4-20.ディグダグ
ヤクノは廊下に流れ込んできた、今も足元に溜まる液体に目を向けた。液体が流れ込む一瞬のことだったが、ヤクノの目に狂いがなければ、これらの液体は壁が溶けたもののようだ。壁に開いた穴がそのことを証明している。
それから、ヤクノはその穴から現れた女性に目を向ける。ボディコンスーツに身をまとった女性は逢ったことも、見たこともない女性だが、この状況から察するに、足元に流れる液体を作り出した超人である可能性が高いとは思っていた。
「アクアアルタ。何をしている?」
そこでタイタンがそう口にする。アクアアルタという呼び方から、ヤクノは可能性が正しかったことを理解する。
「邪魔をしないでくれるか?」
「ああ、ごめんなさい。濡れちゃった?」
「そういうことではない」
捉えどころのない反応を見せるアクアアルタにタイタンが抗議の声を漏らす中、タイタンの存在に気づいたらしいババが、ヤクノの隣で嫌そうな声を漏らす。
「ゲッ……あいつもおるやん……」
「あの女の力は何だ?」
アクアアルタを超人であると認識したヤクノが、情報のすり合わせを行うためにババに問いかける。ババは冷めた目を向けながらも、アクアアルタがさっき出てきた壁の穴を顎で示す。
「手で触れたもんをああいう感じで溶かす力や。壁も床も天井も、触れてたら溶かせるし、範囲は小さな部屋一個分くらいある」
「液体はこういう感じか?」
ヤクノが足元の液体を蹴り上げながら聞くと、ババは首肯した。
「全部、水みたいな感じやね」
それなら、正確には触れた物質を溶かすのではなく、水のように変える力なのかもしれないとヤクノは思った。溶かすということなら、素材ごとに液体の性質が変化し、状況は更に面倒なものになっていたかもしれないが、全て同じ性質を持っているなら、対処法を変える必要はない。今も足元に広がる液体がサンプルとなって、その後の液体への対処を可能にしてくれる。
「なあ、こっちからもええか? 今、これは何が起きとるん?」
「分からない。超人が屋敷に侵入し、俺達を襲っていることしか分かっていない」
「何が原因や?」
「さあな」
そう答えながらも、ヤクノの頭にはカザリの姿が浮かんでいた。それが正しいかどうかは現状分からないが、何かしら関与している可能性は非常に高いとヤクノは考える。
「まあ、何でもええか。取り敢えず、あいつら蹴散らしたらええんやろ?」
ババがそう言いながら立ち上がり、ヤクノの方をちらりと見てくる。
「あっちのデカ腕は頼むで」
そう言ってくるババにヤクノは苛立ちを噛み締めながら、小さくかぶりを振った。
「いや、やる気はない」
「は、はあ……? お前、何言っとん?」
「うるさい……現実的に無理だからだ」
ヤクノが両腕を僅かに持ち上げたことで、ババはヤクノの状態を察したようだった。眉間に皺を寄せながら、小さく舌打ちをして、前方に立つ二人の超人を見つめる。
「なら、逃げることを考えんといかんわけやな?」
「そうだが、あの腕の前では不可能だ」
「いーや、分からん。あの腕も全力で使える状況とちゃうやろ?」
ババが廊下をゆっくりと見回し、この狭さが制限になっていると伝えてくるようだった。
だが、その考えとは違う結果を既にヤクノは目撃している。
「いや、この狭さだとこっちの逃げ場がない。ただ大きさを変えるだけで、俺達は潰される」
「えっ……? 終わっとるやん……」
一瞬でババの自信が砕けた前で、タイタンはアクアアルタに声をかけていた。
「まあ、いい。取り敢えず、この場は俺が受け持つ。君はそこで見ていろ」
「はーい」
アクアアルタは大人しくタイタンに従うようで、両手を上げながら、タイタンの脇に移動していた。その移動を確認してから、タイタンはゆっくりと左腕を構えている。
「今度こそ終わらせる」
「ああ、どないしよ……このままやと潰されてまう……なあ、どうする!?」
「うるさい、黙れ!」
縋るように近づいてくるババをヤクノは振り払おうとし、そこでババの両手に嵌まった手袋を発見する。
「お前、そいつをつけているなら、今すぐに攻撃しろ」
「は、はあ!? そんな無茶言うなや!? 近づいとる間に潰されるわ!?」
「違う! そっちじゃない!」
ヤクノの発言を不思議そうな顔でババが聞いている中、二人のやり取りをタイタンが待ってくれるわけもなく、タイタンは一気に拳を振るおうとしていた。
それに気づいたヤクノが時間のなさを察して、足元に目を向ける。
「これを殴れ!」
「これってどれ!?」
「いいから、足元を殴れ!」
ヤクノの命令にババは戸惑いながらも、言われるままに拳を足元に落としていた。その衝撃が廊下に溜まっていた液体にぶつかって、液体が大きく跳ね上がる。
瞬間、ババの拳から伝わった二発目の衝撃が液体を更に跳ね上げ、ヤクノとババの姿を覆うように隠した。
「今だ! 次はそっちだ!」
ヤクノがババの隣に指を向け、ババはヤクノの考えをようやく理解したらしく、自身の隣にある壁を思いっ切り殴っていた。ババが素早く二発のパンチを壁に噛ますと、壁は四発分の衝撃に耐えかねたように、大きく崩れていく。
その穴に飛び込むようにヤクノとババが避難した直後、廊下を巨大な腕が突っ切っていった。
「あっぶな……!?」
「今の内に逃げるぞ」
ヤクノが逃げ込んだ部屋の壁を指差し、そう告げる。ババはヤクノに命令されるような行動が嫌そうだったが、今はそうも言っていられないからだろう。大人しく従って、壁に拳を叩き込んでいる。
そこに開いた穴を通って、ヤクノとババが更に奥の部屋に逃げ込む、その瞬間のことだった。
ヤクノとババが逃げ込んだ部屋を貫通するように、巨大な左腕が突っ切ってきた。壁が破壊されたことで、咄嗟に身を屈め、二人は何とか拳の直撃を避けるが、少しでも遅れていたら、巨大な拳に叩き潰されているところだった。
「おいおい……!? こんな攻撃されたら、どうやって逃げたらええねん……!?」
「クソッ……!? 急いで、あいつの射程から逃げるしかない……!?」
ヤクノが立ち上がり、急いで移動しようとした直後、その足が大きく沈み、ヤクノは驚きながら足元を見やる。
気づけば、ヤクノやババの足元が液体に変化し、二人の動きを阻害するように足元にまとわりついている。
「チッ……!? あの女の力か……!?」
ヤクノが苛立ちながら呟く中、自身の左腕が開いた空間に立って、タイタンが部屋の奥にいるヤクノとババを見ていた。
「もう逃げ場はない。これで右腕の借りを返せる」
怒りを噛み締めるようにヤクノ達を睨みながら、タイタンが左腕を構える。目視されていては身を屈めたとしても、そちらを直接狙ってくるだろう。
逃げ場はない。もう一か八か受け止めるしかない。ヤクノは可能か不安ながらも、タイタンの攻撃に備え、両手を持ち上げようとした。
そこで廊下から声が聞こえてくる。
「おやおや、凄い騒ぎだ」
その声にヤクノとババは止まり、タイタンは睨みつけるように視線を廊下へと動かしていた。アクアアルタが不思議そうに見つめている先からは、引き続き声が聞こえてくる。
「これはこれは、一体どうしたんだい?」
左腕を構えるタイタンに、恐怖さんがそう聞いていた。