5-1.見舞い仕舞い
電車はホームに滑り込み、ゆっくりと停車する。車窓から見える景色を眺めながら、アズマヤはようやく到着したと感慨深く思っていた。
ヒノエと偶然にも遭遇し、ヒノエから母親に逢いに行こうと思っている事実を聞き、病院に向かってから、本当に様々なことがあった。
超人に追われ、見知らぬ人に助けられたと思ったら、その人に捕まり、拷問され、必死の思いで逃げ、ようやく辿りついた場所がここだ。
ほんの少しの遠出の予定だったが、既に数日が経過してしまった。これほどかかるとは思っていなかったが、アズマヤの扱いはどうなっているのだろうかと不意に思う。
ヒノエに自分の家に泊まることを勧めてはみたが、どこまで説明するかも考え、二人を説得できるだけの内容を揃えないといけない。
一応、証拠は痛みとして残っている。手袋の外せない手を見つめ、裾を上げられない足を見つめ、アズマヤは数日の内に起きた様々な出来事を想起する。
アズマヤの親なら、アズマヤがちゃんと話せば、親身になって話を聞いてくれるはずだ。頭から否定はしないだろう。ヒノエのことも分かってくれるに違いない。
電車から降りるためにアズマヤは席から立ち上がり、ヒノエと一緒に移動する中、ふとそのようなことを考え、そう言えばこれから逢いに行くヒノエの母親はどのような人物なのだろうかと思った。
アズマヤの様子を細かく気遣ってくれるヒノエに誘われ、駅のホームから改札の方に移動しながら、ふと思ったことをアズマヤは口に出してみる。
「母のことですか?」
「はい。どのような人なのかと思って」
「そうですね……」
階段を降りる足元を注意しながら、ヒノエは考え込むように首を傾げる。
「優しい人です、よ……? とても」
「疑問形?」
「いえ、何と言うか、客観的に見た時の母がどのような人なのか、これまでに考えたことが意外となかったので。子供である私の懐く印象と、他の人が受ける印象では流石に違いがあることを今、考えたというか」
「ああ、それは確かに」
アズマヤもヒノエがそうしているように自分の親を思い浮かべ、その親がヒノエからどのように見えるのか想像してみる。
人間は多面体だ。どこから眺めても、全てが見えるという瞬間はない。その裏には隠れているものが絶対にあって、アズマヤはそれを痛いほどに実感したばかりだ。
親もそうであるなら、自分が思っている印象とは違ったものをヒノエは感じ取るかもしれない。その差異がいらない不和を生まなければいいが、と考えてみても、その様子をアズマヤはあまりうまく想像できなかった。
たとえヒノエが怪人であると名乗っても、あの親なら受け入れてくれると思えるくらいの度量が二人にはある。
何せ、アズマヤの親である。それくらいのことは当然のようにしてくれるだろう。
「でも、あれですよ? きっとアズマヤさんでも優しいと思うくらいに優しいと思いますよ? 昔から、本当に優し過ぎて、その所為で心労が祟って入院することになったんじゃないかって、私は思ったくらいですから」
ヒノエは苦笑するが、その表情は少し明るく、どこか浮き浮きとした高揚感をアズマヤにも伝えてくるものだった。ここに至ってようやく不安が消え、母の見舞いに行けるという実感が湧いてきたのだろう。
その様子にアズマヤの方まで嬉しくなりながら、二人は改札を通って、駅の外に向かう。病院はそこから歩いて、すぐのところにあるらしい。
「大丈夫ですか?」
道中、ヒノエはアズマヤの足を心配そうに見つめながら聞いてくる。
屋敷での一件の際、アズマヤは無我夢中で動き回っていたので、あまり意識していなかったが、そのことが原因でブラックドッグから受けた傷は再び広がりを見せていた。今もズキズキとした痛みが残り、非常に歩きづらい状況ではあるが、この程度の痛みを言い訳に時間をかけたくはない。
アズマヤは大丈夫であると強く言って、ヒノエを急かすように病院へと向かう。ここまでの数日間を考えたら、一刻も早く、顔を見せに行った方がいいはずだ。
アズマヤの言葉を信じてくれたらしく、ヒノエはそれから歩こうとするアズマヤを止めることなく、二人はヒノエの目的である病院の前に到着していた。駅から普通に歩けば、数分で辿りつける総合病院だ。
その中にアズマヤは入って、ヒノエの案内で即座にヒノエの母が入院しているという病室の方に歩き始める。
ともすれば、アズマヤもここで治療を受けた方がいい傷を負っているが、手も足も傷の原因を説明できない以上、それがばれないようにしなければならない。
アズマヤは極めて努めて、普通に歩けることをアピールするように、痛む足を動かしながらヒノエについていく。ヒノエもアズマヤの考えを察してくれたようで、アズマヤの歩調に合わせるように、やや速度を調節してくれながら、二人はヒノエの母が入院しているという病室に向かう。
「ここです」
やがて、ヒノエが四人部屋の病室の前で立ち止まり、アズマヤに示すように言ってきた。
「ここの右奥に母がいます」
その言葉にアズマヤは何故か若干の緊張を負いながら、ヒノエを促すように頷いてみせる。ここに来て、ようやくその可能性に気づいたが、アズマヤも一緒に対面することになるなら、そうなった理由を説明するかどうかくらいは決めておいた方が良かったかもしれない。
スムーズに話せないと何かあったとすぐに伝わるだろう。追及されたら、うまく口を塞げるか分からないが、その辺りはヒノエと空気を読み合い、その場で合わす必要があるかもしれない。
そう思ってから、不意にヒノエさんとこれまで通りに呼んでいたらややこしいとアズマヤは気づいて、先にヒノエの母親の名前を確認しておこうと、病室前のプレートに目を向けた。
そこでアズマヤは異変に気づいて、首を傾げる。
プレートには入院患者の名前が並んで書かれているのだが、ヒノエの言っていた右奥に該当する部分には、誰の名前も書かれていない。
「あれ……?」
アズマヤが不思議そうに呟いている間に、ヒノエは病室の中に足を踏み入れて、ヒノエの母がいるというベッドに近づいていた。
「お母さん? 少し来れなくて、ごめん、ね……?」
そこで立ち止まるヒノエの姿が見えて、アズマヤは慌てて病室の中に足を踏み入れていた。ヒノエの隣まで歩いていき、そこでヒノエが見つめる先にあるベッドをアズマヤも見やる。
そこにはシーツも何もない、土台だけのベッドが一つ置かれていた。
「あ、れ……? お母さん……?」
ヒノエが戸惑い、ベッドに近づいているが、ベッドの周りにも何もなく、まるで誰も使っていないように綺麗だ。
「どういう……?」
「セツナさん?」
ヒノエが戸惑いの言葉を漏らす中、不意に病室の入口から声が聞こえ、アズマヤとヒノエは振り返っていた。そこには看護師が立っていて、その姿に気づいたヒノエが慌てて近づいていく。
「あ、あの……!? 母は……!? 母はどこに行ったんですか……!?」
慌てた様子のヒノエに詰め寄られ、胸の名札に『楠木』と読める看護師は言いづらそうに目線を逸らしていた。その姿にヒノエだけでなく、アズマヤまで寒気を覚える。
猛烈に嫌な予感がする。そう思う中、看護師はヒノエに聞いてくる。
「ご家族から、何も聞いていない?」
「えっ……? 何を……何を聞いていないんですか……?」
「本当に何も? ちゃんとセツナさんにも連絡したのよ? けど、繋がらなかったから、親戚の方に来ていただいて、それでセツナさんにも伝えてくださるって」
「な、にも……何も聞いてません……!? 何が……!? 何があったんですか……?」
ヒノエの問いを聞いた看護師が回答まで一拍空けるように息を吸った気がした。そこに緊張が宿り、ただ眺めているだけのアズマヤも震えそうなほどに怯えてしまっていた。
しかし、そのことを気に留めてくれるはずもなく、看護師は言う。
「亡くなったのよ、凍花さん」
「えっ……?」
ヒノエの声は弱く、小さく、存在と一緒に消えそうな勢いで、足元に零れ落ちていた。