4-22.ラストワン
呆然とするミトの前で、現れた熊が熊手を振るった。左、右と双頭の巨犬に振り下ろし、双頭の巨犬は怯むように後退している。
「最近の飼い主は真面な躾もしてないんかな!?」
文句を垂らしながら、熊は浴槽に身を浸し、双頭の巨犬へと接近する。最初のラリアットに続いて、今の二度の張り手が襲い、完全に怯んだ双頭の巨犬は一度、熊から距離を離したいみたいだが、人間には広くても双頭の巨犬には狭いと言わざるを得ない大浴場では、十分に離れられないでいるようだ。
「走り回って遊びたいなら、お外で遊びなさい!」
熊手による張り手が双頭の巨犬の片方の頭を力強く叩いた。ボールのように頭は首の上をバウンドし、叩かれた頭は目を回している。
その強引ながらも、着実に追い込む姿に唖然としながら、ミトは現れた熊が何者であるのか考えていた。
まず、ただの熊ではない。双頭の巨犬に迫るサイズの熊が実在するかどうかは分からないが、少なくとも、喋る熊は存在しないはずだ。その時点で熊の正体が本当に熊である可能性は消えている。
では、何かと考えた時に真っ先に思い浮かぶ可能性が超人か、怪人だ。超人であるなら、この場に乱入し、バトルシップの生み出した双頭の巨犬と殴り合い始めた理由が分からない。乱入した超人であるなら、ミトの方を狙ってくるはずだ。
それでは怪人と考え、ふとミトは自分のいる場所が大浴場であることを思い出す。
ヒメノの案内でカザリと共に屋敷を回っている途中、ミトはこの大浴場の前を通りがかった。その時にヒメノは説明していた。
「えっと、そこがミトくんの知らん怪人の部屋で、その向こうにあるのが大浴場やね」
ミトの知らない怪人の部屋。つまり、大浴場の隣は未だミトが逢ったことのない、屋敷に住まう最後の怪人の部屋だったはずだ。
それが双頭の巨犬の破壊した壁の向こうだったとすると、そこから飛び出した熊こそが最後の怪人である。その可能性に行き当たった時、もう一つ、ヒメノが言っていた言葉を思い出した。
「まだ冬眠中やから」
また、ソラはこう言っていた。
「騒がしいと怒るから、行かない方がいい」
それらが冗談でも、過剰でもなく、本当に冬眠中であり、目覚めを不用意に促されたくないと考えていたとしたら、双頭の巨犬に対する怒りも、今の暴れっぷりも良く分かる。
「じゃあ、本当に最後の一人は熊……?」
まさかの事態にミトが呆然としていると、背後から微かな声が聞こえてきた。
「ハ、ル……?」
その声にミトは反応し、急いで振り返っていた。見れば、大浴場の入口に凭れかかるようにソラが立っている。
「ソラ!? 無事だったの!?」
ミトが慌てて駆け寄ると、ソラはゆっくりと顔を上げて、力なく頷いていた。
「直撃は避けられたから。ただ結構痛い」
直撃しなかったことで命は助かったが、傷自体は負っているのだろう。ミトが手を貸し、少しでも動かそうとすると、ソラが脇腹を押さえて、小さく悶えるように声を漏らしている。もしかしたら、骨が折れているのかもしれない。
「ヒ、ヒメノさん……!? ヒメノさんのところに行かないと……!?」
ミトが慌ててソラを連れ出そうと考える中、浴室の中では熊が大きく熊手を振り下ろし、双頭の巨犬の頭を勢い良く叩いていた。無事だったはずのもう片方の頭も、その一撃で目を回し、双頭の巨犬は進行方向を見失ったように、ふらふらとした足取りで壁に身体をぶつけている。
「はい、おすわり!」
熊が大きく熊手を振り下ろし、双頭の巨犬の背中を一気に叩いた。双頭の巨犬はその場に伏せるように倒れ込み、それを見た熊が双頭の巨犬の頭を打ち上げるように熊手を振るう。
「それは伏せでしょうが!?」
「理不尽……」
思わず聞こえてきた一言にミトが突っ込みを入れてしまい、今はそれどころではなかったと思った瞬間、ソラがか細い声で呟いた。
「コマちゃんだ……」
「コマちゃん……?」
「うん。ハルの知らない最後の一人」
やっぱり、あの熊が最後の怪人なのかと思い、ミトが熊の方を見ると、そこで熊は勢い良く熊手を双頭の巨犬に打ちつけていた。
「はい、今度は三点倒立!」
「む、無茶だ……」
明らかに無理な命令にミトが引く中、熊は床に頭と前足をつけた双頭の巨犬を見下ろし、その頭を無理矢理に持ち上げるように熊手を振るう。
「それだと四点倒立でしょうが!?」
見た目が熊である時点で察していたが、最後の一人も真面な人ではないことが証明され、ミトが狼狽えていると、熊の動きがピタリと止まっていた。
どうしたのかと思えば、何があったのか、双頭の巨犬が壁に頭を埋め込んだまま、動かなくなっている。
「静かになったか……」
一番騒いでいた張本人がそう呟いて、ようやく落ちついた様子で動き出そうとする。そこで脱衣所にいたミトの方を見やって、再びピタリと動きを止めた。
「の、覗き!?」
「えっ!?」
想定外の反応にミトが戸惑っていると、ミトの後ろにいるソラを発見した熊の表情が一変した。
「ソラ……? おい、お前……ソラに何をした……?」
静かな威圧感と共に、鋭い眼光がミトに刺さり、ミトはあまりの迫力に声が出なくなる。
「あっ……いっ……僕は……」
「返答次第では、分かっているよな?」
熊が熊手を持ち上げて、そこに生えた鋭い爪を見せつけてくる。それを自身の首近くで振るって、掻っ切るようなジェスチャーを見せてくる。
「待って、コマちゃん……」
そこでミトの背後にいたソラが声を出す。
「ハルは違う……ハルはコマちゃんが眠っている間に、怪人組合に入った怪人……」
苦しそうに息をしながら、そのように説明するソラを見て、熊は静かにミトとソラを見比べている。
「何だ、そういうことか。俺の知らない間に新人が入ったわけね」
ソラの説明で納得してくれたのか、熊が熊手を下ろして、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「だとしたら、ソラのその様子はどうしたんだ? それにあの犬も、普通に考えて、頭が二つついている犬とかいないよな? サイズもちょっとおかしいように見えるし」
「ちょっと……?」
ちょっと所ではない異常さだが、それを熊の姿をした人に言ってもいいものなのだろうかと悩んでいると、廊下から今は聞きたくない声が大浴場の中に飛び込んできた。
「おいおい、どういうことだ? 気づいたら、オルトロスが死んでるじゃねぇーか? 見たことのない熊も増えてるしよ。何しやがったんだ?」
バトルシップが大浴場を覗き込み、ミト達を睨みつけながら聞いてくる。ミトは咄嗟にソラを庇うように身を乗り出し、現れたバトルシップに熊は鋭い視線を向けていた。
「なるほど。そいつがソラをこんな目に遭わせたのか」
すぐに察したのか、熊が殺意をバトルシップに向ける中、バトルシップは熊が喋ったことに驚いているのか、ゆっくりと目を丸くしている。
「おいおい、どういうことか知らないが、そいつも怪人ってことか? 俺が知らないだけで、喋る熊が実在したとか、そんなことはないよな? まあ、どっちでもいい。敵意があるなら、相手するだけだ」
そう呟いたバトルシップが廊下に身を戻し、そこで一気に頭を振るって、伸びたリーゼントを大浴場の入口に叩きつけた。大浴場の入口を黒い塊が埋めつくし、壁にぶつかると同時に一部を大浴場の中に垂らしてくる。
ミトは咄嗟にソラを連れ、それから離れるように歩き出す。熊は冷静な目で、リーゼントが開く様子を見ている。
「あの中から、さっきの犬みたいなのが出てくるんです」
「ああ、そういう仕組みか」
ミトが慌てて説明すると、熊が納得したように頷き始める。その間にリーゼントは完全に開いて、中から巨大な人間の腕が飛び出していた。
「えっ……? 人……?」
「人も出てくるのか?」
希望の化身が鎧そのものとして出現したことはあったが、生身の人間が姿を見せることはなかった。初めてのパターンにミトが戸惑っていると、現れた腕が自身の身体を引き上げるように身を乗り出してくる。
「あがぅ……」
そう唸るように声を漏らしながら現れたのは、鎧を身にまとい、巨大な剣を携えた、双頭の巨犬に匹敵する大きさの巨人だった。