4-30.思考ヲ止メテ感覚ニ従エ
凄惨たる状況を前にして、恐怖さんは口を噤んだ。暗闇の中に浮かび上がる紳士然とした丸いフォルムに、サラさんとツイステッドは対照的な表情を見せる。
「カズヒ……!」
サラさんが喜びを露わにし、前のめりになりながら、何かを口走ろうとした瞬間、ツイステッドが怯えるように震えた声を発して、恐怖さんを見つめてきた。
「ななな、何者だ……!?」
ツイステッドの問いを受けて、恐怖さんは表情一つ変えずに、ただ首を傾げる。
「君は馬鹿なのかい? 先に質問したのは、私の方のはずだよ? そちらが先に答えたまえ」
恐怖さんは淡々と告げながら、まっすぐ顔をツイステッドに向けている。ただ見つめているだけなのか、怒りを露わにして睨みつけているのか、シルクハットに隠れた中では、ツイステッドには判断できない。
「ななな、何を、いい、言ってるんだ……? じじ状況をみみ見てから、いい、言うんだ……」
恐怖さんの言葉にツイステッドは怯えた表情のまま、恐怖さんよりも近くにいるサラさんへと目を向けている。その視線を目にしたサラさんが表情を強張らせ、その変化に気づいた恐怖さんが僅かに頷くような動きを見せた。
「つまり、彼女は人質ということかい?」
「わわ、分かってるね……」
ツイステッドは満足そうに頷き、恐怖さんはやや深く溜め息を吐き出した。ゆっくりと視線をツイステッドから外して、恐怖さんは凄惨たる現場を確認する。
「二人、死んでいるね」
「ここ、殺したから……」
「君が殺したのかい?」
恐怖さんの質問にツイステッドは口を開くことなく、頷きを見せている。恐怖さんはサラさんやツイステッドから離れるように歩き出し、そこに転がる二つの死体を確認する。
「ヒメノさんだね。頭が取れている」
「ととと、取ったわけじゃなくて、おお落ちちゃった、だだだ、だけ……」
取り繕うように口にするツイステッドの言葉を聞き流し、恐怖さんは転がるヒメノの頭を見つめている。興味深そうに顔を近づけて、ヒメノの頭だけでなく、身体の方も観察している。
「捻れている。右腕も、左足も、首も、凄い力で捻ったようだね。君は怪力なのかい?」
「そそそ、そんなわけ……」
「だろうね」
ツイステッドの返答を軽く流し、恐怖さんはヒメノの奥に目を向ける。そこに転がるもう一体の死体を確認し、恐怖さんは首を傾げる。
「彼女は客人じゃないか? 来たばかりで可哀相に……」
そう呟きながら、恐怖さんはカザリの死体の前まで移動し、そちらもヒメノと同じように観察を始めた。カザリの死体を頭の先から爪先まで、順番に見下ろし、恐怖さんの視線はカザリの胴体で停止する。
「こちらも捻れているね。これも君の仕業かい?」
恐怖さんはそう聞きながらも、ツイステッドの方に頭を向けなかった。ツイステッドは答えるように頷くが、そのことに恐怖さんは気づかない。
「なるほど。これらを見ていたら、君が何をしようとしているのかは分かった。次は彼女ということかい?」
恐怖さんがようやくツイステッドのいる方に目を向け、その奥にいるサラさんに顔を向ける。サラさんはツイステッドの存在に怯えた反応を見せ、ツイステッドは背後にいるサラさんを改めて意識するように振り返っている。
「そそそ、そうだと言ったら……?」
ツイステッドの返答に恐怖さんはゆっくりと首を傾げた。
「許さないと言ったら、君は手を止めるのかい?」
不思議そうに聞く恐怖さんの質問を耳にし、ツイステッドは不気味な笑みを浮かべる。
「いい、嫌だ……」
「だろうね」
ツイステッドはそういう人間だと見破っていたように呟きながら、恐怖さんはヒメノやカザリの死体から離れ、ツイステッドに接近するように歩き出す。
その動きに気づいたツイステッドの表情が強張り、背後にいるサラさんを意識するように身体を動かし、手を伸ばそうとする。
「ううう、動かないで……!? ここ、こっちに来ないで……!?」
ツイステッドの動きを確認した恐怖さんが足を止めて、サラさんに伸ばされた両手の方に顔を向ける。サラさんは迫るツイステッドの両手に怯えた表情を見せ、後ろに下がろうとしているが、恐怖からなのか、うまく身体を動かせていない。
「なるほど、なるほど。君の力には何となく見当がついた」
「ななな、何を言って……?」
「だから、君はもういいよ」
恐怖さんは途端にツイステッドから興味を失ったように呟き、再びツイステッドに接近するように歩き出した。
少し前の制止を忘れたような動きに、ツイステッドは戸惑いの表情を浮かべながら、サラさんに伸ばしかけていた手を動かそうとする。
「こここ、こっちに来ないで……!? くく、来るな……!?」
命令するように叫び、サラさんに触れようとするが、それでも止まらない恐怖さんの姿に、ツイステッドは怯えるような表情を見せた。
このままでは止まらないと思ったのか、サラさんに触れようとした瞬間、恐怖さんの足がピタリと止まり、ツイステッドの表情を見つめるように顔を止める。
「君、今、私に怯えたね?」
「ななな、何を言って……?」
「怖いと感じたかい?」
恐怖さんが意味の分からないことを口にし、ツイステッドが戸惑いと恐怖を覚える中、恐怖さんはツイステッドの言葉を遮るように手を動かし、自身の唇に人差し指を当てた。
「何も言わなくていい。そのままでいたまえ。そのまま君は怖がりたまえ」
「いいい、意味が……」
恐怖さんの言葉にツイステッドは怯えながら、会話に意味がないと思い、サラさんに触れかけていた手を伸ばそうとする。
ツイステッドの両手がサラさんに触れる。その手から逃れようとサラさんが身を捩る。その時のことだった。
不意にツイステッドの動きが止まり、ツイステッドの口はガクガクと震え始めた。寒さや怖さで痙攣するように顎が動き出し、ツイステッドの表情は歪んだものへと変化していく。
「ううう……ひ、ひひひ……」
口から意味のない言葉を漏らしながら、ツイステッドの身体はどんどんと震え始めていた。サラさんへと伸ばしかけた手も大きく揺れて、ツイステッドの表情はどんどんと恐怖で歪んだものへと変わっていく。
「いいい……あ、ああ、あああ……!?」
目からは涙が溢れ、ツイステッドの下半身は堪え切れなかったように漏れ出た尿で濡れている。ふわりと漂う臭いから、漏らしたものは尿だけに留まらないことも分かってしまう。
「ああ、あああ、ああああ!?」
ツイステッドはついに耐え切れなくなったように叫び出し、その声と様子にサラさんは怯えるように身体を竦めて、少しずつ離れるように下がろうとしていた。
一方、恐怖さんはツイステッドの変化を目の当たりにし、面白そうに口角を上げると、人差し指を唇につけたまま、ゆっくりと呟いた。
「『思考ヲ止メテ感覚ニ従エ』」
恐怖さんがそう口にする前で、ツイステッドは叫び声を上げながら、自身の手を自分の両耳に当てていた。
「ああ、ああああああああああああ!?」
そして、ツイステッドは絶叫しながら、その頭を大きく回転させ、捻れた首が耐え切れなかったように千切れ、頭をぼとりとその場に落とした。ツイステッドの頭はサラさんの足元に転がり、サラさんは怯えるような表情を見せたまま、全身を強張らせている。
「遅れて申し訳なかったね。大丈夫だったかい?」
その前で、恐怖さんはツイステッドのことなど何もなかったように、サラさんへ声をかける。転がるツイステッドの頭に怯えながらも、サラさんはその言葉に頷きを返し、ようやく安堵するように身体を崩した。
「すみません……今は身体がうまく動かず……」
「気にすることはないよ。私が連れていこう。君はそのままにしたまえ」
恐怖さんはツイステッドの死体を乗り越え、サラさんの前で跪くと、その身体を持ち上げて、屋敷の方に目を向ける。
「では、行こうか」
恐怖さんはそう告げて、サラさんを連れたまま、未だ大きな破壊音が響き渡る屋敷の方に歩き出した。