5-19.不安材料
タテイシの家を訪れることになり、迎えた夜のこと。ヒノエはタテイシの提案と、何より、本人の気分の問題もあって、タテイシの家で風呂に入ることになっていた。
タテイシからの好意は自覚も何も、直接的に本人から聞いたことがある。家を訪れたという時点で、何かをされる可能性は考えていた。それでも、仕方がないと諦めている節があり、ヒノエはどこで何をされようとしても、それを受け入れる姿勢ではあった。
とはいえ、本能的な警戒は避けられず、風呂に入ることを決めてからも、どこかでタテイシが来ることを考えては身構えているところがあった。
しかし、結論から言ってしまえば、タテイシは姿を見せることなく、ヒノエは風呂から上がっていた。
そのことに安堵する気持ちが自分の中に生まれ、どうして安堵したのかと自分自身に問いかける。そうなるかもしれないと分かっていながら、この家に来たはずだ。タテイシがどこでどのように動いたとしても、それを咎める権利は今のヒノエにはない。
それが何もなかったことに安堵している自分がいる。その矛盾にヒノエの心はざわつく。
自分は何を思い、どのように考えているのか、分かっているはずのことが分からなくなってきて、ヒノエはやや表情を曇らせながら、ゆっくりとした足取りでリビングに戻ろうとした。
そこでリビングの方からタテイシの話し声が聞こえてくる。誰かと話している様子だが、当然のように家の中にはヒノエとタテイシしかない。
それでは誰と話しているのだろうかと不思議に思いながら、リビングを覗き込んでみると、そこではタテイシが誰かと通話中の様子だった。
電話の最中だったのかと納得しながら、ヒノエがリビングに入ろうとしたところで、タテイシの口が激しく開かれる。
「だから! いいから、やれよ。分かってるんだろう? 必死で探せ。俺はできる奴が好きなんだよ」
電話の相手に激しく命令する様子のタテイシを目にして、ヒノエは酷く戸惑った。これまでヒノエと接してきたタテイシとは明らかに違った様子だ。
「それができるまで、もう連絡してくるな。用件があるなら、こっちから連絡する。分かったな? ちゃんとできたら、考えてやる。いいな?」
それまでに比べて、やや優しい口調に変えながらも、命令している様子は変わらないタテイシの姿に、ヒノエはどう思えばいいのかと頭を悩ませた。
相手が誰なのかも、その内容も詳しくは分からないが、それらの姿はあまり良い印象には見えない。何かあることは明白だが、タテイシのプライベートに関わることなら、そこにヒノエが踏み込むべきではないだろう。
そう思いながら、ヒノエは僅かに戻り、タテイシが電話を切ってから、しばらくしたタイミングで、リビングに戻っていく。
「お帰り。どう? ゆっくりできた?」
「は、はい。おかげ様で」
「それは良かった」
そう言いながら、微笑むタテイシの印象はやはり電話中だったさっきとは違ったもので、ヒノエの心に小さなモヤモヤが生まれ始めていた。
◇ ◆ ◇ ◆
アズマヤがようやく完全と言えるほどに身体を動かせるようになったのは、倒れてから約十二時間が経過した夜のことだった。
公園から少しずつ場所を移し、最終的に落ちついた場所は駅から離れた郊外の方にある古びたラブホテルの一室だった。そこでアズマヤが動けるようになったことを確認したヒシナが現在時刻を見て、納得したように頷く。
「効果は十二時間くらいだね。結構強力だけど、弱点もはっきりしているから、そこは御相子かな?」
「これから、どうしたらいいんでしょうか?」
「取り敢えず、もう家には帰らない方がいいかもしれない。というよりも、帰れないと思った方がいいね」
そう言われたことで、アズマヤはスティンガーに攻撃された父親のことを思い出し、不意に不安な気持ちに襲われる。
「もしかして、俺がここにいることで、親が人質に取られるとかないですか? 俺が超人の元に行かないと、親がどんな目に遭うか分からないとか」
「ああ、その可能性なら大丈夫だと思うよ。僕と君が知り合いであることは伝わらないように助けたし、そもそも、こちら側との連絡手段がないからね。何かしらの媒体を使って、超人が大々的に人質を取っているとは言わないと思うし、君が近寄らなければ巻き込むことはないかな」
ヒシナのその説明を受けて、アズマヤはそうかと安堵していた。あの時のヒシナの振る舞いはアズマヤも違和感を覚えるものだったが、それはアズマヤの両親のことも考えての行動だったのかと、今更ながらに納得する。
「けど、どちらかと言えば、そのヒノエさんの方が危険かもしれないね」
「えっ?」
「君と繋がっていたことが分かった以上、超人は君の行動を洗うだろうから、そこから、ヒノエさんの居場所が特定されるかもしれない。どこにいるかは分からないんだよね?」
大学近くでヒノエと別れてから、ヒノエが今に至るまで、どうしているかは全く分かっていない。ヒノエの行く先に関しても、アズマヤの思いつく場所はほとんどない。
「超人はヒノエさんを見つけると思いますか?」
「どこに潜んでいるかは分からないけど、これまでの行動から目撃情報等を追って、近くに迫ることはできると思う。そこから細かく特定できるかどうかはヒノエさんの行動次第だけど、超人が本気で動けば難しくはないはずだね」
「なら、助けにいかないと」
そう考えるアズマヤだったが、その考えはヒノエの居場所の特定の難しさと、立ち去るヒノエを引き止められなかった経験から、すぐに小さく萎んでしまう。
その様子を見たヒシナが小さく微笑んでから、少し考えるように手を顎に当てていた。
「君の話から思ったこととしては、そのヒノエさんは今も大学付近にいる可能性がないかな?」
「えっ? それはどうして?」
「ヒノエさんは自分が事故に遭う原因となった女性に攻撃しようとして、君のことを巻き込んでしまったことに罪悪感を覚えて、君から離れることを選んだ。それで間違いないよね?」
ヒシナの問いにアズマヤは顔にできた傷を触りながら、首肯する。
「それはつまり、その女性に対する攻撃の意思はあるけど、君がいたから止まったということだと思うんだよ。でも、君から離れ、君というストッパーがなくなった今、ヒノエさんは自由に行動できる。できてしまうと言えるね」
「ということは、ヒノエさんはあの人に復讐しようとすると?」
「可能性はあると思うんだ」
「それは……」
ないと言い切りたい気持ちは強かったが、あの時のヒノエの様子を思い出せば、それも全くないとは言い切れないとアズマヤは思った。それほどまでにあの時のヒノエの憎悪は強く見えた。
「君も大学付近にいた以上、超人もそこには近づくと思うから、もしもヒノエさんが想像通りに女性を襲おうと考えているとしたら、超人に見つかる可能性は高くなる」
「……行かないと!」
リアリストとスティンガーという二人の超人に見つからないように、ヒノエを助けないといけない。その気持ちもあるが、それと一緒くらいの気持ちで、アズマヤはヒノエがもしも想像通りにあの女性を襲おうとするなら、それも止めないといけないと考えていた。
怪人となった原因がそこにあったとして、それで最愛の母の死に目に逢えなかったとして、それを理由に誰かを傷つけることを選んだら、それはきっとヒノエの母も悲しむだろう。
何より、アズマヤ自身がヒノエにそのようなことをして欲しくはないと思っている。
「なら、日が明けたら、大学の方に行ってみようか」
「ヒシナさんもついてきてくれるんですか?」
「乗りかかった船だしね。それに僕は僕で、ちょっとした野暮用もあるんだ」
こうして、アズマヤはヒシナの協力の元、再びヒノエと逢うために探しに行くことが決定するのだった。