5-4.お墓参り
「私、母のお墓参りに行こうと思います」
亡くなった母親が埋葬されたという墓の場所を聞いて、ヒノエはすぐに気持ちを固めたようだった。悲しみと寂しさを含んだ表情の中に確かな覚悟のようなものを垣間見て、アズマヤはヒノエの気持ちを察する。
翌日には教えられた墓に行くというヒノエの決意を聞いて、アズマヤは自分の状態も含めた今度の行動について、改めて考えていた。
今のアズマヤは万全とは程遠い状態だ。手から足に至るまで、アズマヤの身体は痛みに支配されている。あまりに強い痛みと、あまりに辛い経験を経たことで、若干、感覚が麻痺している部分もあって、それらをあまり実感しないが、今のアズマヤは到底日常生活に放り出してもいい状態ではない。
その手袋は何だと聞かれ、外すように言われ、外した両手を見られ、それはどうしたのかと問われたら、アズマヤは何も答えられないだろう。何があったのかを含め、アズマヤの知ってしまった情報の全ては無闇に他人に話せるものではない。
少なくとも、これら怪我が目立たない程度には回復しないと、アズマヤは満足な日常生活を送れない。学校に行くことは難しい。
それなら、この機会に気になっていたことを調べてみるのも手だとは思うのだが、それも今のヒノエを一人にしてやらなければならないとは思えない。
今のヒノエはまだ不安定だ。そのことをきっと本人も分かっていて、だからこそ、母親の墓参りに行くことを決意したはずだ。
そう分かっているのだから、今のアズマヤが取るべき行動はヒノエが一人に歩けるようになるまで、その足を支えてあげることだ。それを済まさないと、アズマヤも一人で歩けそうにはない。
「俺も行きます」
気づいたら、アズマヤはそのように口にしていて、ヒノエの墓参りに同行することが決定した。ヒノエは動揺し、一緒に来る必要はないと言っていたが、今のアズマヤは他にやることがないと伝え、一人では危ないと説得していたら、やがては納得してくれていた。
それによって迎えた翌日、アズマヤとヒノエは亡くなった母親の墓参りに行くことをアズマヤの両親に伝え、二人で揃って家を出た。
聞いた場所はアズマヤの家から少し遠く、二人は電車に乗るために最寄りの駅に移動し、そこで電車に乗り込む。天候とは対照的に、電車に揺られるヒノエの表情は曇ったものだった。ようやく悲しみと向き合えるようになり、動ける程度には発散したとはいえ、まだヒノエの心の中には取り切れない悲しみと、向き合えていない気持ちがある。
本来、そういう気持ちと向き合うための時間として、故人の遺体と対面する時間があるはずなのだが、今のヒノエはその時間を得られなかったことから、解消できるはずの気持ちを抱えたままになっていた。
電車に揺られること数十分。電車はアズマヤがあまり訪れたことのない駅に到着していた。見慣れないホームに降り立ち、アズマヤは向かう先を確認するように周囲を見回すが、ヒノエはすぐに歩き出し、改札に向かおうとしていた。
その様子を見たアズマヤが少しだけ不思議に思って、ヒノエの隣に足を進めながら質問する。
「ヒノエさんはここに来たことがあるんですか?」
「えっ?」
「俺はこの駅にあまり来たことがなかったので、どっちに行けばいいとか、確認しながらじゃないと分からないんですけど、ヒノエさんは分かっている様子だったので」
「ええ、はい。この近くに私の通っていた大学があるんです」
「ああ、そうなんですか」
知らなかったヒノエの情報を聞きながら、アズマヤは改札を抜けて、駅の外に出る。ヒノエは墓の場所をある程度は分かっているようで、アズマヤを案内するように歩き始める。
そう言えば母親のことも含めて、アズマヤはあまりヒノエのことを詳しくは知らない。聞く機会がなかったわけではないが、他にいろいろとあった所為か、あまり聞いては来なかった。大学のことも初めて知ったことだ。
他にもそういうことがあるのだろうかと思っていたら、いつの間にか、ヒノエの母親が眠っているという墓の近くに到着していた。
「ここ……ですね……」
ヒノエが寂しげな視線を墓地に向けて、二人はその中に足を踏み入れていく。本来は学校に行っているような平日の昼間ということもあって、アズマヤとヒノエ以外の人はそこに見当たらなかった。
二人は綺麗に並んだ墓石を順番に確認しながら、墓地の奥へと進んでいく。墓地の場所は聞いたが、どの墓に眠っているかは詳細に聞かなかったらしい。その時の心情的に聞けなかったという方が正確かもしれない。
「あっ……」
やがて、ヒノエが何かを見つけたように足を止めて、アズマヤもヒノエの視線を覆うように近くにある墓石を見た。新雪のように綺麗な白い墓石がそこには置かれていて、その側面に埋葬された故人の名前が記されている。
そこに、檜枝凍花の文字をアズマヤも発見していた。アズマヤが思わずヒノエの表情を窺うと、ヒノエはその墓石を見つめたまま、ゆっくりとその前に進んでいく。
「お母さん……」
ぽつりと零すようにヒノエが呟きながら、墓石の前で腰を下ろしていく。その寂しげな声を聞きながら、アズマヤはヒノエの少し後ろで屈み込む。
「お母さん……ごめんね……」
零された言葉に導かれるように、ヒノエの目から涙が溢れて、地面に落ちた。それは晴れ間に降った雨のように、次第に数を増していく。
「一人にして……ごめん……最期まで一緒にいてあげられなくて……ごめん……ちゃんとお別れを言えなくて……ごめん……」
何度も謝罪の言葉を零しながら、ヒノエはゆっくりと墓石に触れる。
「お母さん……ありがとう……ありがとうって……ちゃんと言いたかった……お母さん……まだ嫌だよ……逢いたいよ……」
墓石に縋りつくように倒れ込みながら、ヒノエは何度も嗚咽交じりの謝罪と御礼を口にしていた。心の中に残った蟠りを解いていくように、目を逸らしかけた悲しみと触れ合うように、ヒノエはゆっくりと母親との叶わなかった会話を進めていく。
その様子を後ろから静かに眺めながら、アズマヤは対面の叶わなかったヒノエの母親に対して、ひっそりと一つだけ無遠慮ながらも、お願いを心の中で呟く。
ヒノエは今、非常に大変な状況に置かれている。明日どころか、一時間後もどうなっているか分からない状態だ。その中で今回のような出来事があって、ヒノエの心は非常に疲弊したはずだ。それがどのような影響を及ぼすか分からない。
だが、少しでもヒノエが平穏に暮らせるように、ヒノエの身を少しでもいいから守ってあげて欲しい。アズマヤはその思いが届くように目を瞑り、静かに手を合わせた。