4-13.最後の晩餐
超人に追われるカザリを救い、ヒメノの案内でカザリを連れ回し、カザリに与えられた部屋まで案内してから、気づいた頃には日が沈んでいた。自室に戻り、ベッドに身体を預けたところまでは覚えているのだが、同時に意識も手放してしまったらしく、ミトは自分のスマホが着信を知らせるまで、一切、目覚めなかった。
ゆっくりと瞼を開いたミトが眠っていた事実に驚きながら、部屋の中を見回していく。いつの間にか暗くなっていた部屋の中では、近くのテーブルの上に置かれたスマホですら見えない。
手探りでスマホを拾い上げ、スマホのライトを頼りに部屋の中の明かりをつけてから、ミトはスマホに届いた通知に気づき、メッセージを見た。
それはソラからのメッセージで、どうやら、夕食の誘いのようだった。
内容を見るに、部屋の前まで訪れ、何度か声をかけてくれていたようだが、ミトは一切気づくことなく、眠りこくっていたらしい。メッセージだけでなく、通話を試みた後もあったが、ミトは最後の最後まで目覚めなかった。
それほどまでに疲れていたのかと思いながら、ミトはソラにメッセージを返し、鍵を開けて部屋の外に出ていく。ダイニングルームに向かえばいいだろうかと思っていたら、そこでちょうど隣から、スマホの通知音が聞こえてきた。
隣に目を向ければ、ミトの部屋とソラの部屋の間の壁に凭れかかるように、ソラが体育座りで座っていた。
「ソ、ソラ!? 何してるの、こんなところで!?」
ミトが驚いて声をかけると、ソラは僅かに顔を上げて、ミトをまっすぐに指差してきた。
「待ってた」
「い、いや、部屋で待てば……それに入ってきて、起こしてくれたら……」
そう言ってから、ミトはさっき自分が部屋を出る際に、鍵を開けていた事実を思い出す。ソラは入りたくても、ミトの部屋には入れない状況だった。
「ああ、ごめん……ありがとう」
待っていてくれていたことに礼を言うと、ソラはかぶりを振って立ち上がり、更に奥の扉を指差した。
「アーヤも呼ぶから、ハルもついてきて」
「アーヤ……」
カザリに声をかけるというソラに連れられ、ミトはカザリの部屋の前まで移動する。ソラが扉をノックすると、中から慌ただしい音と共にカザリの声が聞こえてくる。
「は、はい……!?」
カザリが僅かに扉を開けて、ミトとソラを見上げてきた。その姿を目にした時、ミトは自然とさっきまでのカザリと何かが違うと感じるが、何が違うのかはすぐに分からない。
「晩御飯。一緒にどう?」
「晩御飯、ですか……?」
カザリは戸惑い、迷うように視線を彷徨わせていたが、最終的には受け入れるように首肯していた。行きたいと思ったのか、断れないと思ったのか、その態度からは分からない。
「分かりました。あの……ちょっとだけ、待っていてください」
そう言ってカザリは再び部屋の中に消えていき、しばらくすると、部屋の外に姿を見せた。そこでようやくミトは違和感の正体が、カザリのヘアピンにあることに気づく。さっきカザリはヘアピンを外していたようで、少し髪型が変わっていたのだ。
それをつけるために戻ったのかと納得しながら、ミトはカザリと共にソラの案内で、ダイニングルームの方に移動した。
◇ ◆ ◇ ◆
「やあやあ、こんばんは。元気かい? さっき振りだね」
ダイニングルームに到着すると、ミト達の姿を見た恐怖さんがそう声をかけてきた。入口近くにはサラさんが立ち、ダイニングルームを訪れたミト達を招き入れるように手を伸ばしている。
ミトはそこに置かれたダイニングテーブルをぐるりと見回す。今、この屋敷にいる全員が集まっても、まだスペースがあるくらいに大きなテーブルだが、そこには恐怖さんしか座っていない。
「あ、あの……他の皆は?」
「ああ、彼らは自分達の部屋で食べるそうだよ。まあまあ、君達は遠慮せずに座りたまえ」
そういう選択肢もあったのか、とカザリも思ったに違いない。ミトは部屋に戻りたい気持ちに駆られるが、ここまで来て戻れるはずもなく、恐怖さんに促されるまま、三人はダイニングテーブルにつくことになった。
「では、カザリさんの歓迎の意を込めて、乾杯でもするかい?」
恐怖さんがワイングラスを持ち上げ、ミト達は言われるまま、用意されたグラスを持ち上げていく。
「では、ようこそカザリさん。私達は君を歓迎しよう」
改めてそう告げ、恐怖さんが次に言った「乾杯」の一言から、夕食は始まった。
が、ミトとカザリはグラスの中に入ったジュースに僅かに口をつけてから、食事に手を伸ばすことなく、ひたすらに戸惑っていた。それも仕方がない。そう思えるほどのビジュアルがテーブルの上に乗っている。
「あの、今日のメニューは?」
「イノシシの丸焼きです」
ミトの質問にサラさんは淡々とした様子で答えてきた。イノシシの丸焼きなどという家庭に出たこともないものを、当然のように良く言えるとミトは驚きながら、手元のフォークとナイフを取る。
「ああ、安心したまえ。寄生虫の類は何かあっても、ヒメノさんが何とかしてくれるよ」
「いや、もう、それを聞いて安心できなくなりました」
恐怖心に支配されたミトがフォークとナイフを置く中、恐怖さんは平然とイノシシの肉を食らいながら、ミトの隣に座ったカザリを見るように顔を向けた。
「怪人組合はどうだい? 居心地はいいかい?」
「あっ……えっ……えと……はい……」
「ほうほう、そうかい。けれど、良くうちのことを知っていたね。どうやって知ったんだい?」
「その……ネットで……怪人のことを調べていたら、偶然……」
「ほうほう、そうかいそうかい」
恐怖さんからの質問に答えながら、カザリは戸惑うように目の前の肉片を眺めていた。ミトと同じで食べる勇気が湧かないのだろう。
「あの……無理そうなら、パンとかスープとかだけでも大丈夫ですから……俺もちょっとこれは怖いですし……」
「あっ……はい。ありがとうございます……」
カザリはミトの言葉に礼を言ってから、スープに手を伸ばしていた。こちらなら大丈夫だろうと思いながら、ミトはふと気になって、ソラに目を向ける。
「ん? どうしたの、ハル?」
「い、いや……」
平然とイノシシ肉を食らうソラを目にし、ミトは思わず表情を引き攣らせながら、自分はまだ怪人組合に馴染めていないと悟った。
◇ ◆ ◇ ◆
自室に戻り、ベッドに腰かけ、さっきまでのことを思い返す。見慣れない恐怖さんの姿に、まだ話し慣れていない人達と、若干の居心地の悪さは存在していたが、久し振りの人との食事は隠し切れない安心感も生んでいた。
何より、手が出せなかった物もあるとはいえ、久し振りに真面な食事にありつけたことは非常に嬉しかった。
ここに来て良かった、とカザリは改めて思う。
同時に、ここに来なければ良かった、とカザリは実感するように思ってしまう。
ここが良い場所であればあるほどに、カザリの中には迷いが生じ、本当にここに来て良かったのかと考えてしまう。
カザリはまだ言えていない。ここに来た本当の目的があることを。
そのことを思い出しながら、カザリは頭につけたヘアピンに触れる。最初にミトにそれを見られ、その話をされた時はドキッとした。まさか一瞬で気づかれたのかと思ったが、そんなことはなかった。
ヘアピンを外して、カザリはその後ろに目を向ける。そこにはスイッチがついていて、それを押したら、仕込まれた発信機が起動するようになっていた。
だが、カザリはここで逢った人達のことを思い返し、そのスイッチを押すことに躊躇いを覚える。あの人達を危険な目に遭わせてはいけない。
そう思う一方、カザリの頭の中には自分を追いかけ、自分を捕まえた超人の姿が焼きつき、拭い切れない恐怖を生み出していた。
この場所で得た安心感すら、一瞬で塗り替えるような恐怖を覚え、カザリは目を涙で一杯にしながら、ヘアピンに目を向ける。
「ごめん……なさい……」
誰に対して言うわけでもなく、ただ漠然とした罪悪感に、謝罪の言葉を漏らしながら、カザリはヘアピンの後ろのスイッチを押した。