4-18.ピンボール
スミモリに関する一件はウェイトレスにとって深い傷となっていた。目的であるスミモリを逃がしただけに飽き足らず、自身は怪人相手に敗北し、連れ去られる寸前の状態だった。どのような処罰を受けても文句の言えない失態に、ウェイトレスの心には深い影が差していた。
しかし、その失態を挽回するチャンスが目の前に転がり込んできた。怪人組合の根城を押さえ、そこに飛び込んだウェイトレスの前に、因縁の相手であるヒメノが現れたのだ。
ここでヒメノを捕らえれば、名誉挽回もできるだろう。ウェイトレス自身の心に深く刻み込まれた傷も、少しは回復するかもしれない。
その思いから、ヒメノを一直線に狙った行動に出たが、その肝心のヒメノがその場から逃げ出してしまった。ウェイトレスは即座に追いかけようとするが、ヒメノの姉であるヒナコが邪魔をして追いかけられない。
ここでヒメノを逃がしたら、失敗を上塗りすることになってしまう。失態に次ぐ失態となれば、何かしらの処罰以上にウェイトレスの心が耐えられない。
何としてでも追いかけないといけない。その思いから、ウェイトレスは即座にヒナコを制圧しようと、壁を駆け上がって、天井まで昇っていた。そこから一気に身体の重さを増して、ヒナコの上に伸しかかろうとする。
その動きに対して、ヒナコは腕を伸ばし、ウェイトレスの足を跳ね上げるように振り上げた。ウェイトレスの身体は人間が持ち上げられる重さを優に超えている。か細い女性の腕で、ウェイトレスの身体を持ち上げることは不可能だ。
そのはずだが、ヒナコの腕の動きに合わせ、ウェイトレスの足は僅かに持ち上がった。
「えっ!? 嘘っ!?」
「シャアラァ!」
思わずウェイトレスが驚きの声を上げる中、ヒナコはそのまま横にずれるように移動し、腕の上に乗ったウェイトレスの身体を一気に振り下ろす。
その動きに合わせて、ウェイトレスの身体はヒナコの上から僅かに逸れ、廊下に足を埋めることになった。
ウェイトレスが慌てて埋まった足を引っ張ろうとする中、ヒナコは一気に距離を詰めて、握った拳を振るってくる。それに対抗するために、ウェイトレスは腕を振り上げてから、ヒナコの上で一気に重さを増した。
瞬間、金属の塊のように重くなったウェイトレスの腕をヒナコが両手で受け止める。爪がウェイトレスの腕に食い込むほどの力を出しながら、落ちてきた腕を止め切ったヒナコは、そのまま投げ飛ばすようにウェイトレスの腕を引っ張っていく。
自身の重さにヒナコの力が加わった投げだ。ウェイトレスの身体は一気に傾き、廊下に崩れ落ちそうになった。
そこで慌ててウェイトレスは身体の重さを減らし、床を一気に蹴り抜いた。ヒナコの手の中から滑るように腕が飛び出し、ウェイトレスはヒナコから離れた位置に緩やかな着地を決める。
「な、何ですか、貴女……!? ゴリラですか……!?」
「誰がゴリラやねん。お前の知っとるゴリラは服着て屋敷に住んどるんか?」
「……一体、何をしたんですか? どうやって、そんな力を? そういう怪人の力ですか?」
思わず質問を口走るウェイトレスを前にして、ヒナコが呆れたように目を細める。
「何言うとんねん。そんなもん、教えるわけないやろうが。私は聞いたら何でも教える先生やないんやで、学生ちゃん?」
「なっ!? 私のどこが学生だって言うんですか!?」
ヒナコの言いようにウェイトレスが激怒し、リクルートスーツを揺らす。
「ああ? ……まあ、ええわ。話すだけ無駄やな。さっさと捕まらんかい」
「嫌ですよ!」
動き出したヒナコに反応し、ウェイトレスが壁を蹴って、空中を跳ぶように移動し始める。壁から床へ、床から天井へ、天井から壁へ、縦横無尽にウェイトレスは飛び回る。
「ちょこまかと面倒臭いな!」
ヒナコがウェイトレスの移動のタイミングに合わせて、壁に拳を叩きつけた。拳は容易く壁に埋め込み、移動先を変えたことで難を逃れたとはいえ、その威力の高さにウェイトレスはゾッとする。
「ゴリラ以上じゃないですか……」
「誰が霊長類最強やねん」
「言ってませんよ!」
ウェイトレスが体重を更に減らし、移動に利用する速度を増していく。ヒナコの怪力さは分かったが、速度自体は一般的な人間と変わらないものだ。ウェイトレスが速度を上げれば上げるほどに、ヒナコは付いてこられなくなるはずだ。
その考えからの行動だったが、そこに間違いはなく、ウェイトレスの移動に合わせて振るわれるヒナコの攻撃は、少しずつ大きくタイミングをずらし始めていた。
そこに生じた攻撃の隙を狙って、今度はウェイトレスが拳を叩き込んでいく。
軽量化による移動からの重量化による一撃。細かな体重の操作は難しく、攻撃に乗せられる重さは普段よりも軽かったが、怪力さを発揮するヒナコでも無視できないほどのダメージは与え始めていた。
やがて、ヒナコはウェイトレスの一撃に対応するために、それまで攻撃に転じていた時間を防御に回すために動きを変えていた。
その変化を察知した瞬間、ウェイトレスはヒナコに繰り出した最初の一撃のことを思い出す。
ウェイトレスが移動を捨て、一撃の重さに全てを懸けた攻撃をヒナコは受け止めようとしていた。正確には受け止め切らずに受け流し、重さに押し潰される可能性を回避していたが、あの動きが可能であるなら、今の軽いウェイトレスの攻撃は簡単に受け止められるだろう。
咄嗟にウェイトレスは攻撃に転じようとしていた拳を下げて、壁や床、天井を跳ね回る移動に力を割くことにした。
「何や? もう攻撃はしまいか? そんな飛び回っとるだけやったら、私は倒せへんよ?」
ヒナコは挑発するように声をかけてくるが、その声をウェイトレスは聞く気がなかった。ヒナコの様子を念入りに観察し、ウェイトレスはタイミングを計っていく。
ヒナコはウェイトレスの移動に合わせて攻撃しようとしていたが、そのタイミングは少しずつずれていた。ヒナコがどれほど集中しても、ウェイトレスの位置を確実に捕まえることは不可能だ。
それでも、ヒナコがこちらの動きに意識を合わせようとしているのは、数秒遅れたとしても、ウェイトレスの攻撃を受け止められる自信があるから。
そこに付け込む。そう考えるウェイトレスの前で、ヒナコの意識が僅かにウェイトレスの位置から逸れた。その隙を狙うように天井を蹴って、ウェイトレスはヒナコの頭上に飛びかかる。
「ほら、ここやろ!」
その動きに僅かに遅れながらも、ヒナコは顔を上げて、ウェイトレスの身体を狙うように腕を持ち上げていた。
その隙間を縫うようにウェイトレスは着地し、床から壁へと移動した。
「いいえ、ここです」
ヒナコはウェイトレスの動きを止めるために動き出した直後だ。どれだけの怪力でも、その速度はウェイトレスに追いついていない。
つまり、ここからウェイトレスの一撃にヒナコが動きを合わせることは不可能。
ウェイトレスが壁を蹴り、ヒナコの上に伸しかかるように飛びかかりながら、突き出した足の重さを増していく。
その足がヒナコの後頭部に突き刺さった。