4-27.ハニーハント
古来よりハチミツは万能薬として語り継がれてきた。一舐めすれば、あらゆる病を吹き飛ばし、その者は長寿を得るだろう、と語られることがあったりなかったり。
しかし、人類の多くはハチミツの本当の効果を知らない。もしくは知れないと言い換えた方がいいのかもしれない。
それはミトも同じことで、凶暴の化身に追いつめられ、窮地を迎える中、熊が手に取ったハチミツ入りの瓶を口元に運ぶ様子を目にして、思わず驚いていた。
今のこの状況で、熊がハチミツを舐め始めたと思った時には、瓶の中身が口元に垂れ、熊の口内に流れ込んでいく。舌が伸び、瓶の中を一舐めし、熊は満足そうに口元まで舐めていた。
こんな時に何をしているのだろうかとミトが思ったのも束の間、すぐに熊の様子が一変する。
まず、明確に目の色が変化した。それまでの全てにやる気がなかったのかと勘違いしそうになるほどに、目には活力が漲り、眼光が刃物のように鋭いものへと変化していた。
それに続いて、熊の腕は膨らみ始めて、それまでの倍ほどの大きさに変化する。
膨らむ変化を見せたのは腕だけではない。腕から続いて上半身も膨らみ、それは下半身へと伸びて、熊の足も逞しいものに変化している。
僅か一瞬の出来事だったが、熊はパンプアップしたように肉体を大きなものに変え、それを傍から見ていたミトは驚愕に目を丸くした。
それもそのはずだ。ミトを含めた多くの人間は知らないが、ハチミツの中に含まれた糖には、熊の身体を構成しているベアー細胞を刺激し、活性化させる効果があると、最近の研究で分かったり分からなかったりしているのだ。
それを利用することで、熊は一時的ながらも、自身の身体を強化していた。
それまで以上に大きな身体を得た熊が凶暴の化身の前に詰め寄るように移動していく。そこでバトルシップも熊の身体の変化に気づいたらしい。思わず驚くような声を上げている。
「うおっ!? 急にどうした!?」
「どうしただと……? 熊の身体が大きくなった時はハチミツを食べた時だと決まっているだろうが!?」
「いや、聞いたことないが!?」
熊が勢いのままに熊手を振り下ろし、凶暴の化身に勢い良く叩きつけた。凶暴の化身は腕を振り上げて、その熊手に対抗しようとする。
だが、振り下ろされた熊手はその凶暴の化身の腕を力任せに叩きつけ、凶暴の化身は大きく体勢を崩す結果になっていた。
「えっ……? 本当に……?」
見た目だけではなく、実際の力まで明らかに強くなっている熊の様子に、ミトとバトルシップは唖然とする。
「野蛮なお前達は知らないだろうから教えてやるが、これが現代科学の最高傑作、ハチミツの力だ!」
「いや、作ったのは蜂だろう?」
バトルシップの冷静なツッコミを聞き流し、熊は凶暴の化身にもう一度、熊手を叩きつけていた。凶暴の化身はそれを受け止めようと上半身を持ち上げるが、その動きすら許さないと言わんばかりに、熊は凶暴の化身を床に叩きつけていく。
冗談ではなく、本当に力が増している。その事実に驚きながらも、ミトは見えたかもしれない活路に喜びを懐き始めていた。
熊は凶暴の化身に止めを刺そうと、更に攻撃を加えようとする。
その時、凶暴の化身の腕が奇妙に回り、あり得ない角度で動いたかと思えば、自身が握っていた剣を振るい、熊へと攻撃しようとした。背中から頭の方に大きく回すように腕を動かし、熊の身体を縦に切りつけようとする。
そのことに気づいた腕が振るいかけた腕を止め、迫ってくる剣をまっすぐに見据えた。
次の瞬間、熊が熊手を勢い良く振り上げ、凶暴の化身の剣と交錯した。熊が力のままに熊手を振り上げる中、大浴場の入口付近の天井に凶暴の化身が振るった剣の刃が突き刺さっている。
「折った……?」
剣と真正面から打ち合い、切られるどころか、剣を叩き折った熊手を目にして、味方であるはずのミトまで驚愕し、若干の恐怖を覚えていた。
熊はその結果に満足そうに鼻を鳴らし、そのまま未だ身を起こせていない凶暴の化身を見下ろす。その姿を前にして、熊は再び熊手を高く掲げる。
「いいか、良く聞け。これが鬼に金棒、虎に翼、熊にハチミツだ!」
聞いたことのない諺を叫びながら、熊が一気に熊手を振り下ろす。それは抵抗しようとした凶暴の化身の動きごと押さえつけ、凶暴の化身はピクリとも動かなくなった。
その様子に荒々しい息を吐きながら、熊は視線を凶暴の化身からバトルシップの方に向ける。その視線の鋭さにバトルシップは身を竦めるように、僅かに後退している。
「次はお前だ!」
後退するバトルシップを睨みつけながら、熊は大きく熊手を掲げた。大浴場の入口に突き進みながら、掲げた熊手を一気に振り下ろし、大浴場の入口ごとバトルシップを切りつけようとする。
その攻撃から逃れるようにバトルシップは廊下を下がり、崩壊する大浴場の入口から立ち退いていた。その動きを見た熊が熊手を振り下ろした体勢のまま、大浴場の方に目を向けてくる。
鋭い視線がミトとソラの方に向き、思わずミトは恐怖を覚え、身構えてしまっていた。
「何を固まっているんだ? 今から、あいつを押し込むから、その隙に逃げろ」
熊がそう言ったことでミトは我に返って、ソラの方に目を向ける。ソラは未だ苦しそうで、このまま戦いに巻き込まれれば、どうなるか分かったものではない。
ミトは熊の言葉に頷き、それを確認した熊が熊手を持ち上げながら、廊下に出ていった。そこで退避したバトルシップと睨み合い、熊は再び熊手を掲げている。
その状況にバトルシップは対抗する意思を見せながらも、表情は硬いものに変わっていた。
思えば、ミトがこれまで見てきたバトルシップの力はリーゼントを伸ばし、そこから何かを出すというものだけだ。
それだけに特化している力だとすれば、バトルシップそのものに戦う力はない。
況してや、凶暴の化身を一方的に打ち倒した、今の熊を相手する方法などないはずだ。
そう思っていたら、熊が先に動き出し、熊手を叩きつけるように振り下ろした。案の定、バトルシップはそれから逃げるしかなく、逃げた先でも攻撃に移るような素振りは見せない。
その隙を狙って、熊は更に攻撃を叩き込む。バトルシップは熊の間合いから外れ、攻撃を食らわないように立ち回ろうとしていたが、そのためには一つ大きな問題があった。
それを指摘するように熊の狙いがバトルシップから変わり、熊手は振り払うように正面ではなく横に攻撃を向けた。
瞬間、熊手が伸びたリーゼントをバッサリと切り落とした。
「ああっ!? 俺のリーゼントがぁ!?」
自慢のリーゼントが切り落とされたことにバトルシップが絶叫する中、熊が大浴場の方に目を向けて、小さく首を振るように合図を送ってきた。
それを確認したミトがソラを連れて廊下に飛び出し、熊やバトルシップに背を向ける形で逃走を開始する。
「ああぁ!? 待て、ゴラァ!?」
バトルシップはミト達を制するように詰め寄ろうとしてきたが、そこに向かって熊が一気に熊手を振り下ろした。巨大なリーゼントとの繋がりがなくなったからか、バトルシップはその一撃が生み出した衝撃に身を飛ばされ、廊下を無様に転がっていく。
それを確認した熊が踵を返し、ミト達を追うように走り始めた。
「お、おい!? 待て!?」
バトルシップは必死にそう叫んでいたが、その声で止まるものがいるはずもなく、バトルシップが立ち上がる頃には、ミトやソラ、熊の姿が廊下から消えようとしていた。