もちろん、伺っております。こちらについてきていただけますか?」
そう言って歩き始めたアイアンレディを追いかけるように、ヨシカワは薄暗い廊下を歩き始めた。この場所に連れてこられてから、言われるままに部屋で過ごしてきたが、ついに外へと連れ出されたことで、何があるのかとヨシカワは強く戸惑っていた。
「この部屋です」
アイアンレディは不意に立ち止まり、一つの扉を手で示してから、その中に入っていった。ヨシカワもそれに続いて、扉の奥へと足を進めると、そこには見知らぬ女性が一人、ヨシカワ達を待っているように立っていた。
そこで待っていた女性が挨拶代わりに小さく会釈をしてくる。それを見たヨシカワも会釈し返していると、アイアンレディがそこに立つ女性の隣を手で示し、ヨシカワの方を見てきた。
「二人をお呼びした理由を説明いたします。そこにお座りください」
言われるまま、ヨシカワは女性の隣に移動し、そこで二人は置かれていた椅子に揃って腰かける。
「では、まずはおめでとうございます。無事にお二人は改造手術を受け終え、この度、晴れて超人になられたことをご報告します」
手を叩くアイアンレディを前にして、ヨシカワとその隣に座る女性は複雑そうな顔をしていた。別に改造手術を受けたくて受けたわけではない。
ヨシカワはタテイシに命じられたことを拷問の末に聞き出され、その拷問で死にかけたことによって、無理矢理に改造手術を受けることになったのだ。
望んでなったわけではないのに、超人になったことを祝われても、素直に喜べるはずがない。
「つきましては早速、お二人に超人としての初仕事を与えます」
「いきなり、ですか? それもその……超人になったばかりの私達二人で?」
「はい。貴女達二人が最適だと判断され、今回の仕事が決定しました」
「それは一体、どのような仕事なのですか?」
ヨシカワの隣に座る女性がそう聞くと、アイアンレディは一枚の写真を差し出してきた。その写真を見たヨシカワとその隣に座る女性は同時に表情を曇らせる。
「この怪人を捕まえてください。生死は問いません。それがお二人に与えられた仕事です」
「か、いじん……?」
「ああ、貴女は知りませんでしたか? その人は怪人です」
そうあっけらかんと言われたことにヨシカワは驚きながら、差し出された写真を再び見ていた。
そこに写っていた人物はヨシカワが個人的な恨みから殺害したはずのヒノエだった。
「今回の仕事が無事に完遂されれば、お二人の要望は叶えられるそうです」
「それは……!? 本当ですか……?」
アイアンレディの言葉にヨシカワの隣に座る女性は思わず前のめりになっていた。それほどまでに叶えたい要望があるのだろう。
「もちろん、嘘はつきません」
そうアイアンレディが断言したことで、ヨシカワの隣に座る女性は覚悟を決めたように拳をぎゅっと握っていた。ヨシカワも同じように叶えたい要望があるので、この話を断るつもりはない。
「では、ここからはお二人にお任せします。どうか、御健闘をお祈りします」
アイアンレディは深々と頭を下げて、部屋を後にしていた。その姿を見送ってから、隣に座る女性がヨシカワに声をかけてくる。
「あの、初めまして。これから、よろしくお願いします」
「ああ、はい、初めまして……好川那月です……よろしくお願いします」
「ああ、そうだ、名前」
名乗っていなかったと気づいたのか、隣に座る女性が慌てたように口を押さえてから、ヨシカワに向かって会釈してくる。
「丸井桃子です。よろしくお願いします」
そう言って、マルイはやや曇った笑みを浮かべた。