1-14.怪人一年生
自由奔放な二本のリードを引きながら、ミトは保護施設の扉を開けた。チャッピーが喜び勇んで飛び込み、ブリジットが優雅に後をついていく。
その様子を微笑んで見守りながら、ミトは施設の中に足を踏み入れ、声をかけた。
「ただいま、戻りました」
しかし、ミトの声は施設の中を反響するだけで、誰からの返答もない。
おかしいと思うミトの前で、チャッピーが立ち止まり、何かを匂っていることに気づいた。
「どうした、チャッピー?」
ミトが声をかけながら、チャッピーに近づいていくと、そこには誰かが倒れ込んでいた。
「えっ……?えっ!?大丈夫ですか!?」
慌ててミトが手を伸ばし、倒れた人を揺さ振ると、俯いていた顔が傾いて、上から見えるようになる。
それはコシバだった。
「コシバさん!?どうしたんですか!?」
ミトが慌てて声をかける隙間から、ふと這い出るように笑い声が聞こえていることにミトは気づいた。
ゆっくりと笑い声のする方に目を向けると、そこには誰かが立って、こちらをじっと見ている。
良く見れば、その顔はニヤニヤとした笑みに包まれ、ミトを見下ろしているようだ。
「だ、誰ですか……?」
戸惑うミトがそう質問してから、ゆっくりと水が染み込むように、ミトはそこにいる人物の呼び名を理解した。
「パペッティア……」
そう口にした直後、パペッティアの顔がミトの眼前まで迫り、ニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべたまま、口を大きく開く。
「怪人如きが何、夢なんか見てんの?」
そうパペッティアの口から飛び出したかと思えば、急に足を掴む物凄い力が襲ってきた。
「な、何っ!?」
その場に座り込みながら、何かに掴まれた足に目を向けると、そこでは倒れたままのコシバがミトの足を握っていた。
そこから、ゆっくりとぎこちない動きで顔を上げ、ミトに虚ろな目を向けてくる。
「コ、コシバさん!?は、放して……!?」
ミトが慌ててコシバの手を解こうとした瞬間、今度は床が揺れるほどの震動と共に、ドスンと響く大きな音が聞こえてきた。
コシバの手を外そうと掴んだまま、ミトが音の聞こえた方に目を向けると、そこには巨大なチャッピーとブリジットの頭が並んでいる。
「チャッピー!?ブリちゃん!?」
驚いたミトが思わず叫んだ瞬間、それらの頭は大きく跳ね上がって、ミトの足を掴むコシバの上に飛びかかった。
コシバが潰される。咄嗟に思ったミトが手を伸ばし、二匹に向かって大声で叫んだ。
「ダメだ!?」
その勢いのまま、ミトの身体は跳ね上がって、上に被っていた布団を撥ね飛ばした。
ゆっくりと荒い息を整えるように、何度か深呼吸を繰り返し、ミトは早鐘を打つ心臓を押さえ込んでいく。
(ま、また夢だ……)
ほんの少し前まで見ていた光景を思い出し、噛み締めるようにミトはそう理解した。
それと同時にフラッシュバックする嫌な記憶に襲われ、ミトは思わず頭を押さえようとする。
「起きた?おはよう」
そこで隣から声が聞こえ、ミトは驚きで目を見開きながら、隣に目を向けた。
ミトの眠っていたベッドの隣に、気づけば、黄色いパーカーを着た少女が座っていた。服装は変わっていないが、今はフードを被っていない。
その少女の顔をじっと見つめ、昨日聞いたばかりの名前を思い出し、ミトは口を開いた。
「ヒカリザキさん……?どうして、ここに……?」
ミトがそう質問した瞬間、少女の顔が少し不機嫌そうに顰められる。
「ソラ……」
「えっ?」
「ソラって呼んで。苗字は嫌」
そう言われ、ミトは戸惑いながら改めて少女の名前を口にする。
「ソラ……さん……?」
「ううん、ソラ。ただのソラ。それでいい」
少女のぶっきらぼうながらも強い要望に戸惑いながら、ミトは三度、少女の名前を口にした。
「ソラ……?」
「うん」
少女はミトの一言に満足そうに首肯する。
「どうして、ここに?」
「起こしに来たけど、声をかけても起きなくて、どうしようかと思ってた」
「それなら、少し揺すってくれたら……」
そう言いかけて、ミトは昨日のことを思い出した。
ソラは自分の力をうまく制御できないらしく、ミトも意図せぬ形でソラの電気を食らってしまった。
あれと同じ状況にならないように気を遣ってくれたのだろう。
「あ、りがとう。起こしに来てくれて」
ミトがそう礼を言うと、ソラは僅かに微笑んで、小さく首肯した。
◇ ◆ ◇ ◆
「朝ごはん、一緒に食べよう。外で待ってる」
そう言い残したソラが部屋を出てから、ミトは身支度を整えた。
昨日、あれから屋敷に戻ったミトは早急に部屋が割り当てられ、そこで暮らすことになった。割り当てられた部屋はミトが屋敷で目覚めた部屋で、聞けば隣にソラがいるらしい。
その縁もあって、ソラはミトを起こしに来てくれたのかと思う一方、昨日からソラの行動がミトに対して優しく、少し戸惑っている部分もあった。
どのような距離感で接すればいいのか、ミトは未だに分かっていない。
「行こう」
ミトが部屋から出た直後、ソラはそう言って、即座に廊下を歩き出した。
その後ろをついて歩きながら、ミトはソラの頭に目を向ける。
「今日はフード被ってないんだね?」
「ああ、うん。昨日のあれで電気を大分消費したから、今は被らなくても、あまり周りに飛び出ない」
そういうこともあるのか、とソラの言葉に思いながら、ミトは昨日、ソラの言っていた静電気体質という言葉を思い出していた。
あれは冗談だと思い込んでいたが、もしかしたら、強ち冗談ではなかったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、不意にソラが振り返って、ミトの顔をじっと見つめてきた。基本的にソラの表情は乏しく、こういう時は何を考えているのか、あまり読み取れない。
「ハルは大丈夫だった?辛くない?」
「ああ、うん……まあ、辛くないわけじゃないけど、大丈……」
ソラのミトを心配した言葉に返答しようとして、その中に含まれた違和感のある言葉にミトは躓いた。
「え?ハル?今、僕のことをハルって呼んだ?」
「えっ?うん、ハル。ダメだった?」
不意に不安そうに見つめられ、ミトは動揺した。
あまり異性から下の名前で呼ばれたことのないミトからすれば、それは戸惑いの対象であっても、嫌という気持ちが湧いてくるものではなかった。
ただどのように反応すればいいのか迷った気持ちはありつつも、取り敢えず、ソラの不安そうな表情に胸を痛めて、強めにかぶりを振る。
「いや、ダメではないよ!ちょっと驚いただけ」
ミトがそのように答えると、ソラがほっとした顔で胸を撫で下ろしている。
何か大きく表情が変わっているわけではないが、ちょっとした目つきや口調も相俟って、確実に気持ちが伝わってくるソラの様子に、ミトは思わず犬の尻尾を思い出していた。
ともすれば、クールな印象を持ちそうな見た目のソラだが、接している感じは人懐っこい犬に近しい。
その様子に愛らしさを覚えていると、不意にソラが何かに気づいて、急に頭を動かした。
「どうかし……」
「危ない……!?」
ミトがソラの様子を不思議に思い、何かあったのかと聞こうとした瞬間、ソラがミトに抱きつくように飛んできた。
思わずミトの体勢が崩れ、後ろによたよたとよろめいた直後、ミトの目の前を何かが通過する。
それが何かと良く見れば、廊下の死角から誰かが身を乗り出し、ミト達の前に飛び出していることが分かった。
どうやら、通過したものはその人の拳らしい。
「えっ……!?何……!?何!?」
動揺するミトの前に、死角から飛び出してきた人物が立ち塞がった。
鋭い目元からややクールな印象を受ける、ミトやソラと同年代くらいの少年だ。
少年は立ち塞がったまま、ゆっくりと拳を構え、ミトをまっすぐに見つめてくる。その目は親の仇を見るように鋭いものだ。
「ようやく逢えたな、三頭晴臣!」
そう叫ぶ少年の向けてくる敵意に、ミトはどう反応したらいいか分からず困惑していた。