1-16.ローストダック
「いやはや、何ともめでたい。こういう朝にはワインでも開けようか。君達も飲むかい?」
ダイニングテーブルについたミトとソラを前にして、恐怖さんがとても嬉しそうにそう言った。
昨日よりも明らかにテンションが高く、これから飲むようだが、既に酔っ払っているようだ。
「旦那様、彼らはまだ未成年です」
「おお、そうだった。これは失敬。私が一人で楽しむとしようか」
今日もまた、扉前で待機するサラさんに注意され、恐怖さんは笑い声を上げながら、自身の分のワイングラスを要求した。
サラさんが言われた通りにワイングラスを持ってくると、早速、そこに赤ワインを注いで、恐怖さんは掲げるようにグラスを持ち上げる。
「さあ、乾杯と行こうか」
そう言われ、ソラがコーヒーカップを手に持つ隣で、ミトは終始テンションの高い恐怖さんに戸惑ったままだった。
「あの、その前に……今日は何かあるんですか?」
誰かの誕生日か何かなのかと思い、そう訊ねたミトに対して、恐怖さんとソラが同じく、きょとんとした顔をしている。まるでミトが的外れなことを言ったようだ。
そう思っていたら、当然のように恐怖さんはミトを指差してきた。
「いやいや、何を言っているのかね?もちろん、君の怪人組合への加入を祝っているんじゃないか」
恐怖さんがニンマリと口元に笑みを浮かべ、ミトは驚きながら自分の顔を指差す。
見れば、ソラも優しく微笑みながら、ミトの視線に首肯する。
「新しい仲間を歓迎しないわけがない!ほら、ご馳走も用意したから、好きなだけ食べてくれたまえ」
そう言われ、ミトはダイニングテーブルの上に目を向ける。
そこにはこの前と同じように肉が置かれているのが、今回も何の肉か分からない上に、今回はローストされているようだ。
大丈夫なのかと不安に思うミトの隣で、ソラは気にすることなく、フォークを肉に突き刺して、口に運んでいる。
「ですが、僕はあまり歓迎されていないようです……」
ミトはダイニングルームを訪れる前に起きた出来事を思い返し、フォークやナイフに手を伸ばすことなく、そう告げた。
ハヤセを殺したミトを恨む少年に、ミトが使えなければ殺すと宣言した姉妹がいた。
あれはとてもじゃないが、歓迎しているようには思えない。
目の前に座る恐怖さんも、ハヤセを殺害した後に言っていたことを思い返せば、本当はどのように思っているか分かったものではない。
今は歓迎してくれているが、その歓迎がどこまで続くのか、それはきっとミトの実力次第だ。
そう考えるミトの隣で、不思議そうにする恐怖さんにソラが説明し始めた。
「さっきヤックンに襲われたんだよ」
「ああ、ヤクノくんか。まあ、そうなるだろうね」
恐怖さんはソラの説明に納得し、あっけらかんと言ってのけると、何てことはないようにワイングラスに口をつけている。
「分かってたんですか?」
「ああ、まあね。君を襲った厄野百足くんはハヤセくんに連れられ、怪人組合に入った子だからね。ハヤセくんを恩人として慕っていたんだよ」
どういう経緯があったのか、そこまで説明されていないから分からないが、怪人となったことを考えれば、怪人組合との合流は救いだったのかもしれない。
自分を助けた恩人がいて、その人が殺されたとなれば、その相手を恨むことは当然だろう。
ヤクノという少年の恨みに、再び強く納得すると共に、ミトはこの場所にいてもいいのかという疑問を懐き始めていた。
ここの人にとって、自分は恨みの対象になっても、仲間にはなり得ない。
そう思った。
「まあ、深く悩まないでくれたまえ。ハヤセくんの一件は不可抗力だ。促した私が恨まれることはあっても、君には関係のないことだよ。常に警戒する必要は生まれるかもしれないが、気にしないでくれたまえ」
恐怖さんは非常に軽く言っているが、ヤクノの恨みもミトの罪も、とても軽い話ではない。
気にするなと言われても気にしてしまう。一生抱えていくような問題だ。
ヤクノの恨みも、本当は受け止めた方がいいのではないかと考えてしまう。
「しかし、襲われて無事だったのかい?ヤクノくんも殺したのかね?」
「いや、違っ……!?」
思わず動揺したミトの隣で、ソラが冷静にかぶりを振った。
「ヒメノとヒナ姉が助けてくれた」
「ほう、彼女達が。ということは、既にミトくんは屋敷の住人のほとんどと逢ったということか……」
「屋敷の住人……」
動揺していたミトだが、恐怖さんがぽつりと呟いたその言葉が気になり、思わず繰り返していた。
「ああ、君には話してなかったかね?この屋敷には君やソラと同じ怪人が住んでいるんだよ」
恐怖さんが手に持っていたフォークを置いて、指を折りながら数えるように言っていく。
「私にソラ、ハヤセくん、ヤクノくん、ヒメノさん、ヒナコさんの六人……いや、ハヤセくんは死んだから、五人にはもう逢っているのかな?となれば、逢っていないのは後一人だけだね」
後一人。まだミトの知らない怪人が屋敷の中にいるらしい。
それを知ったミトがその一人に若干興味を持ったが、恐怖さんはフォークを手に取って、ローストされた肉を口に運びながら、少し残念なことを呟いた。
「まあ、彼とはまだしばらく逢えないだろうね。気長に待つといいさ。生きていれば逢えるだろう」
恐怖さんの不穏な表現に戸惑いながら、ミトは屋敷に住む怪人のことを考えていた。
それら全ては恐怖さんに勧誘され、怪人組合に入った面々だろう。少なくとも、ソラはそうであることが分かっている。
その怪人組合に入って、これからミトは何をするのかと、ふと湧いてきた疑問にミトはさっき聞いた姉妹の言葉を思い出した。
働いてもらう。仕事。
姉妹は明確にそう発言していたはずだ。
「あの……」
そのことを思い出したミトが声を出し、恐怖さんに質問する。
「仕事って何ですか?怪人に仕事があるんですか?」
その問いに恐怖さんはナプキンで口元を拭いながら、首肯した。
「もちろん。怪人組合の一員となった怪人には、そのための仕事を与えられるよ。君にもあるだろうから。その時は頑張ってくれたまえ。君はハヤセくんを殺し、初めて逢った超人を退けた逸材だからね。期待しているよ」
口元にニンマリとした笑みを浮かべながら、重々しいプレッシャーを与えてくる恐怖さんに、ミトは苦々しい顔しかできなかった。
仕事の内容は分からないが、ここまでの期待に応えられる気がしない。
そう思っていたら、隣でじっとミトを見つめるソラの視線に気づいた。
「ど、どうかした?」
ミトが戸惑いながら聞くと、ソラはぎゅっと拳を握って、ミトを応援するように言ってくる。
「ハルなら大丈夫。自信を持って」
そう言われ、今度はさっきと違って苦笑する。
ソラの期待は陽だまりのように優しく温かなものだったが、その期待にも応えられるか分からないミトは、ヤクノのことも合わせて、不安な気持ちを抱えるだけ抱え、朝食を終えることになった。
結局、皿の上に乗ったローストされた肉は何の肉か分からず、ミトは手をつけられなかった。