1-15.怪人上級生
「ヤックン!危ない!」
急に死角から飛び出し、ミトに向かって拳を振るってきた少年を睨みつけ、ソラが抗議するようにそう言った。いつもより少し強く張られた声はソラの怒りを感じさせるものだ。
その声を当てられても、少年は気にする素振りもなく、ミトをひたすらに睨みつけていた。
ミトはどのような顔をしたらいいかも分からず、ただ困惑した様子で見つめ返すことしかできない。
「ソラ、退け!そいつは俺が殺す!」
「えっ?えっ!?何!?殺すって何で!?」
明確に向けられた殺意にミトが戸惑い、あたふたすると、少年の視線が更に鋭さを増した。
「何で、だぁ?ふざけるな!?お前は自分がやったことを忘れたのか!?」
その叫びと共に少年が勢い良く拳を振るい、ミトは慌てて後ろに下がった。
ミトを庇うようにくっついていたソラが不意なミトの動きに体勢を崩し、倒れ込むようにミトから離れる。
その隙を狙うように、少年は更にミトに詰め寄ってきた。拳を強く握り締めながら、ミトに怒鳴るように言ってくる。
「お前がハヤセさんを殺したんだろうが!?」
その一言を聞いた瞬間、ミトの思考は停止し、屋敷で目覚めた直後の出来事を思い出した。
そこで帰るための条件を提示され、ミトはハヤセという怪人と戦うことになり、そして、不可抗力とはいえ、結果的に殺害した。
その恨みを向けられていると分かり、動揺したミトは動けなかった。
「危ない!」
少年の拳がミトにぶつかる直前、ソラが必死に身体を動かし、少年にぶつかったことで、少年の狙いがミトから逸れて、拳が屋敷の壁に激突する。
かと思えば、少年の拳は容易く壁を破壊し、そこに減り込んでいた。
「えっ……?」
その威力に恐怖し、ミトは思わず後退る。
あの拳で殴られたら、ミトは確実に殺されるだろう。少年の殺意は冗談ではないようだ。
「邪魔だ、ソラ!」
そう言いながら、少年は簡単にソラの首根っこを掴んで、廊下の中央に放り投げてから、再びミトを見てきた。
今の力も到底、人とは思えない力だが、ここにミトがいることを考えれば、少年の正体も自ずと分かってくる。
この少年も怪人で、その圧倒的な力でミトを殺そうとしている。
その姿を前にし、ミトは逃げることや抵抗することよりも先に、殺されても仕方ないと思う気持ちがあった。
何故なら、ミトはハヤセを殺したのだから。それを理由に殺されても、ミトに言える文句はない。
「死ね!」
そう叫びながら、少年が拳を振るう様子をただ見つめて、ミトは拳を受け入れようとした。
「逃げて……!」
ソラの悲痛な叫びも、今のミトは聞こえない振りをしようとする。
そして、少年の拳がミトに直撃する、という直前のことだった。
不意にミトの前で少年の身体がくるりと一回転し、宙を舞った。
そうかと思えば、ミトの身体は勢い良く背後に引かれ、抵抗する暇もなく、背中を壁に打ちつける。
「はい、そこまで」
独特なアクセントの女性の声が耳に届いて、そこでミトは自身と少年の近くに一人ずつ、計二人の女性がいることに気づいた。
少年の近くにいる女性は頭の上から肩に向かって垂れたツインテールを揺らしながら、少年を地面に組み伏せ、その上に座っていた。
ミトの近くに立った女性はミトの前に腕を伸ばし、拘束というよりも保護してくれているように見えた。
こちらの女性は少年の上に座る女性と違って髪型をボブにしているが、その雰囲気はどことなく、少年の上に座る女性と似ている。
そう思ってから、ミトは二人が恐らく、姉妹ではないのかと思った。
「ヒメノさん!?そこを退いてください!?」
少年は自身の上に座る女性に向かって、必死にそう抗議していた。
あの力なら簡単に抜け出せそうだと思ったが、どうやら、うまく力を発揮できない押さえ方をされているらしい。
抵抗しようとする少年を軽々と押さえ、ヒメノと呼ばれた女性は小さくかぶりを振る。
「あかんに決まっとるやろうが。何、屋敷の中で血腥い事件を起こそうとしとんねん」
「だって、そいつはハヤセさんを殺したんですよ!?」
当然のことだと言わんばかりに少年は口にし、その言葉にミトは動揺した。
確かにそうだ。自分はハヤセを殺したことで、殺されても文句を言えないようになっている。
この二人も今は少年を止めているが、すぐにミトに恨みを向けてくるかもしれない。
そう考えたミトが身構えようとした直後、ミトの近くに立つ女性がミトを冷ややかな目で見つめ、少年に一言言った。
「だからや」
「えっ……?」
ミトが女性の目に困惑し、思わず離れかけた瞬間、女性がミトの襟元を掴んで、近くに引き寄せてきた。女性の顔がミトの顔に一気に迫ってきて、ミトは緊迫感から呼吸すらできなくなる。
「ハヤセさんがおらんようになって、私ら大変やねん。この子にはその穴埋めをしてもらわんと。ボロボロのボロ雑巾みたいになるまで、血反吐を吐いてでも働いてもらわんと、ボケに生きる価値はないしなぁ!……おっと、失礼。汚い言葉が出てしもた」
冷たさで刺さりそうなほどの視線を向けたまま、一瞬、語気を強めた女性の言葉にミトは固まった。
言い過ぎたと言わんばかりに口元を手で押さえ、清らかな振る舞いをしようとしているが、一瞬見せた威圧感は誤魔化せていない。
「姉貴の言うとおりや。ここで殺すのはなし。お前がどれだけ恨んどっても、あのアホは怪人として生かす。それで使えるだけ使う。穴埋めできるかどうかやなくて、やってもらう。分かったら、アホなことせんで、次の仕事のために部屋で身体でも鍛えとけ、ボケェ!」
ミトの近くに立つ女性と違って、何一つ取り繕うことも、隠すこともなく、唾でも吐きかけるように少年の上に座る女性が少年に言い捨てた。
少年の表情は未だ納得のいっていないものだが、女性達に逆らうことができないのか、小さく首肯している。
「ほな、行こか。ミトくんやったっけ?期待しとるからな。使えんかったら殺すで」
少年を立ち上がらせながら、ツインテールの女性がミトを一瞥し、軽い口調でそう言った。
その一言に震えるミトの前で、ミトの近くに立っていたボブヘアーの女性が振り返り、小さく微笑みを浮かべる。
「安心しい。さっきはああ言ったけど、私はそこまで恨んではない。ハヤセさんが死んだことは痛手やけど、怪人が死ぬことは良くあることやからな。ただ……」
そう言いながら、再びミトに顔を近づけ、女性は耳元で囁くように口にする。
「使えん怪人はいらん。それだけや」
感情の読み取れない冷めた口調で言った一言を聞いて、ミトの表情は強張った。
全身がガチガチになって、動くことすら儘ならないミトに、ツインテールの女性が手を振りながら、三人はその場を後にする。
最後、少年がツインテールの女性に連れられたまま、ミトの方を鋭く睨みつけてきたが、そのことが気にならないほど、二人の女性が残した言葉は重く、ミトの背中に伸しかかった。
「大丈夫だった?」
そう声をかけながら、近づいてくるソラを見て、ミトはさっきの言葉を思い出す。
そういえば、ソラは今の今までミトを恨んでいる様子を見せたことがないが、ミトがハヤセを殺してしまったことをどう思っているのだろうか。
ふと疑問に思ったことを口にしようかと、ミトは唇を動かしかけたが、その言葉は声になることなく、ミトの中に消えていった。
怖い。聞くことが怖い。
ミトはふと湧いてきた感情に支配され、何も言えなくなった自分を情けなく思う一方、聞かないことでそこにいてくれることが確定するソラの存在に、どこかほっとしている部分もあった。