5-29.リアリストとスティンガー
アズマヤの微笑みとは対照的にヒノエはとことん戸惑った表情を浮かべていた。
「えっ……? どうして、ここに……?」
湧いてきた疑問を消化しないことには始まらないと言いたげなヒノエではあるが、その疑問に悠長に答えていられるほど、状況は穏やかではない。
ヒノエを助けるためにヒシナから離れ、リアリストとスティンガーがすぐ傍に立つ中、アズマヤはヒノエの言葉を聞きながらも、視線はリアリストとスティンガーに向けていた。
「詳しい説明は後でします。今は何とか、ここから脱出しないと」
アズマヤが真剣な口調でそう告げたことで、ヒノエも戸惑い以上の状況を察したのか、疑問の眼差しを残しながらも、納得するように頷いていた。
「良くここが分かったね。どうやって調べたんだい? まさか、悪いことをやったとか?」
小銭の熱さからスティンガーが回復するまで、時間稼ぎのようにリアリストは口を開いていた。アズマヤとヒシナを警戒するように交互に見つめながら、それぞれに質問してくるが、アズマヤもヒシナも何も答えようとしていない。
「ところで怪我は大丈夫なのかな? 刺されたと聞いたけど?」
どこで知ったのか、アズマヤの方を見ながら、背中の様子を覗き見るような仕草を見せてくる。その言葉と仕草にアズマヤは一瞬、動揺しそうになるが、何とか口を開くことなく、リアリストの言葉を無視できていた。
しかし、ヒノエはその限りではない様子だった。
「怪我……?」
怪訝げに呟いてから、ヒノエはアズマヤの背中を確認するように覗き込み、アズマヤの方に不安そうな目を向けてくる。
「怪我をしたのですか?」
そう問いかけられたことでアズマヤは口を開きそうになるが、開きかけた唇を途中で止めて、アズマヤは人差し指をヒノエの口に当てていた。その動きにヒノエは少しきょとんとしてから、照れるようにアズマヤから離れようとする。
「な、な、何を……!?」
その動きを無理矢理に止めて、ヒノエを自身の近くまで引き寄せてから、今度は自身の唇に人差し指を当て、アズマヤはリアリストに目を向けていた。
「喋らないでください。相手の思う壺です」
「……どういう……ことですか?」
一人事情を知らないヒノエが戸惑ったように声を出し、眉を顰めながら、発言の真意をアズマヤに問いかけてくる中、リアリストの言葉を黙って聞いていたヒシナがようやく口を開く。
「言っておくけど、貴女の力の弱点はもう分かってるから」
「弱点……?」
「目の前で嘘をついた相手を動けなくする。効果は約十二時間。凄く強力だけど、嘘をつくという前提がある以上、喋る相手にしか効果はない。黙っちゃえば、超人もただの人だね」
ヒシナからの指摘にリアリストは不快そうに眉を顰めるばかりで、言い返そうとする様子が全く見えなかった。恐らく、ヒシナの予想は的中したのだろう。アズマヤにもそう分かる様子を見せるリアリストの隣で、スティンガーがゆっくりと身を起こしていた。
「おい、もうお前は下がってろ。そいつは俺が甚振りに甚振って、懇願するまで追い込んでから殺してやる……!?」
心の底からの憎悪を剥き出しにしながら、スティンガーは掌から針を貫通させていた。針が皮膚を突き破って飛び出し、そこから床の上に血が滴り落ちている。
「ああぁ、クソがぁ……!? 熱さとか、痛さとか、本当に鬱陶しいなぁ!? こういうのは相手が苦しんでいるのを見るから興奮するのによ!?」
そう叫びながら、スティンガーはヒシナに飛びかかるように迫っていた。掌から針を生み出しながら、まだ抜く前の針ごと片手を振り下ろしていく。
その動きに身構えていたヒシナはスティンガーが迫ってくると同時に一歩下がり、スティンガーの腕の間合いの外に出ていた。
「はい、避けたぁ!?」
その一瞬を狙って、スティンガーは自身の手から針を無理矢理に引き抜きながら、その針をそのままヒシナに突き出していく。移動したばかりのヒシナはその攻撃を避けられる体勢にいない。
そうスティンガーが思ったらしく攻撃を仕掛けたように、その光景を眺めていたアズマヤも同様に考え、思わず声を上げかけていた。
そこでヒシナは即座にスティンガーの腕を払うように手を伸ばし、もう片方の手でスティンガーの襟元を掴んでいた。
「ああぁ……?」
理解が追いついていない様子のスティンガーがそのように声を漏らした直後、ヒシナはスティンガーの襟元を一気に引っ張り、スティンガーの体勢を大きく崩していた。
「おおぅ……!?」
その隙を狙うようにヒシナは身体を突き出し、スティンガーの身体を無理矢理、壁に押しつけるように拘束する。
「な、にしやがるんだぁ……!?」
必死に叫ぶスティンガーの声を聞き流しながら、ヒシナは最初に針を持ったスティンガーの腕を払った方の手で、スティンガーの腕を無理矢理、背中側に引っ張り、そこで固めるように持ち上げていた。
「いてぇ……!?」
そう叫んだスティンガーの腕から、持ち切れなくなった針が落ちて、床の上を僅かに跳ねる。その様子を確認してから、ヒシナはアズマヤの方に目線を向けてきた。
逃げるなら、今しかない。そう言っているのだと分かったアズマヤがヒノエを連れて立ち上がろうとする。
そこでリアリストがアズマヤとヒノエの前に立ち塞がった。
「言っておくが、君達をここで逃がすわけにはいかない」
そう言ったリアリストを正面に見据えながら、アズマヤはヒノエの冷たい手をぎゅっと握り締めて、小さくヒノエにだけ聞こえる声を漏らす。
「俺が道を開けますから、ヒノエさんはまっすぐ逃げてください」
「えっ……?」
その言葉に対するヒノエの返事を聞くことなく、アズマヤはリアリストの前に一歩踏み出し、口を開いていた。
「うちの親を助けていただいて、ありがとうございました!」
「……はあ? 君は何を言っているんだい?」
「あの時は御礼を言う状況でも、言える状況でもなかったので」
「今も違うと思うけど?」
「かもしれませんが、また逢えるかは分からないので……!」
そう言いながら、アズマヤはリアリストに飛びかかっていた。不意に近づいてきたアズマヤを制するようにリアリストは手を伸ばし、アズマヤの腕を掴んでくるが、アズマヤはその手を無理矢理に押し返して、リアリストを壁際に追い込んでいく。
これによって部屋の奥から玄関の方まで、完全なスペースが生まれていた。
「ヒノエさん!」
そこでアズマヤが声を上げ、ヒノエは我に返ったようにハッとしていた。アズマヤとヒシナが道を作っていることを理解したのか、何か言いたそうな顔をしながらも、二人の隙間を通って、ヒノエは部屋の外に出ていく。
「お、い……!? にげる、なぁ……!? あのおとこが、どうなっても、いいのかぁ……!?」
苦しみながらもスティンガーがそう声を上げて、ヒノエは思わず足を止めていた。そのことに気づいたヒシナが微笑みかけ、優しくヒノエの背中を押すように一言呟く。
「大丈夫、行って」
初対面であるヒシナからのその言葉にヒノエは戸惑った表情を見せながらも、アズマヤの頑張りに答えるように、玄関の方に向かっていた。
その背中を見送ってから、ヒシナはスティンガーの背中に目を向ける。
「あの男がヨースケくんを指すのか、玄関で倒れていた男を指すのか知らないけど、ヨースケくんだとしたら、君達に何かをさせるつもりはないし、倒れていた男なら、彼女がわざわざ自分を犠牲にするほどの相手ではないと思うよ」
「うる、さい……!? だまれ……!?」
そう呟くスティンガーにヒシナは呆れた顔を浮かべて、アズマヤの方に目を向ける。
そこではリアリストがアズマヤを追い払うために腕を掴み、その身体を押しのけようとしていた。
その瞬間、アズマヤは全く回復していなかった昨日の傷が大きく刺激され、痛みに顔を歪めることになった。口から苦しむような声を漏らし、リアリストを追い込むために入れていた力が僅かに抜ける。
だが、その隙が生まれても、アズマヤは押しのけられることがなかった。リアリストは苦しむアズマヤに戸惑うような表情を見せて、思わず力を緩めている。
「ヨースケくん!」
その一瞬にヒシナが声をかけ、アズマヤの方に身体を少し向けてきたことで、アズマヤはヒシナが何をしようとしているのか察し、咄嗟にリアリストから距離を離していた。
そこにヒシナが拘束していたスティンガーを投げ込み、よろめきながら、ゆっくりと倒れ込んでいくスティンガーの身体がリアリストと正面からぶつかった。
二人は同時に体勢を崩して、その場に倒れ込み、身体の内側の変なところから苦しそうな音を発している。
「ヨースケくん!」
そこで導くようにヒシナが声を上げ、アズマヤは痛む身体を無理矢理に起こして、ヒシナの方に駆け寄っていた。
二人はそのままリビングを出て、タテイシの家を後にするために玄関の方に向かう。
そこで転がるタテイシにヒノエが屈んで、何かを話しているように見えた。そのことに気づいたアズマヤが何を話しているのだろうと疑問を懐いた直後、ヒノエの視線がアズマヤとヒシナの方に向いて、花が開くような明るい笑みを浮かべる。
「行くよ!」
そこにヒシナが声をかけ、アズマヤ達三人は一斉に走り出していた。追いかけてくる存在もないまま、ひたすらに駆け抜け始めて、気づいた時には、ヒノエがアズマヤの手を握り締めていた。