5-17.アウトサイダー
柔らかく微笑みながらも、唐突に話しかけてきたヒシナを前にして、スティンガーは分かりやすく表情を険しいものに変えていた。怒りを感じさせる表情に、家の中で起きたことを思い出したアズマヤはヒシナを止めようと思うが、全身を襲う痺れと抱えられた姿勢から、うまく声を出せず、口からは乾いた呼吸音が飛び出るだけだ。
「聞きたいこと?」
ヒシナの問いかけに繰り返すスティンガーの様子から、家の中で起きたことが再び起きるかもしれないと察したのかもしれない。アズマヤを抱えていたリアリストがさっとヒシナとスティンガーの間に割って入って、スティンガーを制するように視線を向けている。
「どうしたのだろうか? 私が聞くよ?」
「では、お聞きするのですが……」
そう言いつつ、ヒシナの視線がアズマヤの方を向いた。アズマヤはその視線に答えようと何とか声を出そうとするが、どれだけ頑張っても息の音が強くなるだけで声にならない。
「その人はどうされたんですか? 一体、どういう状況なんだろうと思って」
そこでヒシナがリアリストにそう質問していた。その言葉を聞いたアズマヤがヒシナの質問に含まれた違和感に気づいて、繰り返していた呼吸音がピタリと止まる。
「そんなことがお前に関係あるのか?」
ヒシナの疑問を聞いたスティンガーがリアリストの言葉を遮るように割って入ってきた。鋭い視線をヒシナに向けて、スティンガーは手から取り出した針のような刺々しさを全身から醸し出している。
その言葉にヒシナが答えるより先に、リアリストがスティンガーを制するように身体を向けて、動きを止めるように鋭い視線を向けていた。その視線を見たスティンガーは舌打ちをして、リアリストの指示に従うように一歩下がっている。
「いや、申し訳ない。ただ彼の言うように、この子を連れていることは君には関係のないことのはずだ。それがどうして、わざわざ声をかけてきたのかな?」
「まあ、確かに関係はありませんけど、見るからに怪しいので、何かしらの犯罪なら放ってはおけないと思って」
「犯罪なら放っておけない? 例えば?」
「拉致・誘拐」
ヒシナの返答を聞いて、リアリストは疑うような目を向けていたが、ヒシナには何の変化も見られなかった。アズマヤに起きたことを考えたら、それだけでヒシナの言葉に嘘がないことを証明している。
しばらくヒシナの様子を窺うように見つめてから、リアリストは納得したように頷き始める。
「そうか。なるほど。確かに傍から見えれば、そう見えるかもしれないね。だけど、心配はないよ。これは誘拐とかではないから」
「では、一体、何を?」
「急に名乗って信じてもらえるかは分からないけれどね。私達は超人なんだよ。これは超人としての仕事の一環なんだ」
「つまり、その子が怪人である、と?」
「いや、彼は怪人ではないよ。彼は怪人と繋がっている可能性があってね。このままだと危険だから、保護しようとしているところなんだ」
「ああ、そうだったんですね」
リアリストの説明を聞いたヒシナが納得したように声を上げて、アズマヤは必死に否定しようと頭を動かそうとしたが、身体はどれだけ命令を出しても言うことを聞いてくれない。
「それは失礼しました。お仕事の邪魔をしてしまったようで」
「いいや、君の正義感は正しいからね。その気持ちをこれからも持って欲しいと私は思うよ」
「はい、ありがとうございます」
そう言ったヒシナが立ち去ろうと背を向けながら、鞄を漁るように手を突っ込んでいた。中から炭酸飲料の入ったペットボトルを取り出し、その蓋を開けようとする。
そこでスティンガーが声を出した。
「待て」
その声にヒシナの動きが止まり、怪訝げにスティンガーの方を向く。
「どうしました?」
「そのまま動くな。こちらからの質問に答えろ」
そう告げながら、スティンガーは片手に傷を作りながら針を伸ばし、掌を襲う痛みからか僅かに表情を歪めている。その様子にヒシナも驚いた顔を見せ、言われたようにペットボトルの蓋を開ける姿勢のまま動きを止める中、スティンガーの視線はリアリストの方に向いた。
「お前も気づいている癖に見逃そうとしたな?」
「いや、別に見逃そうとしたわけではないよ。ただ実際の害が見えないから、こちらから行動を起こすべきではないと思っただけさ」
「その甘さが寝首を掻かれる理由になる。いらないものだ、捨てろ」
「そうは行かない。私達は正義の味方のはずだよ」
「違う。ただの怪人の回収業者だ」
言い争う二人を見ながら、ヒシナは不思議そうに首を傾げていた。自分が呼び止められた理由が分からないという様子で、それはアズマヤも同じことだった。二人が唐突に始めた会話の意味が分からず、スティンガーが針を伸ばし始めた理由も分からない。
そう思っていたら、スティンガーの手から針が飛び出し、スティンガーはもう片方の手でその針を握った。その先端をヒシナに向けてから、スティンガーは握った針ほどに鋭い視線でヒシナを睨みつけている。
「お前、俺達の様子を見て、何か怪しいと感じて声をかけてきたのか?」
「はい。誘拐か何かだと思って、それなら、止めないといけないと思って声をかけました」
「それは嘘ではないみたいだが……」
そう言いつつ、スティンガーがリアリストに目を向け、何も起きないことを確認してから、再びヒシナを睨みつける。
「そうだとして、お前はどうして声をかけることを選んだ?」
「は、い……? どういう意味の質問ですか?」
「お前が一般人なら、犯罪現場を目撃した時の正しい行動は通報のはずだ。警察を呼ぶことはあっても、自分から声をかけようなどということをするはずがない。それなのに、それを選んだ。何故だ?」
「何故って……」
ヒシナは戸惑いながら、スティンガーから僅かに目を逸らし、リアリストの方を向いた。アズマヤは自身のことを話すのかと思ったが、その視線の意図をスティンガーは違う形で察したらしく、面倒臭そうに舌打ちをしている。
「気づきやがったか……」
そう呟いた瞬間、スティンガーは握った針を突き出すように腕を伸ばしながら、ヒシナの懐まで踏み込んでいた。向けられた針がヒシナを襲うというところで、ヒシナは咄嗟に後ろへと下がって、手に持っていたペットボトルをスティンガーの方に投げつけている。
「邪魔だ……!?」
そのペットボトルをスティンガーが払い除けようとした瞬間のことだった。
スティンガーの眼前でペットボトルが大きく爆ぜて、中身とペットボトルの破片を細かく周囲にばら撒いた。
「……んだ……!?」
その衝撃にスティンガーが怯んだ隙を狙って、ヒシナはスティンガーの生み出した針を握っていた。そのことに気づいたスティンガーが咄嗟にヒシナを振り払おうとするが、すぐに何かに気づいたように針を手放している。
「熱ッ……!?」
そうスティンガーが呟きながら、針から離れたことを確認し、ヒシナは握った針を一気に引き抜いて、鞄から取り出した新たなペットボトルをスティンガーに投げつけた。
再び爆ぜると思ったスティンガーが咄嗟に身構えるが、投げられたペットボトルは爆ぜることなく、スティンガーの元まで飛んでいき、そこでぶつかっている。
何も起きなかった。そう思ったのも束の間、蓋をしていなかったペットボトルの中身がそこで零れ、スティンガーの身体にかかった。
「熱ィッ!?」
そこでスティンガーは熱湯をかけられたようなリアクションを取り、身体にかかった液体を振り払おうと身を振るっていた。
その隙にヒシナはリアリストの方に踏み出し、スティンガーから奪い取った針を押し出していた。リアリストは咄嗟に躱そうとするが、アズマヤを抱えている状況だ。不安定な姿勢を取るには、アズマヤの身体が重く、避けようとした動きのまま、リアリストはその場に転んでしまう。
そこにヒシナが腕を伸ばし、リアリストの腕から一気にアズマヤを引き剥がした。
「あっ、待て……!?」
咄嗟にリアリストはヒシナを止めようと手を伸ばしてくるが、ヒシナはその動きを制するように針を突き出し、アズマヤを奪い去ることに成功していた。
そのままスティンガーが落ちつきを取り戻し、リアリストが立ち上がる前に、ヒシナはアズマヤを抱えたまま、一気に現場から離れていく。
その一連の様子にアズマヤは驚き、ようやく苦しい姿勢から解放された口から、微かな声が漏れ出ていた。
「これは……一体……?」
その声を聞いたヒシナの視線がアズマヤに向き、ヒシナはやや照れ臭そうに微笑んでくる。
「実は君に一つ言っていなかったことがあるんだけどね」
そう言いながら、ヒシナは道端に握っていた針を捨て、鞄の中から取り出したハンカチで額を拭った。
「実は僕も怪人なんだよ」