5-16.針の筵
「うん……しかし、そんなことがあったなんて……驚いたな……」
そう呟きながら、タテイシはコーヒーに口をつけた。ヒノエを落ちつかせるように、受け入れる姿勢を見せているタテイシではあるが、やはり動揺は隠し切れないのか、カップを持つ手は僅かに震えている。
その様子を見たヒノエが何故か安堵していると、タテイシはゆっくりと顔を上げて、何かに気づいたようにハッとする。
「けど、ヒノエさんはこれからどうするの?」
「えっ?」
「行く当てはあるの?」
「行く当て……」
怪人であることを気にかけるよりも、タテイシはヒノエの今後の行動の方が心配の様子だった。確かにヒノエが怪人であると分かれば、自分の家には帰れないことくらいは想像がつくだろう。そこは真っ先に超人が調べる場所のはずで、今も待ち構えているかもしれない。
今のヒノエには行き先と言える行き先がない。それを手放したばかりだ。
「まだ……何も……」
か細くヒノエが答えると、タテイシは少し考えるような素振りを見せてから、やや震える唇を少しずつ開いていた。
「それなら……家とかはどうかな……?」
「えっ……?」
「いや、一人暮らしで他に説明しないといけない人もいないし、ヒノエさんさえ良ければ、しばらくだけでも、落ちつけると思うんだ……! もちろん、変なことをするつもりはないし、もしそうしようとしたなら、その力で何をしてもいい……! それは約束する……!」
慌てた様子で突然の提案をしてくるタテイシに、ヒノエは戸惑っていた。これ以上は迷惑になるからと言って、ヒノエはアズマヤの元を去ったばかりだ。
その身体で、その口で、タテイシの提案を飲み込んでいいのかと言われたら、良いはずがないことくらいは明白だった。タテイシ自体はこう言っているが、そこに下心がないと決まったわけではない。
あまりに危険で、そうでないとしても、あまりに迷惑をかけるになる。それくらいのことは分かっているからこそ、ヒノエはタテイシからの提案に言葉をなくし、僅かに俯くことになった。
断るべきだと思う一方、アズマヤほどの罪悪感がヒノエの中に生まれる気配もなく、タテイシならいいのかと考える自分に気づく。
その汚さと自分勝手さに嫌悪感を懐き、ヒノエは僅かに頭を抱える。こんなことを考える自分を今すぐに殺してやりたい。
「どう、かな……?」
そこでタテイシがそう聞いてきた。その目をまっすぐに見つめて、タテイシの裏側にある考えを想像する。
何が起こるかは分からない。何があるのかも分からない。それでも、今の自分の汚さに対する罰と考えれば、妥当と言えるのかもしれない。
そう思ったヒノエは気づけば、問いかけるタテイシに頷きを返していて、この後、タテイシの家に向かうことが決定していた。
◇ ◆ ◇ ◆
「ヨースケ!?」
アズマヤの母が倒れ込んだアズマヤに駆け寄っていた。父も戸惑いの目をアズマヤに向けてから、何が起きたのかと問いかけるように、二人の超人を見ている。
「これは一体……?」
「嘘に対する罰だ」
「う、そ……?」
アズマヤは転がったまま、僅かに動く唇を動かし、スティンガーの言葉に聞き返していた。
「私は私の前で嘘をついた者に制限をかけることができるんだ。君は嘘をついた。だから、そこで動けなくなった」
「う、そ……? 一体、何のことを……?」
リアリストが説明する超人としての力の概要を聞いて、アズマヤは転がったまま戸惑っていた。今の言い方ではアズマヤが嘘をついたようだが、アズマヤに嘘をついた覚えはない。
そう思っていると、その前でニヤニヤとした笑みを浮かべ、スティンガーが口にする。
「あの女に惚れてるんだろう?」
「なっ……!? 違っ……!? そんなことは……!?」
あるはずがないとかぶりを振るアズマヤを目にして、スティンガーは僅かに首を傾げ、リアリストの方に目を向けていた。
「おいおい、こいつ、全力で否定しているが、本当に嘘をついたのか?」
「私の力は当人が嘘と自覚しているなら、自動的に発動する。少なくとも、彼の心は嘘だと分かっているはずだ。ただ彼自身が自覚していることを自覚しているかは分からない」
「何だ? 哲学か?」
回りくどいリアリストの説明にスティンガーは溜め息をついてから、転がるアズマヤに手を伸ばしてきた。その身体を持ち上げて、スティンガーはリアリストの方に目を向けてくる。
「まあ、取り敢えず、檜枝雪菜についてはこいつから聞き出せばいい。ある程度は情報を吐いてくれるだろう」
「ちょっ……!? ちょっと待ってください……!?」
それを見たアズマヤの母が慌ててスティンガーを止めようと、その身体にしがみついていた。
「ヨースケをどこに連れていく気ですか……!? 素直に通報したら、息子は助けてくれると……!?」
「はあ? 何を言ってるんだ? 怪人を匿って逃がしたかもしれないんだ。こいつは立派な罪人だ。殺すことはないにしても、無罪はあり得ないだろう?」
「そんな……!?」
「待ってください……!? お願いします……!? 息子は見逃してください……!?」
アズマヤの母の隣に並んで、父は必死に頼み込むように頭を下げていた。その様子を見たスティンガーが面倒そうに舌打ちし、リアリストの方に目を向ける。
「おい、こいつを受け取れ」
そう言って、スティンガーはアズマヤの身体をリアリストの方に投げた。リアリストは唐突な重さに驚きながら受け取ろうとするが、流石に急には無理だったのか、受け止めた衝撃に押され、ソファーに座り込んでいる。
それから、スティンガーは自身にしがみつくアズマヤの母と父を見下ろした。
「いい加減に離れろ!」
そう叫んだかと思えば、しがみついた母の身体を蹴り飛ばし、その隣で頭を下げていた父を床に押しつけるように足を振り下ろす。
「痛いっ!?」
「ぐがぁっ……!?」
「あのさ、聞こえなかったわけ? あのガキも同罪なの。分かる? それをさ、頭下げた程度で許されるなら、警察も超人もいらないわけだよなぁ!?」
そう言いながら、スティンガーは片手を掲げていた。その掌から皮膚を突き破るように尖った針が飛び出し、貫いた傷痕から血を流しながら、どんどんと長さを伸ばしていく。
「ああ、本当にさ。こいつは痛いから嫌いなんだよぉ……!?」
不満を漏らしながらも、スティンガーは掌から針を伸ばし、一メートル半ほどの長さにすると、それをもう片方の手で掴んで引き抜いた。
そのまま眼下で床に押しつけるように踏みつけているアズマヤの父を見下ろし、その背中に針を一気に突き立てる。
「ぎがぁっ……!?」
背中から肋骨の隙間を通って、腹の方まで貫いた針を受け、アズマヤの父は苦悶の声を漏らした。
「安心しろ。死なないように、ちゃんと臓器は避けてやるからさ!」
スティンガーは握った針を一気に引き抜くと、再びアズマヤの父の背中に向かって、一気に針を振り下ろしていく。
「だぁあああ……!?」
「おいおい、そんないい声で鳴くなよ……!? 勃起しちまうだろうが……!?」
スティンガーは更に針を引き抜いて、再び父の背中に突き立てようと構えた。
「スティンガー!」
そこでアズマヤを抱えたリアリストが立ち上がり、スティンガーを制止するように声を上げた。スティンガーは針を持ち上げた姿勢のまま止まり、リアリストの方に目を向ける。
「何だ……?」
「やり過ぎだ。そこまでする必要はない」
「何を言ってるんだ? 世間知らずのアホ共に、現実を教えているだけだろうが?」
「その必要がないと言っているんだ。これ以上は超人の評判にも関わる。問題を起こすなら、上に報告するだけだ」
リアリストが毅然とした態度でそう告げると、スティンガーは不満そうに舌打ちしてから、握っていた針を部屋の中に投げ捨てた。
「行くぞ。これ以上、長居する必要はない」
リアリストがそう告げて、アズマヤを抱えたままリビングを出ていく。スティンガーはアズマヤの両親を睨みつけてから、再び不満そうに舌打ちし、リアリストの後を追いかける形でリビングから立ち去った。
そのまま二人はアズマヤを連れたまま、アズマヤの家を後にする。
「なあ、そいつは甚振ってもいいんだよな? 一々、口を挟まれたら、楽しめるものも楽しめない」
「それは彼次第だ。彼が素直に情報を渡してくれるなら、必要以上の暴力はいらない」
「チッ。つまらねぇ……」
そう言い合いながら、リアリストとスティンガーが家の外へと出ていく中、アズマヤはリアリストに抱えられたまま、何も言えなくなっていた。
頭の中には、スティンガーを止める言葉も、現状への不満も浮かんでいたが、痺れたように身体がうまく動かないことに加え、持ち上げられた体勢ではうまく声を出せない状況に陥っていた。
抵抗しようにも抵抗できない。大人しく、二人に連れ去られるしかない。そうアズマヤが諦めかけた時だった。
「あの~、ちょっといいですか?」
家の外に出たリアリストとスティンガーを呼び止めるように声がかけられ、二人の足が止まる。二人の視線は自然と声の聞こえた方に向き、抱えられているアズマヤもその場所を確認していた。
「何だ、お前?」
「いや、ちょっと聞きたいことがありまして……」
そう柔らかく微笑みながら声をかけてきたのは、ヒノエの大学近くの駅で別れたはずのヒシナだった。