5-5.リスタート
墓地に響く啜り泣く音や謝罪、感謝の言葉がゆっくりと小さくなって、いつの間にか、再び静寂が墓地全体を包み込んでいた。
ヒノエが落ちつくまで、ただ黙って後ろで待っていたアズマヤはそのことに気づいて、少し心配になりながら、母親の墓石に縋りつくように屈み込んだヒノエに声をかける。
「ヒノエさん……?」
恐る恐る声をかけてみると、アズマヤの声を聞いたヒノエが僅かに身体を起こし、拭うように目元で手を動かしている。ゆっくりと背を伸ばして、アズマヤの方を振り返ると、ヒノエは消し切れない寂しさの籠った笑みを浮かべて口を開いた。
「帰りましょうか……」
その一言にアズマヤは若干、戸惑いを抱えつつも、それに従うように頷いて、二人は墓地から立ち去るために歩き始めた。残された未練に縋りつかれたように、その足取りはいつもより僅かに重い。
それでも、ヒノエは次に進まなければいけないと思ったように、その重い足をゆっくりと動かし続けていた。
ヒノエの隣に並んで歩きながら、アズマヤはヒノエの横顔を見つめる。いくら後悔の全てを吐き出したと言っても、ヒノエは母親と直接話せたわけではない。母親と直接的に対面できたわけではない。気持ちの全てを消化するには不十分だったはずだ。
そのことを証明するように、今のヒノエの表情はまだ暗さを抱えたままだ。ヒノエの表情がもっと明るくなることを知っていると、その表情にも辛さや悲しみを覚えてしまう。
だが、今のヒノエは母親の死を聞いたばかりの時と違って、俯くことをやめた。何かしらの気持ちの整理は始めているはずで、今のヒノエには進めるだけの力が湧いていることだろう。
それは想像がついたが、そうだとしても、アズマヤの中に渦巻く不安は消えてくれなかった。ヒノエが何を考え、どのように立ち直ろうとしているのか想像したくても、アズマヤは元気なヒノエしか知らない。これだけの悲しみから、いかに舞い戻っていくのか、アズマヤにはイメージし切るだけの材料がない。
墓地から離れ、駅に向かっている間も、アズマヤの中には消えない不安が存在し続けていた。その不安を気にすればするほどに、不安はどんどんと膨らんでしまい、気づけばアズマヤの口は動き出していた。
「大丈夫ですか?」
つい、そう聞いてしまったことに気づいてから、何を聞いているのだろうかとアズマヤは後悔する。それを今のヒノエに聞いたところで、ヒノエは何を思うだろうかと想像したら、その一言が間違っていたことは明白だ。
事実、ヒノエは驚いた顔でこちらを向いて、申し訳なさそうに笑みを浮かべている。
「はい、ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」
「い、いえ……!? 迷惑なんて一つもありませんよ……!?」
「ハハッ……アズマヤさんは優しいですね」
僅かに笑みを零しながらそう言っているが、アズマヤの言葉をヒノエが信じていないことくらいは分かった。気を遣ったと思われているのだろう。
だが、実際にアズマヤは何一つとして迷惑とは思っていなかった。超人に追われている時を助けたところから今に至るまで、アズマヤは当然と思えることをやっているだけだ。
それなのに寧ろ、気を遣わせてしまった事実の方に、アズマヤの後悔は膨らんでくる。そういうことをそういう表情で言わなくていいと強く言いたいが、あまり強い感情を今のヒノエにも叩きつけたくはない。
そう思っていたら、触れようとしたものは通り過ぎて、もう思ったように口を開けなくなっていた。タイミングを逸してしまった。そう気づいても、時間は取り戻せない。
「昨日の晩、眠る前にいろいろと思い出していたんです」
そこでヒノエがぽつりと呟いた。それを聞いたアズマヤは何も言えなかったと後悔しながら、ヒノエが話し始めた言葉の意味を汲み取ろうとする。
「お母様のことですか?」
「それもありますが、それ以外にも、いろいろと。今の私の状況のこととか、アズマヤさんと逢ってからのこととか、そういう全部を改めて」
話し始めたヒノエの横顔はさっきまでと少し違って、含んでいた寂しさが少し消えたように見えた。どこか清々しさを感じさせる表情に、アズマヤはヒノエが何を考え、何を言おうとしているのか、漠然とした想像ができてしまい、心臓の鼓動が自然と速くなる。
「気づいたら改造され、こんな身体になってしまい、母に逢いたいという気持ちから逃げ出したら、怪人と呼ばれてしまいました。もう普通の生活は送れないのかもしれません」
「そんなことは……!?」
「でも、その途中でアズマヤさんと出逢って、母に逢いたいという私の願いを汲んでくれて、ほんの少しだけの時間でしたが、怪人である私も生きていいんだって強く思えました」
その言い方と表情を見ていたら、アズマヤは次第に言葉が出てこなくなる。ヒノエがそうだったように、アズマヤもこれまでに起きたことを思い返した時間があった。ヒノエとの出逢いから今に至るまでのことを思い出して、気づいた事実もあったが、そのことには触れないようにしていた。
ヒノエはそこに触れようとしている。そのことに気づいて、その言葉を止めたいと思うが、止められるだけの言葉が今のアズマヤの中には存在しない。
「本当にありがとうございました。これから、私は怪人として生きていきます。そんな私と一緒にいて、これ以上、アズマヤさん達にご迷惑をおかけするわけには行きません。だから、ここでお別れしましょう」
立ち止まったヒノエがアズマヤの方を向いて、まっすぐとした言葉を向けてきた。その言葉を想像していたアズマヤは同じように立ち止まり、何とか言葉を探そうとする。
今のヒノエは放っておけない。そういうこれまで思ってきた気持ちも含めて、アズマヤはヒノエを止めるために言葉を探していくが、この瞬間に相応しい言葉も気持ちもアズマヤは見つけられない。
そもそも、ヒノエをどうしてそこまで止めたいのかと聞かれたら、今のアズマヤには説明できるだけの言葉が思いつかない。アズマヤ自身で湧いてくる気持ちの理由を掴み切れていない部分がある。
「今すぐじゃなくてもいいんじゃないですか? もう少し、うちにいればいいと思いますよ。まだ行く当てもないじゃないですか。急に出ていっても、困ることが多いと思うし……」
そうやってアズマヤは曖昧な言葉を口にして、何とかヒノエをそこに繋ぎ止めようとするが、ヒノエはそれを否定するようにかぶりを振る。
「少しでも長くいれば、それだけでご迷惑をおかけしますから。もうここで私は去ります。アズマヤさん、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げるヒノエを前にして、アズマヤはもう言葉が本当に出てこなかった。
「そんな……そんな……」
何かを言おうとして、それを言っても意味がないと分かってしまって、アズマヤは言いかけた言葉の頭で何度も詰まる。引き止める言葉も、お別れの言葉も、アズマヤの口からは碌に出てこない。
もっと最適な言葉があるような気がする。言わなければいけないことがあるように思える。そうは分かっているのだが、その言葉が見つけられず、アズマヤが開きかけた口を僅かに動かしている。
その時のことだった。
「あ、れ……? ヒノエさん……?」
そこでどこからか不意に声をかけられ、アズマヤとヒノエが揃って、その声の聞こえた方に目を向けていた。
そこにはヒノエと同年代くらいの若い男が立っていた。